『基本憲法2—総論・統治』(著:木下智史・伊藤建)

一冊散策| 2025.10.22
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

はしがき ―「統治機構論は苦手」という人に

憲法を学ぶにあたって、憲法をなかなか身近な問題として感じられないといって悩む人が多い。

定価:税込 3,300円(本体価格 3,000円)

人権関係の問題であれば、まだ具体的な問題としてとらえることもできるが、統治機構論となると一般の人々には縁遠い世界のことである。

こうして、統治機構論の領域については食わず嫌いになってしまうことが多い。しかし、憲法(constitution:「構造」・「構築」などの意味をもつ)という言葉の本来の意味からみても、統治機構に関する定めこそ、憲法の本質に関わる部分である。憲法の本質は、様々な国家機関にそのなしうることを授権するところにあり、国家機関は憲法により授権された権限以外は行使できないという点が立憲主義という原則の根本でもある。

たしかに、統治機構関係の条文は、国民の日常の生活に縁遠いものではあるが、実は政治の舞台、行政の現場、裁判所の法廷などの場で、人権に関する条文以上に日常的に機能している規定でもある。これらの規定がきちんと守られるかどうかは日本の立憲主義のあり方の試金石でもある。統治機構関係の規定を国民が直接用いることはあまりないが、国の機関が憲法の規定に従った権限行使をするかどうかは国民が国の機関の行動をきちんと監視しうるかどうかにかかっている。

判例による意味の形成が大きな比重を占める人権分野と異なり、統治機構論に関しては条文の意味理解が重要となる。言い換えれば、条文の意味さえつかめば、統治機構関係の問題はかなりの程度理解できるということになる。本書では、一つ一つの条文が実際にどのような機能を果たすのか、そこにはどのような解釈上の争いがあるのかに着目して、できるだけ日本国憲法の統治機構の構造の全体像が理解できるような解説を目指した。一見無機質的な国家機関の権限規定の意味を地道に学習することを通じて、そうした規定がときにドラマティックな色彩を放つことも知ることになるだろう。

本書は、「基本的な概念の定義とそこから導き出される命題を身につけて、論理的な結論を導き出せるようにする」という『基本憲法Ⅰ—基本的人権』から受け継ぐコンセプトに則って、日本国憲法の統治機構部分の解説をした。統治機構に関する憲法原則の解説や各機関の権限の説明はどうしてもメリハリを欠くところがあるため、旧司法試験や予備試験、公務員試験などの設問の解説を軸に論述する部分を大幅に取り入れている。これにより、統治機構論の学習にとって重要な、制度間の比較の視点や制度横断的な理解を得られるであろう。また、各講の終わりには、司法試験や予備試験の短答式問題のうち、受験生が誤りやすいものをピックアップして、解説も加えている。

どうしても苦手意識の抜けない読者は、まず「序章—統治機構の学習のポイント」で統治機構論と現実政治・歴史との関わり合いをつかんだ後、「第13講 統治機構の論じ方」を読み、そのアドバイスに従いながら、憲法条文を手がかりに本書を読み解いていってほしい。各講の「一問一答」で基礎知識の定着を確認したら、次に各講本文中の【設問】の解答に挑戦してほしい。『基本憲法Ⅰ』で基本的人権について一通り学んだ人も、本書で統治機構論を学んで改めて読み直すことで理解が深まると思う。

『基本憲法Ⅰ』に引き続いて、伊藤建氏という極めて有能なパートナーを得て、統治機構論の検討を進めることができた。いつものことながら、彼との議論は刺激的で、自分自身の思考を大いに深めることができた。序章と第12講までの最終的な文責は木下に、各講の「一問一答」と第13講の文責は伊藤氏にある。

また、日本評論社の田中早苗さんにも引き続きご担当いただき、原稿に対する厳しいチェックから毎回の打合せの段取りまで、万端をお世話いただいた。本書がいささかでもわかりやすくなっているとすれば、伊藤氏のアドバイスと田中さんのダメ出しの成果である。記してお2人に謝意を表したい。

2025年7月
木下智史

序章 ― 統治機構の学習のポイント

「はしがき」で述べたように、統治機構論の学習を始めるにあたっては、条文の意味の理解といった地味な作業を覚悟する必要がある。ただし、学習のはじめにあたって、統治機構に関する条文群が1つの政治的事件において複雑に絡み合っているのを知ることも、学習への動機づけとなろう。

* * *

1952年8月。内閣総理大臣吉田茂の心中は、穏やかではなかった。1946年4月の戦後第1回総選挙後、首相となって以来、既に3次にわたって内閣を組織し、新憲法の制定(1946年)、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の締結(1951年)などの大事業を成し遂げてきたが、このところ与党自由党内で吉田に対抗する勢力が拡大しつつあったからだ。その中心人物は、鳩山一郎。戦前は文部大臣まで務めたが、「自由主義的傾向」をもつ滝川教授の罷免を行った京大滝川事件(1933年)の責任者として占領軍からにらまれ、戦後第1回の総選挙(1946年4月)でせっかく当選しながら公職追放になってしまった。そのとき、鳩山自らが自由党の後を頼んだ結果、首相の座に就いたのが吉田であった。吉田は、以後、総司令部(GHQ)、そしてアメリカとの良好な関係を基に戦後日本の方向性として対米協調(他人は「対米従属」と非難するが)路線を確立した。鳩山は、公職追放の間、政権を一時的に託したつもりの吉田が一向に政権を戻さないことを「裏切り」と感じており、政界に復帰するや、自由党鳩山派を結成し公然と吉田批判を展開するようになり、再軍備と憲法改正を唱えて、改進党など他の保守政党との提携も探りつつあった。この年の4月にサンフランシスコ平和条約が発効して日本が主権を回復したこともあり、国民の間でもアメリカべったりの吉田の政策は、次第に人気を失いつつあった。

吉田は、鳩山派がこれ以上勢力を増大させる前に打撃を与えると同時に自派の勢力を拡大しようと考え、仲間には密かに選挙準備を進めさせたうえで衆議院を解散することとした。吉田は8月26日に、衆議院解散の詔書案と衆議院議長への伝達案を議決するための閣議を持ち回り閣議の方式で開いたが、慣行上、内閣の全員一致が原則であるところ、13名の閣僚のうち池田勇人、佐藤栄作ら側近の大臣数人の署名にとどまった。翌27日、天皇が詔書に署名し御璽が押捺された後、28日の閣議では全員一致で詔書の即時公布が決定され、衆議院の解散が衆議院議長に伝達された。

この衆議院の解散は、多くの衆議院議員にとって寝耳に水のことであったので、「抜き打ち解散」と呼ばれた。

「抜き打ち解散」を吉田が断行するにあたって障害となったのは、1948年12月に行われた新憲法施行後第1回の衆議院解散の先例であった。当時、少数与党のため難しい政権運営を強いられていた吉田は、早期の衆議院解散の可能性を探っていたが、野党と総司令部(GHQ)が衆議院の解散は内閣不信任案が決議された場合(憲法69条)に限られるとの解釈を盾に抵抗したため、やむなく与野党合意のうえで、与党議員の一部が欠席し、野党提出の内閣不信任決議可決という形で衆議院を解散した(「馴れ合い解散」と呼ばれる)。

吉田は、「馴れ合い解散」時から、内閣不信任案可決の場合以外にも、憲法7条3号を根拠に、天皇の国事行為に対する内閣の「助言と承認」権限に基づいて、内閣自らの判断による衆議院解散もありうるとの立場(「7条解散」と呼ばれる)をとっており、主権回復後、「抜き打ち解散」によってそれを初めて実地に活かした。

他方、「抜き打ち解散」で衆議院議員としての職を失った野党民主党の苫米地義三(当時の青森1区選出)は、7条解散は憲法に違反するとして、最高裁判所に直接、衆議院解散の無効確認請求訴訟を提起した(第1次苫米地訴訟)。最高裁は、これに対して、いわゆる警察予備隊訴訟事件判決(最大判1952〔昭和27〕・10・8民集6巻9号783頁百選186)を先例として参照しつつ、「わが現行法制の下にあっては、ただ純然たる司法裁判所だけが設置せられているのであって、いわゆる違憲審査権なるものも、下級審たると上級審たるとを問わず、司法裁判所が当事者間に存する具体的な法律上の争訟について審判をなすため必要な範囲において行使せられるに過ぎない。すなわち憲法81条は単に違憲審査を固有の権限とする始審にして終審である憲法裁判所たる性格をも併有すべきことを規定したものと解すべきではない」と述べて、訴えを却下した(最大判1953〔昭和28〕・4・15民集7巻4号305頁)。ただし、真野毅裁判官は、7条解散を違憲とする補足意見を執筆している。

苫米地議員は、別に議員資格の確認と議員歳費の支払いを求める訴え(第2次苫米地訴訟)も東京地裁に提起した。第1審判決(東京地判1953〔昭和28〕・10・19行集4巻10号2540頁)は、7条解散の合憲性については原告の主張を斥けたものの、天皇の国事行為にあたっては、助言と承認の2度の閣議決定がなければならず、8月26日の持ち回り閣議決定においては一部の閣僚の署名のみがなされ全員一致でなされたと認められないとして衆議院解散を無効とし、任期満了時までの歳費分の支払いを命じた。これに対し、控訴審判決(東京高判1954〔昭和29〕・9・22判時35号8頁百選171)は、7条解散を合憲とする第1審判決を維持したうえで、詔書作成に先立つ8月22日の閣議において衆議院解散についての実質的な助言の議決が行われており、内閣による天皇に対する助言と承認がなされたとして、第1審判決を取り消した。最高裁(最大判1960〔昭和35〕・6・8民集14巻7号1206頁百選189)は、「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であっても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあ」るとの統治行為論をとり、「現実に行われた衆議院の解散が、その依拠する憲法の条章について適用を誤ったがゆえに、法律上無効であるかどうか、これを行うにつき憲法上必要とせられる内閣の助言と承認に瑕疵があったがゆえに無効であるかどうかのごときことは裁判所の審査権に服しない」として、原告の訴えを退けた。

* * *

以上の一連の出来事は、当時の日本の国家運営、そして吉田茂をはじめとする多くの政治家の命運にとって極めて重要な局面であっただけでなく、以下のような多方面にわたる憲法問題が複雑に絡み合っていた。

①衆議院における内閣不信任案可決の場合(69条)に限って、内閣は衆議院を解散できるのか、それ以外の場合においても、憲法7条のみを根拠に行われうるのか(→第4講)

②天皇の国事行為は、形式的儀礼的な行為とみるべきなのか、実質的な判断権も含むのか(→第10講)

③天皇の国事行為に対する内閣の助言と承認には実質的な判断権が含まれるか(→同)

④内閣による国事行為の助言と承認にあたっては、事前の「助言」と事後の「承認」との2度の閣議が必要か(→同)

⑤議院内閣制においては内閣の自由な議会解散権が必須のものか(→第4講)

⑥内閣の閣議決定は全員一致でなければならないか(→第5講)

⑦最高裁判所は具体的事件を離れて抽象的に違憲審査権を行使できるか(→第8講)

⑧裁判所は高度に政治性を有する問題について違憲審査権を有するか(→第8講)

以下の各講を読み終えたうえで、もう一度、この事例に戻り、様々な立場からの主張を構成できるようになれば、統治機構論に関する学習はかなりの程度まで進んだといえるだろう。

目次

序章—統治機構の学習のポイント
第1講 憲法総論
第2講 国民主権と国民代表制
第3講 国会の地位と権能
第4講 議院内閣制
第5講 内 閣
第6講 財 政
第7講 裁判所の権能と構成
第8講 違憲審査制
第9講 地方自治
第10講 天皇制度
第11講 平和主義と国際協調主義
第12講 憲法の変動と憲法保障
第13講 統治機構の論じ方
「一問一答」解答・解説

書誌情報