『違法捜査と冤罪 捜査官! その行為は違法です。[第2版]』(著:木谷明)

一冊散策| 2024.11.21
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

第二版 はしがき

二〇二一年に公刊した本書旧版は、類書がなかったこともあって、読者に好感を持って受け止められたようである。そのためであろうか、今回、出版社から改訂したい旨の申出を受けた。

定価:税込 2,090円(本体価格 1,900円)

転倒事故による大けが(腰椎圧迫骨折)後の厳しい後遺症の中で孤独に作業したことによるのか、あるいは、加齢による著者の脳の劣化に起因するのかは明らかでないが(多分、その双方であろう)、旧版には、いくつかの明白な誤りが発見されていた。ことがらの本質に関係するものではないにしても、不正確な記載があってはミスリーディングな文献になってしまう。著者は、誤りを可及的速やかに訂正したいと考えていたので、今回の第二版刊行の申出は絶好の機会であった。新たに三件の重要事件を補充するとともに、旧版にあったミスを訂正させていただくことにした。

新たに補充したのは、袴田事件、プレサンス元社長冤罪事件それに大川原化工機事件である。

袴田事件は、周知のとおり、死刑求刑事件について、捜査機関が有罪認定上決定的な証拠である物証をねつ造した(あるいは、その疑いがある)とされた事件である。この事件は、捜査機関が物証をねつ造するという「世にも恐ろしいこと」が現実にあり得ることを実証したものとして、もちろん重要である。しかし、本件は、そのことに止まらず、「いかに優れた裁判官であっても、捜査機関の違法行為を見抜くのは容易でない」事実を示す格好の実例となった。

また、本件は、結果的に見れば「明白な冤罪事件」であったにもかかわらず、その救済に約六〇年という気の遠くなるような長年月を必要とした。六〇年といえば、「生まれたばかりの赤ん坊が、立派なお但さんになる」だけの期間である。人間に与えられた「人生」という限られた時間を、まるまる冤罪からの救済に充てなければならないというのは、どう考えても理不尽極まりない。

そういう意味で、本件は、冤罪からの救済手続を規定する現在の刑事訴訟法第四編(いわゆる「再審法」)に重大な問題がある事実を、改めて突きつけた。現在、日本弁護士連合会が推進している「再審法改正に向けた取組み」は、早急に現実化される必要がある。

他の二件は、平成の終わりから令和にかけて捜査された冤罪事件であり、本書で扱う事件の中で最新のものである。そこでは、昭和二〇年代、三〇年代の事件におけるように、被疑者に肉体的苦痛を与えて自白させる「古典的な拷問」は行われていない。しかし、プレサンス元社長冤罪事件は、「取調べの可視化措置」(録音・録画)によって取調べ状況が客観的に記録されている状況の中で、検察官が「まさかと思われる厳しい取調べ」を行って被疑者を自白に追い込んだ現実を示すものである。他方、大川原化工機事件では、捜査機関(警視庁公安部)が功を焦るあまり、本来輸出規制の対象となり得ない物件を無理やり規制の対象として立件・捜査し検察官が起訴した、いわば「事件そのものをねつ造」したともいえる恐ろしい事件である。本件は、検察官の起訴の取消しによる「公訴棄却決定」によって終局したが、長期勾留中被疑者の一人が病気によって死亡するという最悪の結果を招いた。まことに痛ましい事件といわなければならない。

この二件の例を見ると、捜査機関による違法捜査は、従来の「古典的な違法」から新たなスタイルに転換しつつあるように思われる。この事実は、裁判所に対し、可視化された取調べ状況や長期勾留のもたらす弊害に十分に目を配り、より厳しい姿勢で事件に向き合う必要があることを示唆するものと思われる。

本書は、もともと一般読者を対象としたものではあるが、もし、刑事裁判の実務に携わる者にとって「自戒の書」として受け止めてもらえるのであれば、これ以上の幸せはない。

なお、先に述べた袴田事件は、本来であれば、本書第二章の冒頭で触れるべき事案であるが、近時、再審法改正問題がクローズアップされていることにもかんがみ、本書冒頭に特別に配置することにした。

はじめに──誤判・冤罪はなぜ起きるのか

1 冤罪をなくすために

誤判・冤罪に関する報道は、後を絶たない。そして、身に覚えのない犯罪の嫌疑を受けて、いくら弁解しても聞いてもらえず有罪と認定される者(特に死刑にまで処せられる者)の気持ちを想像すると、冤罪ほど恐ろしいものはないと痛感する。私は、三七年間に及ぶ裁判官生活を通じ、何とかしてこういう悲劇をなくす方法はないかと考えてきた。そして、依頼者と直に接する弁護士となった現在は、その感をますます強めている。

神様ではない人間が裁判を行うものとされている以上、冤罪を「完全になくす」ことは不可能だと割り切るほかはない。裁判システムに完璧なものはないし、いかに優れた裁判官でも、人間である以上、「いつかは必ず判断を誤るものだ」と考えるほかないからである。それでも、冤罪者の味わう苦痛や口惜しさを思うと、われわれ刑事司法の運営に携わる者は、誤判・冤罪を一件でも減らす方向で最大限の努力をする責務があると思う。

そして、そういう観点から最も適切な方法は、過去の誤判・冤罪事例に学ぶことである。過去の冤罪事例がどこでどう誤ったのかを検討していくと、それには、捜査官による違法・不当な行為が介在していることが多いことに容易に気づかされる。そのような不正は、裁判の過程で徹底的に究明されなければならないが、実際の裁判においては、その現実を容易に事実と認めない優柔不断な裁判官が多いのである。捜査官の不正はもちろん許されないが、それを見逃す裁判官は、いっそう罪が重いともいえる。過去の事例におけるこのような不正に学び同種の過ちを冒さないようにするだけで、忌まわしい誤判・冤罪をかなりの程度阻止できるのではないか。

本書にまとめた一連の原稿では、過去の冤罪事件を素材にして、捜査官の違法・不当な行為が冤罪の原因になってきた事実、そして、そのことを裁判官に事実と認めさせるまでにいかに多くの苦労があったかを明らかにする。

本書はもともと、法律専門家向けではなく一般読者を意識して執筆したものである。そのことを考慮して、できるだけ平易な表現に努めたつもりだが、まだ堅苦しいかもしれない。その点は、ご容赦いただくほかない。引用文献は、最小限度に止めることとした。

2 捜査官による偽証・証拠隠滅・偽造(ねつ造)のメカニズム

警察官も検察官も、偽証や証拠のねつ造などをしようと思ってその職に就いた者はいない。みな、真犯人を捕えて社会正義を実現しようと志してその職に就いたはずである。そういう彼らがなぜ違法行為に手を染めるようになるのか。

その点は、捜査官も「捜査官である前に一人の人間である」ということを考えれば容易に理解することができる。凶悪な犯罪が発生して、真犯人の探索に熱意を示した捜査官の努力によって、ようやく犯人らしき人物X(被疑者)を特定して身柄も確保したとしよう。捜査官の長年の「カン」からすると、Xは犯人に間違いないように思われるが、証拠に乏しく、被疑者は容易に犯行を認めない。そのような場合、捜査官はえてして、自分の「カン」を信じるあまり、何とかして被疑者に自白させようと行き過ぎた取調べをして自白させる。しかし、その自白に基づいて起訴された公判において、被告人Xが「こんなにひどい取調べを受けた」と訴えた場合、捜査官は、当然のように、被告人の言い分を真っ向から否定し「紳士的な取調べをした」と虚偽の証言をする。自分が本当のことを証言すれば、自白の任意性・信用性が疑われ真犯人が逃れてしまうと考えるからだ。また、後に述べるように、彼らは、真実を証言すると組織内における自分の立場自体が危うくなることを本能的に理解している。

物証に関する作為の問題も、このことの延長線上にある。ようやく引き出した自白が重要な点で現場の状況など客観的証拠と矛盾するというような事態は、決してそれほどめずらしいことではない。そのような場合に、捜査官が「何とかして自白と客観的証拠の矛盾を解消したい」と考えることは十分あり得ることであり、それも、「一人の人間の心理としては」理解できる。もちろん、その考えを実行に移すことは絶対に許されないことではあるが、このような人間心理を前提とすれば、「その矛盾を解消できないために真犯人が逃げてしまう」と考えた捜査官が、証拠に手を加えないという保証はないと考えるべきである。

そして、捜査官が、仮にそのような違法行為に手を染めてしまった場合、公判廷で、これを認める証言をすることは「まずない」と考えるべきだろう。そういう行動に出れば、その捜査官が組織における立場を失うことは目に見えている。後に述べる二俣(ふたまた)事件(第5回)は、現職の警察官が、捜査の違法(拷問)を思い切って正直に告発・証言したというめずらしい事案である。しかし、この事案における警察官のその後は、組織内の違法を外部に告発した場合、告発した捜査官がいかに過酷な運命をたどるかを明らかにしている。多くの捜査官は、この実例を知っているかどうかは別として、そのような危険を本能的に察知して、容易に違法を認めないと考えるべきである。彼らは、そのような破滅の途をたどることを恐れて、よほど決定的な証拠を突きつけられない限り、違法行為を行ったと認めない。その行動も、通常の人間心理からすれば、容易に理解することができるのである。そして、このような場合、証人として宣誓していることは、偽証を阻止する上で何らの効果がない(この点についても後述する)。

裁判官は、捜査官のこのような心理を理解した上で事実を認定すべきなのだ。

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