コーポレート・ガバナンス改革 — われわれは、どこへ誘(いざな)われるのか(後編)(仮屋広郷)
(前編より)
Ⅲ 未来 - われわれが誘われる世の中
1 サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)
武井が重要性を強調し、その理念を経営哲学・経営理念とする日本の優良企業も多いとしている「SX」というのは、「サステナビリティ・トランスフォーメーション」の略語である。この言葉は、2022年8月30日に経済産業省が公表した「伊藤レポート3.0(SX版伊藤レポート)」— 伊藤邦雄(一橋大学名誉教授)が座長となってとりまとめた「サステナブルな企業価値創造のための長期経営・長期投資に資する対話研究会(SX研究会)報告書」— において提唱されているものである。「伊藤レポート3.0」において、「サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)」は、次のように定義されている。
SXとは、社会のサステナビリティと企業のサステナビリティを「同期化」させていくこと、及びそのために必要な経営・事業変革(トランスフォーメーション)を指す。「同期化」とは、社会の持続可能性に資する長期的な価値提供を行うことを通じて、社会の持続可能性の向上を図るとともに、自社の長期的かつ持続的に成長原資を生み出す力(稼ぐ力)の向上と更なる価値創出へとつなげていくことを意味する1)。
SXの定義は上記のとおりであるが、同レポートは、「今こそ、サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)を実践するときである。これこそが、これからの『稼ぎ方』の本流となっていく」とし、「本レポートは、・・・いわば、日本企業・投資家等が将来に向けて進むべき道を示す『羅針盤』である」と、自信たっぷりに述べている2)。同レポートは、さらにこう述べている3)。
各企業が、競争優位性のある事業活動を通じ、ステークホルダーの抱える課題を解決することで収益を得るとともに、得られた収益を利益分配と将来への投資に振り向けていく「SXの循環」が生み出されれば、「新しい資本主義」が掲げる「成長と分配の好循環」も、より強力なものになることが期待される。
また、「新しい資本主義」において重点投資として位置づけられているGX(グリーン・トランスフォーメーション)についても、気候変動をはじめとする幅広いサステナビリティ課題を対象とするSXの中に位置づけて取り組むことが、両者を一体的かつ効率的に推進していく上で有用である。
その際、SXとGXをさらに効果的かつ迅速に推進していくためには、DX(デジタル・トランスフォーメーション)とも一体的に取り組んでいくことが望まれる。
SXにGXを取り込み4)、DXと一体的に取組みを進めることにより、「新しい資本主義」を更に推進していくことが必要である、というわけである。
2 茶色に染まる世の中
「新しい資本主義」5)は、岸田文雄政権が提唱したものである。2021年10月4日に岸田政権が発足すると、担当大臣を置いてこれが推進されることとなった。2021年という時期に「新しい資本主義」が提唱された背景には、おそらく、2019年の夏に、ビジネス・ラウンドテーブル(アメリカの主要企業の経営者団体)が、多様なステークホルダーを尊重する方針を打ち出したことや、世界経済フォーラムが主催する2020年1月のダボス会議において「資本主義の再定義」がテーマとされ、「ステークホルダー資本主義」が指針として掲げられたことがあるだろう6)。
ともかく、経済産業省が策定・公表しているので当たり前の話ではあるが、「伊藤レポート3.0」は、政府の政策を後押しするために作成された報告書である。われわれは、それを踏まえてこの報告書を読む必要がある。
これとの関連で述べておくと、会社法が施行されて5年近くが経過した2010年末、高名なビジネス・ローヤーとして知られる中村直人は、こう書いていた。会社法や金融商品取引法のルール作りにおいて、「以前に比較して所管官庁の意見がきわめて重視されるようになってきている。以前であれば、所管官庁の意見は一つの説にとどまるものであって、最終的な結論は裁判所に行かなければわからないというのが常識であったが、今では、所管官庁の意見と異なることをすることは実務上考えにくい。さらに所管官庁は、膨大なQ&Aを公表するなどして実務をリードしているが、その作成にも弁護士である職員が関与しているであろうし、利用する側にも弁護士がかかわっている。小さな世界で実質的なルール作りが行われつつある」7)と。平成26年会社法改正直後の2015年、私は、中村の指摘を踏まえて、こう述べた。「私は、近年の『官製コーポレート・ガバナンス改革』を少し恐ろしく思いながら見ている。改革を推進しようとする強い流れの中で、法としての正統性を担保すべき民主的なプロセスの裏付けが乏しく、1つの説にとどまる所管官庁の意見が、実質的に強制されていく傾向(民主主義が迂回されている傾向)を感じるからである」8)と。本稿におけるこれまでの記述からも分かるように、こうした傾向は、当時よりも一段と強くなっている。このような傾向性を持つ社会は、いずれ「茶色」9)に染まる。それは歴史が教えてくれているところでもある10)。
われわれは、今の日本社会に見られるこうした傾向に敏感でなければならない。政府がスローガンとして掲げている「新しい資本主義」が、企業の力を削ぐことに繋がる規制強化を防ぐ(あるいは力を広げるための規制緩和を行う)ための隠れ蓑として使われる可能性があることを考慮すれば、なおさらである。たとえば、カナダの会社法学者のジョエル・バカン(Joel Bakan:ブリティッシュ・コロンビア大学教授)— 彼の診断によれば、株式会社は、基本的に利己的な(self-interested)組織体としての性格を持つサイコパス(institutional psychopath)であるとされている11) — は、2019年の夏にビジネス・ラウンドテーブルが打ち出した方針や、世界経済フォーラムにおいてクラウス・シュワッブ(Klaus Martin Schwab:世界経済フォーラムの創設者)が提唱したステークホルダー資本主義を、そのような角度から捉え、「(括弧付の)よい」会社は、民主主義にとって望ましくない存在であると主張している12)。
3 よき企業者が育たない世の中
「伊藤レポート3.0」を座長としてとりまとめた伊藤邦雄は一橋大学名誉教授であるが、一橋大学の校是は、「Captains of Industry」である。この言葉は、トマス・カーライルの著書『過去と現在』第4編第4章に由来するものである13)。
経営哲学・企業統治の研究者である田中一弘(一橋大学大学院経営管理研究科教授)は、「Captains of Industry」に「産業の指揮官」という訳語をあてて14)、こう述べている15)。
産業の指揮官と聞くと、人によっては金儲けの親玉程度にしか思わないかもしれないが、決してそうではないのである。少なくともカーライルが期待した産業の指揮官は、騎士道精神に根差したよき企業者であった。指揮官である以上、勝つ(競争に勝ち、利益をあげて自社を存続・発展させる)ことが使命であることは当然で、それによって産業や経済の発展に寄与すべきはもちろんである。しかし、それをどのように実現するのか、が肝要なのである。カーライルは、後にマーシャルも言うことになるように、騎士道精神によってそれを実現することを期待した。
ここで求められている企業者像としての産業の指揮官とは、先義後利によってその使命を果たす「戦う君子の商」と軌を一にするものと言ってよい。
「先義後利」というのは、「道徳(義)を経済(利)に優先させる」ことである。渋沢栄一 — 日本資本主義の父と言われる実業家で、一橋大学の恩人でもある(一橋大学の起源である商法講習所の開設〔1875年〕に尽力)— は、論語を算盤に優先させることによる道徳経済合一(=論語と算盤の両立)を説いたが、渋沢の主張の中核にある思想がこれである。田中は、渋沢流の「論語と算盤の両立」という実業家のあり方を「経済士道」と呼んでいる16)。カーライルのいう「産業の指揮官」や、アルフレッド・マーシャル(Alfred Marshall:イギリスの経済学者でケンブリッジ大学教授)のいう「経済騎士道(Economic Chivalry)」と、渋沢の「経済士道」との間に共通性を見出す田中は、近年のコーポレート・ガバナンス改革について、以下のように述べている。
近年のESG/SDGs経営の推進やコーポレート・ガバナンス改革は、このような経済士道に悖る振る舞い、つまり渋沢の「論語と算盤」とは本来相容れない行き方を説き、求めているように見受けられる17)。
渋沢の経営思想は責任によって特徴づけられる。責任ある経営に不可欠なのが、先義後利の経営士道である。経営における責任ということで言えば、今日、ESG/SDGs経営もコーポレート・ガバナンスも企業や企業者の責任と深く関わっていることは論をまたない。しかし現状は、その責任の問題が損得の問題に置き換えられてしまっている。ESG/SDGs経営の推進もコーポレート・ガバナンス改革も、利を先にすることで義を実現しようという、いわば「先利後義」の発想が支配的になっている。この発想による限り、責任ある経営は期待できないであろう18)。
田中が、「伊藤レポート3.0」に典型的に見られるような行き方を批判していることは明らかであろう。なぜなら、「今こそ、サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)を実践するときである。これこそが、これからの『稼ぎ方』の本流となっていく」といった主張は、「サステナビリティに取り組むと、企業として得になるから戦略的に活用していくべきだ」という主張に他ならず、サステナビリティという「義」を標榜してはいるものの、あくまで第一義的に目指しているものは「利」であり、「義」は「利」のための手段に成り下がっているからである。言い換えれば、マモン(Mammon〔富の魔神〕)に仕えること(=「利」を第一とする拝金主義に陥ること)を戒めたカーライルの思想、すなわち、「産業の指揮官」としての本分に反するからである19)。
また、サステナビリティ・トランスフォーメーションが強調される潮流の中、ESG・SDGsといったサステナビリティの強化への取組み度合いを業績連動報酬の評価指標とする企業の動きが活発化しているようであるが20)、田中は、投資家サイドからの強い働きかけによるこうした動きに対しても批判的である。役員報酬を上記のような評価指標に連動させることで経営者にインセンティブを与えるやり方が前提とする企業経営者は、損得勘定に基づいて行動するだけの「計算高い経営者」であり、社会の公器としての企業の経営を預かっているという自覚を持った「責任ある経営者」像からはほど遠いからである21)。つまり、今流行りのコーポレート・ガバナンスが想定するインセンティブ・スキーム — たとえば、CGコード原則4-2は、「経営陣の報酬については、中長期的な会社の業績や潜在的リスクを反映させ、健全な企業家精神の発揮に資するようなインセンティブ付けを行うべきである」とする — には、自己利益の追求を公に認め、自らの損得を第一に考える欲深い経営者を肯定する側面があることを田中は危惧しているわけである22)。
また、田中は、「経営者の規律がコーポレート・ガバナンスの牽制やインセンティブの仕組みの所産である限り、それは経営者の誠実や勇気とは無縁だ、ということである。問題の核心は、自社のコーポレート・ガバナンスの仕組みがどうあれ、経営者自身がその主観的態度において自らの規律をどのように実現するか、にある」23)とも述べている。
要するに、田中は、経営者に「自由で自立的な本体的人間(homo noumenon)」であれ、と言っているわけである。逆に言えば、因果律に規定された「現象的人間(homo phaenomenon)」24)、すなわち、「与えられた環境で最適化・満足化を目指すならこうせよと仮言命令(カント)を発するif-then文的な条件プログラム」25)に支配される人間に成り下がるな、といっているわけである。
コーポレート・ガバナンスの有識者とされる者から、「儲かりたければ(if)、サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)を実践せよ(then)」という条件プログラムが推奨されるような社会において、よき企業者の名に値する「産業の指揮官」26)が育つとは、とても思えない。また、社会において権威と認められる者から、自らの損得を第一に考えて行動することを是とするようなメッセージをもつ報告書が出されたことで、社会にそうした風潮が広がり、株式会社を一層サイコパス化27)させてしまうことになりはしないかと恐れる28)。
Ⅳ おわりに
巷間、「ガバナンスの実質化」とか、「サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)」など、コーポレート・ガバナンス改革をめぐって、標語的な言葉29)— コーポレート・ガバナンス産業のキャッチ・コピーとしてその利益に資するであろうような類の言葉 — が繰り返し登場し、対応策が語られている。このように特定の言説が流行し、運動の観を呈しているときは、一度立ち止まって、冷静に考えてみる必要がある。これは、30年以上前にコーポレート・ガバナンスという言葉が流行り始めた頃、経済学者の三輪芳朗(東京大学名誉教授)が注意を促していたことなのであるが30)、2026年の今も、立ち止まって冷静に考える人は、そう多くないように見える。「現にそのようなSXの理念を経営哲学・経営理念としている日本の優良企業も多い」と武井が述べていたところからもその様子がうかがえる31)。
本稿では、今のコーポレート・ガバナンス改革の先に、「茶色に染まる世の中」や「よき企業者が育たない世の中」が見え隠れしていることを述べた。あまり愉快な話ではなかったと思うが、本稿が、読者諸氏に、現在進行中のコーポレート・ガバナンス改革を、一度立ち止まって、冷静に考えてみるきっかけを提供できているとすれば嬉しく思う。
脚注
| 1. | ↑ | 「伊藤レポート3.0」2頁から引用【PDF】。 |
| 2. | ↑ | 「伊藤レポート3.0」2頁参照。「」内の文章は、同頁から引用。 |
| 3. | ↑ | 以下は、「伊藤レポート3.0」3頁から引用。 |
| 4. | ↑ | SXやGXとの関わりで触れておくと、温暖化の科学は、いまだ結着していない。しかし、マスコミ報道や政治的議論における気候危機論は、拡大し続けている。その背景には、気候産業複合体の存在がある。こうした点については、拙稿「サステナビリティの政治経済学〈起〉〈承〉〈転〉〈結〉— コーポレートガバナンス・コード2021年改訂を契機として —」法学セミナー 809号(2022年)50頁以下、法学セミナー 810号(2022年)38頁以下、法学セミナー 811号(2022年)44頁以下、法学セミナー 812号(2022年)49頁以下を参照されたい。また、拙稿「制度のリアリズム—規制は力ある者たちのためにある」法学セミナー823号(2023年)50頁以下、55頁注32も合わせて参照されたい。 |
| 5. | ↑ | 「新しい資本主義」という名前は、「過度の株主第一主義を諫めて従業員や事業そのものへの分配・投資から始める成長を企図したもので、これまでの新自由主義政策に反省を加えるという意味」(スズキ=倉橋・前編注9)37頁〔スズキトモ発言〕から引用)を込めて付けられたようである。 |
| 6. | ↑ | 田中一弘「『論語と算盤』と『資本主義の再定義』— 経営の責任としての公益追求 —」監査役708号(2020年)22頁以下、24頁参照。 |
| 7. | ↑ | 中村直人「実務からみた商法・会社法の立法過程と会社法制の見直し —『会社法の選択』を読んで —」商事法務1919号(2010年)11頁以下、16頁から引用。なお、2005年に制定された会社法の立法過程をあらためて振り返ると、法としての正統性を担保すべき民主的なプロセスの裏付けが乏しい強引な立法が行われた様子がうかがわれ、問題視されている。これについては、拙稿・前編注6)187頁を参照されたい。 |
| 8. | ↑ | 拙稿・前編注4)111頁~112頁から引用。 |
| 9. | ↑ | フランク・パヴロフ(物語)=ヴィンセント・ギャロ(絵)=高橋哲哉(メッセージ)=藤本一勇(訳)『茶色の朝』(大月書店、2003年)。同書にある高橋哲哉(哲学者で東京大学名誉教授)のメッセージによれば、フランス人にとって、「茶色」は、ナチズム・ファシズム・全体主義を連想させる色—茶シャツ隊(les chemises brunes)はナチスの別名—のようである。 |
| 10. | ↑ | この点については、近年の「官製コーポレート・ガバナンス改革」に潜在する脅威について触れた、拙稿・前編注3)468頁~469頁の記述を参照されたい。 |
| 11. | ↑ | バカンが株式会社をサイコパスと規定する理由は、会社法などの制度的要請として、株式会社は、株主価値の最大化(利益の最大化)による自己にとっての最善の利益を何よりも優先する組織として社会に存在しているからである。後掲注12)に掲載したバカンの著作を参照。 |
| 12. | ↑ | Joel Bakan, The New Corporation: How “Good” Corporations are Bad for Democracy (Harvard Law School Forum on Corporate Governance).この論攷がハーバード・ロースクールのホームページに掲載される前年の2020年、バカンは、上記の論攷とタイトルを同じくする書籍 — 同書は、時代の中核に据えられるべき問題に正面から取り組んだ重要な研究として、ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky:マサチューセッツ工科大学〔MIT〕名誉教授。言語学、政治活動、社会批評の分野で知られる現代の知の巨人)が推薦している — をVINTAGE BOOKSから刊行している。なぜ、近時、ステークホルダー資本主義が言われるようになっているのか。それを理解するためには、バカンのように政治的なレンズを通して(=企業〔株主〕の利益の観点から望ましくない制度が構築されないようにするという政治的な駆け引きの観点から)考えてみることも大切である。アメリカの会社法研究者もこのような目線を持っている。たとえば、Edward Rock, For Whom is the Corporation Managed in 2020?: The Debate over Corporate Purpose, 76 Bus. Law. 363, 389-390 (2021)を参照。なお、世界経済フォーラムに関連して付言しておくと、2024年のダボス会議において、ケビン・ロバーツ(Kevin Roberts:ヘリテージ財団〔Heritage Foundation〕の会長)が、世界経済フォーラムを痛烈に批判し、それが繰り出す提案にはことごとく反対すべきことを主張している。これについては、拙稿・前編注3)472頁を参照されたい。 |
| 13. | ↑ | カーライルについては、前編Ⅱの冒頭を参照。また、『過去と現在』は、こちらから閲覧できる。 |
| 14. | ↑ | 田中一弘『先義後利の経営—渋沢栄一が求めた経済士道』(有斐閣、2024年)180頁参照。 |
| 15. | ↑ | 以下は、田中・前掲注14)183頁から引用。 |
| 16. | ↑ | 田中・前掲注14)6頁参照。 |
| 17. | ↑ | 田中・前掲注14)8頁から引用。 |
| 18. | ↑ | 田中・前掲注14)8頁~9頁から引用。 |
| 19. | ↑ | 田中・前掲注14)181頁には、カーライルが、マモンに仕えることがないよう「産業の指揮官」を戒めていたことが記されている。 |
| 20. | ↑ | 澁谷展由「役員報酬 — 報酬ガバナンス変遷論」商事法務2399号(2025年)27頁以下、32頁参照。 |
| 21. | ↑ | 田中・前掲注14)284頁~285頁参照。 |
| 22. | ↑ | 今から20年ほど前に、著名なアメリカの会社法研究者であるリン・スタウト(当時はUCLA法科大学院教授。後にコーネル大学法科大学院教授で2018年に逝去)も、田中と同様の危惧を表明していた。彼女が危惧していたことは、経営者のエクイティ報酬が広がることを通じて、経営者が利己的に振る舞うことをよしとするメッセージが社会に発信される(=利己的な経営者を前提とした考え方が社会に浸透する)こととなり、社会が利己的な経営者ばかりになるという、「予言の自己成就(self-fulfilling prophecy)」であった。Lynn A. Stout, On the Proper Motives of Corporate Directors (Or, Why You Don’t Want to Invite Homo Economicus to Join Your Board), 28 Del. J. Corp. L. 1, 15-16 (2003)を参照。 |
| 23. | ↑ | 田中・前掲注14)297頁から引用。 |
| 24. | ↑ | 「本体的人間」「現象的人間」に関し、碧海純一『新版 法哲学概論〔全訂第2版補正板〕』(弘文堂、2000年)313頁を参照。 |
| 25. | ↑ | 宮台真司『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎、2017年)257頁から引用。 |
| 26. | ↑ | 「産業の指揮官」は、一橋大学の校是である「Captains of Industry」の訳語であったが、阿部謹也(西洋史の研究者として知られる一橋大学名誉教授)は、一橋大学の学長であった当時、こう述べている。「本学の精神を体現する言葉としてしばしば言及されるCaptain of Industryという言葉は決して産業界の覇権を握るものという意味ではなく、営利至上原則の弊害を理解し、人間愛に目覚めた新しい形の経営者像を意味していたのである」と。「」内の文章は、一橋大学学園史刊行委員会編『一橋大学百二十年史 : Captain of Industryをこえて』(1995年)Ⅱ頁から引用した。 |
| 27. | ↑ | 前掲注11)とそれに関連する本文の記述を参照。 |
| 28. | ↑ | 仮言命令は、「あなたがXを欲するなら、Yせよ(すべし)」という要請である。Yの遂行は、X以外の様々な随伴効果(薬でいえば副作用)を伴いうる。ゆえに、ある目的(X)を実現するために必要な手段たる措置(Y)をとるべきか否かの判断には、随伴効果のコストを負担してまで実現するだけの価値が、望まれた目的にあるかどうかという価値の比較衡量が必要になることに留意しておく必要がある。以上については、井上達夫『生ける世界の法と哲学 — ある反時代的精神の履歴書 —』〔信山社、2020年〕349頁~350頁を参照。 |
| 29. | ↑ | 「標語的な言葉」というのは、「政治の言葉」と同様に、「空虚なものを実質の備わったものに見せようという意図」を持っていることに注意が必要である。「政治の言葉」の特徴については、拙稿「東京電力株主代表訴訟事件に関する覚書き— 法社会学的視座の導入—」一橋法学25巻1号(2026年)187頁以下、191頁注15の記述を参照されたい。 |
| 30. | ↑ | 三輪芳朗「市場における競争の役割」ジュリスト1050号(1994年)94頁以下、94頁参照。 |
| 31. | ↑ | 「どうして日本はここまで横並びに、コードなり、ルールなり要請を受け入れてしまうのか」(スズキ=倉橋・前編注9)39頁〔スズキトモ発言〕から引用)。その一つの理由は、「どこの誰が、何のために、いつ、どの政治家に提案して、その政治家はどの官庁の誰を呼びつけて、云々」(スズキ=倉橋・前編注9)39頁〔スズキトモ発言〕から引用)という、改革の背景にある「制度のリアリズム」に目を向けて思考をめぐらせるような「健全な懐疑精神」を持つ日本人が極端に少ないからであろう。参考までに付言しておくと、私は、別稿において、真に社会的意義が認められるような企業法のあるべき規律を探るには、「ダイナミズム・リアリズムに目を向けた法制度研究」に踏み出す必要があることを論じている。関心のある読者は、拙稿「企業法研究の本質的課題 — 憂鬱な現実の実相と向き合う —」柳武史ほか編『企業法・経済法の本質的課題 — 山部俊文先生古稀記念論文集(仮題)』(中央経済社)所収予定を参照されたい。同書は、2026年秋以降に刊行予定である。 |














