(第21回)日本で最初に上演されたギリシア悲劇作品:Dāvus sum, nōn Oedipūs/私はダーウスだ, オイディプースではない
格言といえばラテン語, ラテン語といえば格言.
Dāvus sum, nōn Oedipūs
ダーウス スム ノーン オイディプース
(私はダーウスだ, オイディプースではない)
「私はダーウスだ,オイディプースではない」
表題に掲げた格言は, テレンティウスの喜劇『アンドロス島の女』(Andria)に登場する奴隷ダーウスが, 自分自身について語った台詞です. オイディプースとは, もちろん古代ギリシアの悲劇詩人ソポクレースによる悲劇『オイディプース王』の主人公の名前です. この言葉は, ひとまず「私はただの人間, すなわち奴隷であって, 英雄のような大人物ではない」という意味として理解することができるでしょう. したがって, この言い回しはローマ喜劇からの引用ですが, その背後には, ギリシア語で書かれたソポクレースの『オイディプース王』が念頭に置かれていると思われます.
文法は難しくありませんが, 念のために説明しておきましょう. sum は、英語の be 動詞に相当するラテン語動詞 sum の1人称単数・直説法現在で, この文の主語が「私」であることが分かります. Dāvus は主格単数ですが, この文では主語ではなく, 「私はダーウスである」という述語名詞として用いられています. nōn の後には sum が省略されていると理解でき, nōn Oedipūs sum, すなわち「私はオイディプースではない」と考えることができます. Oedipūs も主格単数ですが, Dāvus と同様に, 主語「私」に対する述語名詞です.
オイディプースは「謎解きの名手」なのか
ところで, この格言におけるオイディプースは, 「謎解きの名手」として理解される場合があるようです. 確かに, この格言が用いられた文脈, すなわちテレンティウス『アンドロス島の女』(Andria)194行を見ると, 次のようになっています. ダーウス(DA.と略記)とダーウスの主人シモー(SI.と略記).
信州大学人文学部教授。専門は西洋古典学、古代ギリシア語、ラテン語。
東京大学・青山学院大学非常勤講師。早稲田大学卒業、東京大学修士、フランス国立リモージュ大学博士。
古代ギリシア演劇、特に前5世紀の喜劇詩人アリストパネースに関心を持っています。また、ラテン語の文学言語としての発生と発展の歴史にも関心があり、ヨーロッパ文学の起源を、古代ローマを経て、ホメーロスまで遡って研究しています。著書に、『ラテン語名句小辞典:珠玉の名言名句で味わうラテン語の世界』(研究社、2010年)、『ギリシア喜劇全集 第1巻、第4巻、第8巻、別巻(共著)』(岩波書店、2008-11年)など。














