(第4回)社会の「真ん中」が失われた — 独立250年のアメリカ
第二次世界大戦後に築かれた国際秩序がいま大きく変容し、崩れつつあります。その秩序をつくったアメリカのトランプ大統領自らが「法の支配」を無視し、むき出しの強者の論理を押し付けているのです。私たちは、視界不良のまま海図なき航海に乗り出しているのではないでしょうか。とはいえ、現在の私たちがあるのは、過去の歴史の積み上げの結果なのです。世界と日本のこれまでの歩みを振り返り、歴史の知恵を生かして私たちの現在と未来を考える連載を始めます。(毎月上旬更新予定)
「すべての人間は神によって平等につくられ、一定の譲り渡すことのできない権利をあたえられて、その中には生命、自由および幸福の追求が含まれている」
アメリカの独立宣言の冒頭の一節である。この宣言が高らかに発せられてから、今年の7月4日でちょうど250年になる。王国や帝国が当たり前だった時代に、君主が存在しない共和国が誕生したことは、人類史上の画期的事件であり、壮大な実験でもあった。
その後のアメリカの歩みは、必ずしもこの理念どおりではない。先住民族の虐殺や奴隷制の存在、帝国主義的なふるまいなどによってしばしば批判を浴びた。しかし、それでも、苦難に挑戦し続けるアメリカの理想主義や、エネルギッシュな文化は、世界の人々を魅了してきた。だが、そのアメリカがいま、気まぐれな皇帝のようにふるまうトランプ大統領のもとで、世界における指導力と威信を急速に低下させている。
そのことを改めて痛感したのは、6月初旬に都内で開かれたアメリカ学会の年次大会だった。日本のアメリカ研究者が集まった会場を支配していたのは、どこか悲痛なムードだった。
まず、トランプのような大統領の登場を予測も説明もできなかった日本のアメリカ研究への深刻な反省が語られた。「我々はアメリカを本当に理解していたのか」との声が上がった。
もうひとつは、若い学生がアメリカへの関心を失っていることへの危機感である。アメリカ研究のメッカと言われる大学でも、専攻を志望する学生がゼロに近いところまで減っているというのだ。戦後だけをとっても、1950年代の赤狩り(マッカーシズム)や1960年代のベトナム戦争など、アメリカに対して日本社会が厳しいまなざしを向けた時代があったが、アメリカに関する関心そのものが失われたことはなかった。
現在起きているのは、アメリカに対する失望が、興味や関心そのものを失わせているという新しい事態なのである。なぜだろう。アメリカにまつわる何かが、本質的に変わってきているのではないか。
最近自宅の物置を整理していたら、ちょうど半世紀前の古い雑誌が出てきた。米国の週刊誌「ニューズウィーク」の1976年7月4日号、独立200年の特集号である。当時の「ニューズウィーク」誌は発行部数が約400万部に達し、ライバルの「タイム」誌と並んで、アメリカ国内で最も広く読まれていた雑誌のひとつであった。私は当時18歳で、英語好きの少年として、ちょっと背伸びをして購入したものだと思う。
この記念号は、「200歳のアメリカの自画像」と題した特集を組んでいる。アメリカ国民が自国をどうとらえているのか、人々の生の声で構成しているのだ。全米各地の様々な階層や職業の人々に長時間のインタビューを行い、その中から46人を選び、39頁にわたって掲載した。当時の国務長官だったヘンリー・キッシンジャーやノーベル賞を受賞した科学者、大企業の社長といったエリートから、戦場で両足を失ったベトナム帰還兵、ウエイトレス、農業労働者、社会福祉に頼る黒人女性まで、多様な声が集められた。
彼らが口々に語るのは、貧困や治安の悪化、政治への不信である。
実は、1976年のアメリカは、当時の人々の感覚では「どん底」であった。1974年には共和党のニクソン大統領が民主党全国委員会本部への盗聴工作に関与したことで、任期途中の辞任に追い込まれた(ウォーターゲート事件)。1975年には、泥沼化していたベトナム戦争が、サイゴンの陥落、すなわちアメリカが支援していた南ベトナム政府の崩壊という形で決着した。国内外でアメリカの威信は地に堕ちてしまった。同時代のアメリカ国民はそのように感じていた。
しかし、特集号に載った46人のインタビューを読んで驚くのは、こういう悲惨な現実にもかかわらず、多くの人々がアメリカの抱える問題は解決可能だと考え、ポジティブな思考を抱いていたことだ。
例えば、ウェストバージニア州のサム・ムーアさん(33歳)は、3代続く炭鉱労働者だ。政治の腐敗にはうんざりしているが、労働組合に入り、労働環境の改善に取り組む。「父や祖父の代より暮らしは良くなった。今は自分の家も持てる。3人いる息子たちは大学に行って弁護士になってほしいと思っている。」
ニューヨークの名門公立高校に通うヴィンセント・モントゥオーリさん(16歳)は、イタリア系移民の家庭に生まれ、イタリア系の子どもたちが通うカトリックの学校で学んでいたが、父の勧めで公立校に進学した。そこで、世界はイタリア人ばかりでないことに気づいたという。「イタリア系であることに誇りを持て。同時にアメリカ人であることにも誇りを持て」が父の教えである。将来は宇宙飛行士になるのが夢だという。
インタビューの最後を飾るのは、テキサス州のマティー・ホワイトさん(100歳)。南北戦争後の南部に生まれた彼女は、生涯故郷の農村を離れることはなかったが、テキサスで油田が開発され、自動車文明が訪れ、二つの世界大戦がアメリカを変えるのを見つめてきた。「みんな自分のことしか考えなくなった。でも、アメリカが本当にひどいことになっているとは思わない。今までも良い時代も悪い時代もあった。アメリカはこれからも繁栄し続けるでしょう。前を向こうじゃありませんか。」
共通しているのは、独立200年のアメリカは未完成の国家であり、国民が団結すれば、アメリカは豊かで自由な国であり続けるという楽観である。さらに言えば、アメリカの未来への揺るがない信頼なのである。そこには、独立250年の現在のアメリカを蝕んでいる社会の分断は感じられない。「自分の不幸は特定のエスニック集団が政府の予算を食い物にしているからだ」という思い込みや、思想や宗教の違う人々を悪魔扱いするような憎しみは、うかがえない。立場が違っても意見が違っても、同じアメリカ人だという意識、そうした同胞意識が社会の「真ん中」にどっしり存在していたのである。
それから半世紀。アメリカ社会のその「真ん中」が失われてしまった。
その原因については、簡単に説明することは難しい。背景には、新自由主義的政策が社会福祉を崩壊させ、貧富の格差を助長したこと、同じ思想傾向の人々ばかりが集まるデジタル空間が、自分と異なる者への怒りや不満をかきたてる「感情の分極化」を招いたことなどあるだろう。かつては民主党と共和党は、それぞれの陣営内に保守からリベラルまで多様な声を抱えた、支持層が重なり合う二大政党だったのだが、いまや完全に社会を分断する装置になってしまった。
忘れてはならないのは、こういう分断社会がトランプ大統領を生んだのであり、トランプ大統領がこういう社会のあり方を助長している面はあるだろうが、彼本人が原因ではない、むしろ分断社会の産物だということである。トランプ後も共和党ではトランプもどきが続くのか。民主党は代替するビジョンと指導者を示せるのか。しかし、長期的には、アメリカ社会が「真ん中」とも言うべき共通の土台を回復することができるのかが最大の問題であろう。
冒頭にも触れたことだが、様々な欠点がありながらも、日本を含む世界の多くの国でアメリカへの憧れや関心がこれまで続いてきた。それはアメリカが持つ自浄能力、自己修正能力とも言うべき社会の懐の深さに引きつけられてきたからだった。それを担保したのは、「ニューズウィーク」誌の独立200年記念号に象徴されるアメリカ社会の「真ん中」の存在だった。その「真ん中」が抜けてしまったアメリカには魅力がない。だから、世界がアメリカに関心を失い始めている。これがアメリカにまつわる危機の本質ではないだろうか。
三浦俊章(みうら・としあき)元朝日新聞記者。政治部、ワシントン特派員、論説委員、編集委員、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーターなどを歴任。主著に『ブッシュのアメリカ』(岩波新書、2003年)、共訳に『アメリカ大統領演説集』(岩波文庫、2025年)など。
















