(第76回)「危殆化責任の法理」による不法行為の成立範囲の再検討(宮本聡)

弁護士が推す! 実務に役立つ研究論文| 2025.02.05
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(毎月中旬更新予定)

長野史寛「権利の危殆化による不法行為責任」(上)(下)

法学教室531号(2024年)51頁以下、法学教室532号(2025年)65頁以下

民法709条は、不法行為に基づく損害賠償責任について、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」と定める。

このうち、「他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した」という要件(以下「権利利益侵害要件」という。)は、時代を追うにつれて、緩やかに解釈されてきた。最近では、人々の価値観や意識の変化を反映してか、「内心の平穏な感情」などの主観的利益や景観利益などの公共的性格を有する利益を権利利益侵害要件の範囲に含める動き(「被侵害利益の主観化」、「被侵害利益の公共化」とも言われる。)1)、不確実なリスクに対する人々の安心・安全感を権利利益侵害要件の範囲に含める動きが指摘されている2)

本稿は、従来、不法行為の成立範囲の拡大は、権利利益侵害要件に該当するには「法益」(権利利益)の侵害が必要であるという考え方を前提に、「法益」を拡大することによって認められてきたことを指摘し、その例として、①建物所有者が建物の設計・施工者等に対して、建物に基本的安全性を損なう瑕疵があることを理由に、不法行為に基づく損害賠償を請求したケース(法益は、建物の安全性に対する信頼や期待等)、②患者側が医師に対して、(死亡等との因果関係が立証困難な)医療ミスや説明義務違反を理由に、不法行為に基づく損害賠償を請求したケース(法益は、生存等の相当程度の可能性、適切な治療を受ける期待権、意思決定の自由及び機会等)、③ヘリコプターの墜落事故について、ヘリコプターの同乗者が操縦士等に対して、死の恐怖による慰謝料を含む不法行為に基づく損害賠償を請求したケース(法益は、身体権に接続した平穏生活権等)などを挙げる。

本稿は、このように法益を拡大することで不法行為の成立範囲を拡大する考え方(法益アプローチ)について、「新たな法益を措定しさえすればいかなる責任でも恣意的に肯定できることになりかねないという危険をはらむ」などの問題意識を示し、上記のような事例は、法益を侵害するおそれ(危殆化)が生じた段階で、権利利益侵害要件の該当性、不法行為の成立を認めたものと見るべきであるとの見解(「危殆化アプローチ」)を提唱する。

その上で、本稿は、法益の危殆化の段階で不法行為の成立が認められる類型を、(1)侵害回避型(危殆化した権利利益の保全措置をすることで、その侵害が回避軽減される類型。上記①の事案では、建物崩壊等の前に修補等を行うことで権利利益(居住者等の生命、身体、財産等)の侵害が回避軽減される。)、(2)侵害可能性型(因果関係は不明であるが、権利利益の侵害が既に生じた可能性がある類型。上記②の事案。)、(3)侵害非発生型(権利利益の侵害が実際には発生していない類型。上記③の事案。)に分類し、類型ごとに不法行為の成立が認められる正当化根拠、要件、効果等を論じている。

権利利益侵害要件(「他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した」という要件)は、その文言からすれば、少なくとも「他人の権利又は法律上保護される利益」(法益)の「侵害」という2つの要素で構成される。本稿の危殆化アプローチは、これらの要素のうち、「法益」の要素を厳格に捉え、むやみに拡大させない一方で、「侵害」の要素を、侵害のおそれ(危殆化)を含んだものと若干緩やかに解した上で、類型化、具体化することで、不法行為の基準の明確性や予測可能性を高める試みであると思われる。

本稿は、以上の危殆化アプローチについて、「複数の問題領域にまたがる諸判例の点と点をやや大胆とも言える形でつなぎつつ、『危殆化責任』の法理を描き出そうとした。従来の常識を覆そうという試み」であると述べる。

裁判所による法解釈を通じた不法行為の成立範囲の拡大は、権利利益の救済にとって欠かせない動きであるが、立法(政治)過程による審査を経たものではなく3)、また、司法による個別の事件に対する判断という性質上、基準の明確性や予測可能性が保証されたものでもない。不法行為の成立範囲は、多くの個人や企業に影響し、その行動の自由を制約する側面がある以上、学説において、その基準の明確性や予測可能性が高められることが強く望まれる。

本稿の「従来の常識を覆そうという試み」が、今後どのように深められていくのか、注目していきたい。

本論考を読むには
法学教室531号(有斐閣、2024年)
法学教室532号(有斐閣、2025年)


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脚注   [ + ]

1. 吉田克己「現代不法行為法学の課題」法の科学35号143頁以下参照。
2. 吉村良一「不法行為法における権利侵害要件の『再生』」立命館法学321=322号569頁、579頁。
3. 憲法29条2項は、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」として、「財産権の内容」を立法で定めるものとしている。

宮本 聡(みやもと・さとし)
2007年慶應義塾大学法学部卒業。2009年東京大学法科大学院修了。2010年弁護士登録。西村あさひ法律事務所(現西村あさひ法律事務所・外国法共同事業)で企業の危機管理案件を数多く経験後、米国留学(Boston University School of Law (LL.M. )修了)を経て、2017年~2021年に東京地検検事として経済事犯、特殊過失事犯等の捜査に従事。2021年弁護士再登録、現在西村あさひ法律事務所・外国法共同事業パートナー弁護士。主な業務分野は、企業不祥事対応、刑事事件を含む取締当局対応等の危機管理、コンプライアンスや不正防止体制の構築等。主な著書・論稿として『危機管理法大全』(共著、商事法務、2016年)、「不正競争防止法違反事件の刑事裁判における営業秘密秘匿決定制度の実務」(共著、NBL1049号(2015年5月1日号))等。また、西村あさひ法律事務所・外国法共同事業が毎月発行している危機管理ニューズレターの編集委員も務める。