(第96回)デジタルメディアと向き合う裁判所(水谷瑛嗣郎)
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
グーグル検索結果削除請求事件許可抗告決定
検索事業者に対し、自己のプライバシーに属する事実を含む記事等が掲載されたウェブサイトのURL並びに当該ウェブサイトの表題及び抜粋を検索結果から削除することを求めることができる場合—Google検索結果削除事件最高裁決定
(最高裁判所平成29年1月31日第三小法廷決定)
【判例時報2328号10頁掲載】
本決定は、いわゆる「忘れられる権利」について、日本の最高裁がはじめて判断を下したものである。インターネットが広く社会に浸透し、検索エンジンの役割が日増しに高まるにつれ、検索事業者にどのような法的責任が課せられるべきかは長らくの課題であった。この決定において最高裁は、「忘れられる権利」という文言は用いず、「個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益」として処理している。他方で検索事業者をただの情報伝達の導管ではなく一定の場合に検索結果削除の責任を負う存在であることを示した。
ところで憲法学者である筆者は、もともとデジタルメディア時代における報道の自由について研究を進めてきた学徒である。研究を始めた2015年当時において、すでに検索エンジンやソーシャルメディアが果たす機能は無視しえなかった。報道機関とともに、それらが果たす役割についても研究を進めていたその矢先。2017年に下されたこの最高裁決定は、当時の私の目を引いた。検索エンジンにせよ、ソーシャルメディアにせよ、それらの登場により、報道機関という媒介者を挟まずとも、公衆が直接情報を摂取できるようになったと考えるのは「幻想」にすぎない。検索結果を自動的に提供するためのプログラムは、事業者によって「デザイン(設計)」されている。そして設計の仕方次第で、人々が目にする情報の「見え方」は大きく変わる。最高裁は、上記プログラムがまさに「検索事業者の方針に沿った結果を得ることができるように作成されたもの」として、設計者としての検索事業者の存在を的確に捉え、さらに検索結果の提供を「表現行為という側面を有する」という絶妙(または微妙)な言い回しで、発信者自身の表現行為とは異なる形態であることを示した点は印象的であった。
もう一つ、私が強く引きつけられたのは、「検索事業者による検索結果の提供は,……現代社会においてインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしている」という一文であった。脳裏に浮かんだのは、「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するもの」という博多駅テレビフィルム提出命令事件最高裁決定だった。検索事業者が、方針に沿って自動化プログラムを設計することで、検索結果の提供に「表現行為としての側面」が見いだせるとしても、それは報道機関が行っている「編集」という知的営為と同じように評価を受けるべきものなのか。最高裁は、明らかに「否」と答えているように見えた。なぜなら、検索エンジンに関する上記評価の中には、「民主主義」、「国民」、「知る権利」といった報道機関の機能を支える重要なキーワードが不在であったためである。
簡潔が故に謎も多く残している本決定だが、法学分野がデジタルメディアとそれを支える技術をどのように捉え、取り込んでいくかについて、筆者に大いなる刺激を与えてくれた。いまでは検索エンジンが果たしてきた情報検索・摂取のためのツールとしての立ち位置に、あらたに生成AIが参入し、Google検索自体にも「AIモード」が実装されている。上記の決定から10年も経たない間に、デジタルメディア環境は、またガラリとその姿を変えつつある。情報技術の発展と向き合う中で、裁判所は今度はどんな知的刺激に満ちた裁判例を生み出してくれるのだろうか。
※本決定と博多駅事件テレビフィルム提出命令決定とを比較した論稿として、拙稿「『国民の知る権利』の複線」情報法制研究6号(2019年)57-68頁を参照。
◆この記事に関するご意見・ご感想をぜひ、お問い合わせフォームよりお寄せください。
「私の心に残る裁判例」をすべて見る
水谷瑛嗣郎(みずたに・えいじろう 慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所准教授)1986年生まれ。帝京大学法学部助教、関西大学社会学部メディア専攻准教授を経て現職。著書に、『憲法学の現在地 判例・学説から探究する現代的論点』(共著、日本評論社、2020年)、『リーディング メディア法・情報法』(編著、法律文化社、2022年)、『Liberty 2.0 自由論のバージョン・アップはありうるのか?』(共著、弘文堂、2023年)など。












