(第16回)電気処刑執行

渋谷重蔵は冤罪か?―19世紀、アメリカで電気椅子にかけられた日本人(村井敏邦)| 2019.12.23
日本開国から24年、明治の華やかな文明開化の裏側で、電気椅子の露と消えた男がいた。それはどんな事件だったのか。「ジュージロ」の法廷での主張は。当時の日本政府の対応は。ニューヨーク州公文書館に残る裁判資料を読み解きながら、かの地で電気椅子で処刑された日本人「渋谷重蔵」の事件と裁判がいま明らかになる。

(毎月下旬更新予定)

シンシン刑務所第1号処刑

電気椅子処刑の世界的第1号は、ニューヨーク州オーバーン刑務所におけるケムラーの処刑である。この処刑の模様については、次号で扱う。

渋谷重次郎の処刑は、1891年7月7日、シンシン刑務所に設置された電気椅子によって行われた。この時処刑されたのは、スローカム、ウッド、スマイラー、そしてジュージロ-の4人であった。ウッドは黒人、ジュージローは日本人(当時の記事では、「モンゴリアン」と表現されていた)で、他の2人は白人であった。彼ら4人がシンシン刑務所での電気椅子処刑の第1号であり、全世界的には、オーバーン刑務所で処刑されたケムラーに続く第2号である。

当初、シンシン刑務所の処刑第1号を予定されていたのは、強盗殺人罪で死刑が言い渡されたブルックリン生まれの20歳の運転手だった。しかし、彼はニュートライアルが認められため、ジュージローたちが第1号とされた。

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村井敏邦(むらい・としくに 弁護士・一橋大学名誉教授)
1941年大阪府生まれ。一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授などを歴任。『疑わしきは…―ベルショー教授夫人殺人事件』(日本評論社、1995年、共訳)、『民衆から見た罪と罰―民間学としての刑事法学の試み』(花伝社、2005年)ほか、著書多数。