(第16回)事の性質―最高裁薬事法判決(小山剛)

私の心に残る裁判例| 2019.11.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

薬事法違憲判決

薬事法6条2項、4項(これらを準用する同法26条2項)と憲法22条1項

最高裁判所昭和50年4月30日大法廷判決
【判例時報777号8頁掲載】

本判決は、経済的自由の分野における最重要判例であるとともに、最も成功した最高裁憲法判例の一つとして知られる。表記の言葉は、立法府の合理的裁量の範囲は「事の性質上おのずから広狭がありうるのであって、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきものといわなければならない」という説示の中で用いられている。

本判決は、ドイツ連邦憲法裁判所のバイエルン薬局判決の影響を受けたであろうことが指摘されている。実際、「人格的価値」や「社会的相互関連性」など、両判決の共通項は枚挙にいとまがない。「事の性質」という言葉もその一つだと思っていたが、そうではなかった。バイエルン薬局判決でも、「事の性質」と訳しうる“Natur der Sache”や“der Sache nach”等の表現が用いられているが、いずれも別の文脈においてである。そのこともあって、初心な学生の目に、本判決は特別なものに映った。

後になって、「事の性質」が一時期の最高裁の常套句だと知った。昭和51年衆議院議員定数配分規定違憲判決(「事の性質上、その判断にあたつては特に慎重であることを要し」)などで用いられているが、なかには八幡製鉄事件判決(「政党への寄附は、事の性質上」)など、もともと好きではなかった判例も含まれており、本判決の有難味も随分薄れかかった。それが原因ではないが、本判決に対する印象は、むしろ批判的なものとなった。バイエルン薬局判決に寄りかかりつつ、小売市場事件判決という先例に忖度した結果、積極目的か消極目的かによって審査密度を変える(規制目的二分論)という、陳腐な枠組みに至ったという印象である。

その印象が好転したのは、ロースクール発足前夜、何年ぶりかで判決を読み直したことによる。規制目的二分論も、学説が勝手に本判決をそのように読んでいただけであり、本判決自体は、「具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容」に立法裁量の広狭が依存するとしていたのである。「殺し屋」という職業が禁止されるのは当然として、職業としての「売春」を合憲的に禁止できる理由を説明するのは意外に難しいが、規制の目的、方法以外の要素に目を向けることによって、その道筋も見えるように思った。

今後、本判決の輝きが失せるとすれば、それは、職業が「個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものである」との前提が崩れた時であろう。小さな神々に対する信仰と同じく、職業は、人が自己の職業への誇りを持つ限りで人権であり続ける。IT化とAI技術の進展の結果、人間が営んできた職業の多くが機械によって代替され、匠の技もその人限りのものではなくなると、職業は、せいぜい「人が自己の生計を維持するためにする継続的活動」となりかねない。それは、人権としての職業の終焉であり、職業は、公序へと後戻りする。最近の裁判に、彫師に医師免許を要求することが憲法22条1項に違反しないかが争点となったものがある。本人が誇りとする職業を最高裁がどのように扱うか、注目している。

(判例時報2408号臨時増刊『憲法訴訟の実践と理論』には小山先生の論攷「職業と資格―彫師に医師免許は必要か」を掲載。)


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小山剛(こやま・ごう 慶應義塾大学法学部教授)
1960年生まれ。愛知県立女子短期大学講師、名城大学法学部講師・助教授、慶應義塾大学法学部助教授などを経て現職。
著書に、『基本権保護の法理』(成文堂、1998年)、『基本権の内容形成―立法による憲法価値の実現』(尚学社、2004年)、『「憲法上の権利」の作法 第3版』(尚学社、2016年)など。