(第22回)格言による, 格言に対する, 格言の戦い:Medea nunc sum/今こそ私はメデアだ

竪琴にロバ:ラテン語格言のお話(野津寛)| 2026.09.15
格言といえばラテン語, ラテン語といえば格言. みなさんはどんなラテン語の格言をご存知ですか? 日本語でとなえられる格言も, 実はもともとラテン語の格言だったかもしれません. みなさんは, 知らず知らずに日本語で, ラテン語を話しているかもしれません! 実は, ラテン語は至るところに存在します. ラテン語について書かれた本も, ラテン語を学びたいという人も, いま, どんどん増えています. このコラムでは, ラテン語格言やモットーにまつわるお話を通じて, ラテン語の世界を読み解いていきましょう. (毎月下旬更新予定)

 

Medea nunc sum

メデア ヌンク スム

(今こそ私はメデアだ)

日本で繰り返し上演されてきた『メデア』

前回のエッセーではソポクレスの『オイディプス王』を取り上げました. もう少し悲劇の話を続けさせて下さい. 日本においても『オイディプス王』が最も広く知られ, 最も多くの演出家によって取り上げられてきたギリシア悲劇の一つであることに変わりはありません.

しかし, 実際の上演回数という点では, 『メデア』が『オイディプス王』を上回る可能性があるのです. とりわけ, 蜷川幸雄演出・平幹二朗主演の『王女メディア』は, 1978年の初演以後, 国内外で長期にわたって再演を重ね, 日本におけるギリシア悲劇上演を代表するレパートリーとなりました. さらに, 平幹二朗はその晩年には自らの劇団でも同じ『メデア』の上演を重ねていましたし, 渡邊守章や宮城聰による異なる解釈の上演, 蜷川幸雄による2005年の全く新しい演出も加わって, 『メデア』は1970年代以降, 日本の舞台で最も持続的に上演されてきた古代悲劇の一つとなっています.

したがって, 『オイディプス王』が最も広く定着した作品であるとすれば, 『メデア』を再演も含めて最も多く上演された作品とみなしてよいかもしれません.

日本の「メデア」はなぜエウリピデスなのか

古代悲劇の『メデア』としては, エウリピデスのものとセネカのものが伝わっていますが, 日本において『メデア』といえば, 通常まず想起されるのはエウリピデスの悲劇です. その背景には, いくつかの要因が考えられます. 第1に, 近代日本における西洋古典の受容においては, ローマ文学よりもギリシア文学をより根源的で芸術的価値の高いものとみなす傾向が強く存在しました. ギリシア悲劇が西洋演劇の「原点」として評価される一方, セネカの悲劇はしばしばギリシア悲劇の二次的, 修辞的な模倣の産物とみなされ, 研究と翻訳の両面で背後に置かれてきました. 第2に, エウリピデスの『メデア』には早くから複数の日本語訳が存在し, 1970年代には演劇人が利用できる学術的翻訳も整っていたのに対して, セネカの同名作品には, 渡邊守章が1974年に翻訳を出版する以前には, 容易に参照できる完全な日本語訳が存在しなかったのです.

さらに, ピエル・パオロ・パゾリーニの映画『王女メディア』が, 日本におけるメデア像の形成に何らかの影響を与えた可能性も考慮すべきかもしれません. 1969年(日本では1970年)に公開されたこの映画と, 1971年以降に始まる日本での舞台上演との直接的な因果関係は, なお資料による検証を必要とします. しかし, マリア・カラスが演じる異文化的で呪術的なメデアの姿が, この神話を専門家の読書対象から広い観客に開かれた視覚的・演劇的素材へと変えるうえで, 一定の役割を果たした可能性はあります. それでも, この映画の原作として広く認識されたのは, 基本的にはエウリピデスの悲劇でした. その後の蜷川幸雄や宮城聰による上演もこのエウリピデスの系譜に属し, 日本における「メデア=エウリピデス」という結びつきをさらに強固なものにしたと言えるでしょう.

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野津寛(のつ・ひろし)
信州大学人文学部教授。専門は西洋古典学、古代ギリシア語、ラテン語。
東京大学・青山学院大学非常勤講師。早稲田大学卒業、東京大学修士、フランス国立リモージュ大学博士。
古代ギリシア演劇、特に前5世紀の喜劇詩人アリストパネースに関心を持っています。また、ラテン語の文学言語としての発生と発展の歴史にも関心があり、ヨーロッパ文学の起源を、古代ローマを経て、ホメーロスまで遡って研究しています。著書に、『ラテン語名句小辞典:珠玉の名言名句で味わうラテン語の世界』(研究社、2010年)、『ギリシア喜劇全集 第1巻、第4巻、第8巻、別巻(共著)』(岩波書店、2008-11年)など。

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