(第98回)「合理的疑い」とは(坂根真也)

私の心に残る裁判例| 2026.08.03
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

強盗強姦事件最高裁判決

強盗強姦罪の成否に関する事実認定が争われた事例

(最高裁判所平成19年10月10日第一小法廷決定)
【判例時報1988号152頁掲載】

「最高裁裁判官の5人中2人が有罪であることに疑問をもっているのに、有罪を維持することが正しいのか」

それが、この判例を目にしたときの率直な感想であった。

事案と判旨を詳細に紹介する余裕はないが、強盗強姦罪で起訴された被告人が強姦は認めるものの強盗の成立を争い、第1審は強姦罪を認定し、控訴審は破棄の上、強盗強姦罪を認定した上告事件である。結論として、上告が棄却されたが(甲斐中辰夫、才口千晴、涌井紀夫各裁判官の多数意見)、強盗強姦罪が成立することについては合理的疑いを容れない程度の証明があったといえないので差し戻すべきとする横尾和子、泉徳治各裁判官の反対意見が付されていた。

現行法上、有罪無罪の評決は単純多数決で足りるので、抽象的には、下級審では2対1で有罪という場合もあろうとは思ってはいたが、下級審では個別意見は表明されないため、そこは弁護士にとってはブラックボックスであったし、個別意見が付される最高裁においても、本決定に接した当時の私が知る限り、3対2で有罪が維持されたケースを見たのは初めてであった(なお、11対4で有罪となった猿払事件がある)。

私は刑事弁護を中心に活動していたので、率直にいって、3対2で有罪となった被告人(及び弁護人)の立場を想像すると悔やむに悔やみきれないだろうと思ったし、本事案は強盗か強盗強姦かという、いわゆる犯人性や事件性が問題となる「典型的な」無罪(冤罪)主張事件ではないものの、3対2という現実を突きつけられたとき、そのような「典型的な」冤罪事件においても、同様の事態がありうることを思い知らされた(とはいっても本事案も第1審は執行猶予、原審は懲役8年であって、被告人の人生を大きく左右する問題であることに変わりはない)。

私の疑問は単純である。最高裁の裁判官とは、(少なくともあるべき姿として)法律の素養が高く、人格者であって、虚心坦懐に事実と証拠を見ることができる真の意味で尊敬できる人である。そのうちの2人が無罪(かもしれない)と思っている。

憲法では、最高裁長官は内閣の指名に基づく天皇の任命、最高裁裁判官は内閣の任命であり、国民審査の対象にもなる、と定められており、裁判所法では、「最高裁判所の裁判官は、識見の高い、法律の素養のある年齢四十年以上の者の中からこれを任命し」とある。

最高裁裁判官の実際の選任過程は全く知らなかったものの、少なくとも当時の私は、既得権益や人的つながり、政治的な意向等の選任過程への不相当な影響力が多少はあるかもしれないが、法的素養や事実認定に関する能力については、十二分に備えた人が選ばれているであろうという信頼を抱いていた。

そのような、事実認定能力を含め法律家として我が国を代表する裁判官5人のうち2人が有罪認定に疑問を抱いている。まさにそれこそが「合理的疑い」の存在を示していることにならないのだろうか。もちろんサンプルサイズが小さすぎて一般化できないが、3対2とは、100人いれば40人は無罪と考えるかもしれないという可能性を意味する。しかも、その2人は、およそ信用するに値しない独自の意見を述べるような人ではない。

サンプルサイズが小さいということの意味は、もしかしたら有罪派の3人のうち1人が別の最高裁裁判官だったら無罪だったかもしれない、ということでもある(実際に、涌井裁判官の補足意見では、「反対意見のような見方もあり得る」と指摘しつつも、上告審の事実誤認の審査基準を理由に棄却意見となっており、審査基準についての考え方が違えば破棄が多数意見となっていたかもしれない)。

本事案の結論のいずれが正しいかは問題にしていない(本決定を読み進めた当初は、多数意見は十分に説得的であり、反対意見は些末な点を取り上げているにすぎないのではないのかと思った。しかし、反対意見まで読むと、疑問を抱かせるには十分な論拠が示されていた)。

もちろん、法律が単純多数決と規定しているから、という形式的な理由付けを述べることはできるが、私がほしいのはそれが正当化される実質的理由である。いくら考えても、なぜ最高裁の裁判官5人中2人が無罪の疑いを示していることこそが、合理的疑いということにならないのか、いまだにその答えは得られていない。

私にとって、「合理的疑いを容れない程度の証明」とは、「自分が有罪だと確信している状態」では足りず、「自分とは価値観の異なる他者(の大多数)が見ても、有罪だと確信するであろうという状態」であるべきだと思っている。最高裁裁判官3人は、いつも議論を交わし、その素養の高さを信頼している同僚裁判官が2人も「無罪かもしれない」と考えているということは、「もしかしたらその見方が正しいかもしれない、あるいはそのような考え方もあり得る」とは思わないのだろうか。

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坂根真也(さかね・しんや 弁護士)

2004年弁護士登録。

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