(第101回)「政治の藪(political thicket)」に入ること(青井未帆)
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
議員定数不均衡訴訟
1 公職選挙法13条、別表第1及び同法附則7項ないし9項(昭50法63号による改正前のもの)の合憲性
2 選挙が憲法に違反する公職選挙法に基づいて行われたことを選挙無効の原因とする選挙の効力に関する訴訟につき行政事件訴訟法31条1項の規定の基礎に含まれている一般的な法の基本原則に従い当該選挙は違法であるがこれを無効とすべきではないとして請求を棄却するとともに主文で当該選挙の違法を宣言した事例—議員定数配分規定違憲大法廷判決
(最高裁昭和51年4月14日大法廷判決)
【判例時報808号24頁】
最高裁昭和51年4月14日大法廷判決は、議員定数の不均衡という、立法府自身が作り出す選挙制度のあり方に司法府が分け入り、初めて違憲判断を示した判決である。その後、選挙のたびに定数不均衡を争う訴訟が起こされるようになったことは周知のとおりであり、選挙区割りを裁判所が審査することは、いまでは珍しくなくなった。
しかし、今を去ることうん十年、学部生の私にとっては、裁判所がこうした問題に踏み込むことは、依然として新鮮に感じられていた。その背景には、この判決より先に、アメリカの議員定数配分訴訟に関するBaker v. Carr(1962年)を読んでいたことがある。Colegrove v. Green(1946年)で、Frankfurter判事がかつて「政治の藪(political thicket)」と呼んで警告した領域が、司法による権利救済の対象になったのである。Bakerを読んでいたからこそ、昭和51年判決をずっと面白く読めたのだと、今になって思う。
Bakerを読むことになったきっかけは、故・奥平康弘先生である。奥平先生が開設しておられた「Freedom of Expression」という、贅沢にも半期をまるまる表現の自由にあてる学部講義に、私はこの上なく知的に刺激された。博識の先生の話はしばしばさまざまな事柄へと広がったが、やがてちゃんと元の筋に戻ってくる。しかも戻ったときには、最初に見ていたものが少し違って見えた。
さらに、なんとも贅沢きわまりないことに、その後、奥平先生が開かれていた勉強会でBakerを輪読する機会を得たのであった。そこで司法的に扱いうるとされた権利が、その後、実際にどのように「救済」されていったのかが気になって、卒論のテーマにもなった。
学生のころには、裁判所が「政治の藪」に入ることを警告したFrankfurter判事を、なんとも頑固な「親父」だと思ったものである。しかし今では、その警告も少し違って聞こえる。選挙という公的な仕組みの問題を個人の「権利」の問題として構成することで、何が見えるようになり、また何が見えにくくなるのか。
その後、選挙権を単純に個人の「権利」として捉えてよいのか、私自身の理解はずいぶん揺れた。それでも、権利があるというなら、それは裁判のなかでどう「救済」されるのか、という問いは残っている。
昭和51年判決から半世紀が過ぎた。かつて「政治の藪」に司法府が入ること自体が問題だったところから、私たちはずいぶん先まで来た。しかし、最初の問いは案外、古びていない。
さて、憲法上の権利は、果たして「実体的な権利」なのだろうか。
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青井未帆(あおい・みほ 学習院大学)1973年生まれ。信州大学経済学部准教授、成城大学法学部准教授等を経て現職。著書に、『憲法と政治』(岩波新書)、『憲法I――人権〔第2版〕』(共著、有斐閣、2024年)、『憲法II――総論・統治』(共著、有斐閣、2022年)など。














