トランプのイラン戦争と国際法(浅田正彦)
世間を賑わす出来事、社会問題を毎月1本切り出して、法の視点から論じる時事評論。 それがこの「法律時評」です。ぜひ法の世界のダイナミズムを感じてください。
月刊「法律時報」より、毎月掲載。
(毎月下旬更新予定)
◆この記事は「法律時報」98巻6号(2026年6月号)に掲載されているものです。◆
1 はじめに
再び、否、三たびの暴挙である。第二期トランプ政権は、2025年6月にイスラエルと共同でイラン核施設に対する攻撃を行い、2026年1月にベネズエラを攻撃して同国のマドゥーロ大統領を連れ去り、そして同年2月には再度イランに対してイスラエルと共同で大規模な攻撃を行い、その初日に(イスラエルが)イランの最高指導者ハメネイ師を含む多数の幹部を殺害した。本稿では、2026年2月の米国によるイラン攻撃を取り上げ、その国際法的側面を中心に述べることにしたい。
2 2026年2月の攻撃とその潜在的影響

2026年2月28日に始まった米国とイスラエルによる対イラン大規模攻撃は、米国政府というよりもトランプ大統領の個人的な決断で開始された趣がある(イスラエルのネタニヤフ首相からの強い働きかけやベネズエラでの成功体験もあった)。一つはいわゆるエプスタイン文書であり、自身のスキャンダルが大々的に報道されないように、それを上回る重大な事件として戦争を開始したともいえる。トランプ大統領は、この点において一定の成功を収めている。もう一つは、本年の中間選挙に向けて自己の支持率を上げる方策としての利用である。この点では、逆に世論のイラン戦争への反対が強く、失敗しているように見える。
いずれにせよこれらは、トランプ個人、せいぜい米国国内の問題に過ぎない。しかし、その影響は甚大であって、場合によっては世界が国連発足以前、さらには19世紀以前の状況に事実上後戻りする可能性すら、完全には否定できないものである。力のある者、強い軍事力を持つ強大な国は、何をしても許される、そうした世界、法の支配から力の支配への回帰である。これは、2026年1月20日にダボス会議で、カナダのカーニー首相が演説で述べた点ともつながる。今後国際社会は、カーニー首相が「世界秩序の断絶、美しい物語の終焉、そして大国間の地政学が一切の制約を受けない残酷な時代の始まり」と表現した世界になるのか。それは、今後の事態の推移と他国の反応次第によって変わるかもしれない。













