(第95回) 想像と体験の間の果てしない距離(所浩代)
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
ケンウッド事件
転勤命令が権利の濫用に当たらないとされた事例—ケンウッド事件上告審判決
(最高裁判所平成12年1月28日第三小法廷判決)
【判例時報1705号162頁掲載】
大学の講義が中弛みする頃、学生たちとの議論を喚起するために必ず取り上げる事案がある。2000年に示された民間企業における異動命令の違法性が問題となったものだ。
都内の会社に勤務するAさんは、上司に、翌週の月曜から自宅から電車で約2時間かかる職場に異動を命じられた。Aさんは、都内の別の会社に勤務する夫と3歳の長男と暮らしていた。Aさんの通勤時間は、当時約50分。毎朝保育園に長男を送るのは夫婦で分担していたが、夫婦ともに保育園のお迎えに間に合う時間に退社できず、このお迎えと夕食は、お金を払い知人に依頼していた。Aさんは、この状況で更に遠距離通勤となるのは過酷と思い、社内の苦情委員会に相談したが事態は好転しなかった。Aさんが異動先への出社を拒否し続けたところ、会社から1ヶ月の停職処分を受け、最終的には懲戒解雇となった。
授業では、まず、当該異動命令の違法性の判断枠組みとして1986年東亜ペイント事件最判を紹介する。最高裁は、同判決において、当該労働者との間に勤務地限定合意がなく就業規則等に異動条項がある事案では、使用者は転勤命令権を有するが、特段の事情が認められる場合は権利濫用にあたるとしている。ここにいう特段の事情とは、①業務上の必要性がない場合、②業務上の必要性はあるが不当な動機・目的が認められる場合、③業務上の必要性はあるが労働者に「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる」場合である。
本件は③の部分が結論の鍵となるものであるため、授業では、1986年から現在に至る育児環境の変化を説明したあと、今、職場でこの問題が生じたら、裁判官としてどう解決するか、人事担当者として異動対象者をどう選ぶか、労働者として内示を受けたらどうするか等、三者の視点を踏まえながら、具体的な解決策を学生と一緒に話し合う。
授業の最後に、私は最高裁の結論を学生に読み上げる。異動によりAさんが「負うことになる不利益は、必ずしも小さくないが、なお通常甘受すべき程度を著しく超えるとはいえない」。そして、結論を知った学生の表情が複雑であることに、私は毎年安堵する。
教壇の向こう側で私が学生としてこの事件の結論を初めて聞いた時、私にはすでに5歳になる息子がいた。最高裁の判決日を確かめたら、偶然にもその日は彼の出産予定日だった。朝5時前に起き夜7時頃帰宅する。会社に着いた途端に保育園から息子が発熱したとの電話が来る。空腹を抱えて息子と帰宅し冷蔵庫を開けたら飲み物しか入ってない。そんな綱渡りの会社生活を諦めて、大学に戻った矢先に、突き当たった判決だった。
あれから4半世紀が過ぎ、私は大学の教員になり、育介法等の紛争解決実務に直接関わる機会も増えた。労働問題の裏側にある関係者の複雑な事情を知った今では、あの時のように裁判官の想像力の乏しさを単純に批判することはできない。しかし、今でも思うのだ。あの異動を決断する場に、共働きで幼子を育てた人事職員はいたのだろうか。あの判決を書く前に、弁当を詰めて幼子の手を引き保育園まで送り届けた裁判官はいたのだろうか。育児を体験した後にあの決断が下せるのだろうか、と。
想像と体験の間には決して埋まらない距離がある。多様な背景を持つ人の声を聞くこと、他者の靴を履こうと努力すること。それらがこの複雑な世界を少しだけ良きものにする。
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所浩代(ところ・ひろよ 福岡大学教授)北海道大学大学院法学研究科助教、新潟青陵大学准教授を経て現職。著書に『精神疾患と障害差別禁止法---雇用・労働分野における日米法比較研究』(旬報社、2015年)、『同一価値労働同一賃金の実現 : 公平な賃金制度とプロアクティブモデルをめざして』(共著、勁草書房、2022年)、『The Oxford Handbook of the Law of Work』(共著、Oxford University Press、2024年)など。














