希望の灯(松尾陽)
法律時評(法律時報)| 2025.11.27
世間を賑わす出来事、社会問題を毎月1本切り出して、法の視点から論じる時事評論。 それがこの「法律時評」です。ぜひ法の世界のダイナミズムを感じてください。
月刊「法律時報」より、毎月掲載。
(毎月下旬更新予定)
◆この記事は「法律時報」97巻13号(2025年12月号)に掲載されているものです。◆
1 懐かしい未来
太平洋戦争の終わりから80年、21世紀が四半世紀過ぎようとしている。「2025年」という年に過剰な意味を読み込むことは慎むべきであるが、この区切りを一つの手がかりとして現代日本の課題について考えてみたい。
大阪の夢洲で2025年日本国際博覧会(公式の略称は大阪・関西万博)が開催された1)。1970年の日本万国博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」であったのに対して、今回のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」である。どちらの万博でも、来るべき未来社会が構想された。
1970年の万博は未来に対する希望に満ち溢れていたとよく語られる2)。戦後の復興期を経て高度経済成長期の終わり頃に開催された万博であり、人びとは小さな「月の石」に輝かしい未来を見ていた。
今年の万博はこれほどだったとは思えない。参加者の満足度が低かったというわけではない。多くの参加者は各国のパビリオンやドローンのナイト・ショーを楽しんでいた。しかし、それらに人びとが輝かしい未来を見ていたのだろうか3)。
脚注
| 1. | ↑ | この万博を「文化と開発」という観点から分析したのは、片桐直人「EXPO2025」法律時報97巻8号(2025年)1-3頁である。 |
| 2. | ↑ | その時の状況の描写は、吉見俊哉『ポスト戦後社会:シリーズ日本近現代史⑨』(岩波新書、2009年)42頁以下を参照。ただ、当時、このような未来像のみが思い描かれていたわけではない。たとえば、万博でサブ・プロデューサーの立場にあったSF作家小松左京は、公害問題や自動車問題を考慮して、いわば終末論的未来観を抱いていた(彼の小説を読む人からすれば自明だろう)。ただ、終末論的未来観にせよ、どのような未来を思い描くのかについての徹底した考察がそこにはあった。 |
| 3. | ↑ | 万城目学「70年万博の懐古 功罪は20年後に」朝日新聞2025年10月13日朝刊社会面。 |




