『教員の「働き方改革」はなぜ進まないのか—教育・教員の特殊性をふまえた改革提言』(編著:高橋哲)

一冊散策| 2025.11.07
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

はしがき

本書は、学校現場で苦しむ教師たち、そして教師が苦しんでいることを憂慮する保護者、地域住民、さらには、これから教師になろうか迷っている方々に手にとっていただくことを想定しています。後に詳しく紹介する「給特法」という法律を知っている人にも、知らない人にも手に取っていただき、なぜ教師という仕事が、これほどまでに「苦しい職業」となってしまったのかを考えるきっかけとしていただきたいと考えています。

定価:税込 2,530円(本体価格 2,300円)

戦後教育学の代表的論者の一人である宗像誠也は、「教育とは人間の尊さを打ち立てることである」1)と論じています。いま、どれほどの教師たちが学校で子どもの「人間としての尊さ」を打ち立てる教育活動をしているでしょうか? ここでは、そのような教育活動をできていない教師たちを糾弾することを意図していません。むしろ、教師の方々の中に、「人間の尊さ」を打ち立てる教育活動ができていないかもしれないという、後ろめたさや、戸惑い、悔い、ためらいがあるならば、それこそが日本の公教育の希望になるということを伝えたいのです。なぜ、学校で子どもたちの「人間としての尊さ」を打ち立てることができず、むしろその尊厳を踏みにじる教育活動が行われてしまうのか? この要因を一緒に考えたいというのが本書の趣旨です。教師個人の能力や責任を問う以前に、教師をして、どうして「人間の尊さ」を打ち立てることができなくなっているのか、その背景にある構造的問題を明らかにするとともに、その「出口」を提示することが本書の目的です。

本書全体をとおして伝えたいことは大きく二つあります。その一つは、教師はもっと、いま置かれている状況に対して怒ってよいということ、そして、子どもの「人間としての尊さ」を打ち立てるためにこそ、教師はもっと多くのことを望んでよいということです。労働基準法の最低基準すら守られていない現状は早急に改善する必要があり、喫緊の課題ではありますが、この最低基準が守られるだけでは問題解決には至らないことを伝えたいのです。英語で「You deserve it!」というフレーズがあります。「deserve」とは、直訳するならば、「〜に値する」「~されて当然だ」「~する権利がある」ということを意味しています。この本では、子どもの成長・発達に直接かかわる教師が、教師であるためにこそ、その仕事にふさわしい労働条件を獲得することは、まさに「deserve it」なのだということ、さらに、子どものためにより良い教育活動を行うために、あなたはより多くのことを求めてよいのだ(You deserve more!)ということを伝えたいと考えています。子どもの「人間としての尊さ」を打ち立てることができない背景には、日本の教師たち自身が人間として尊重されていない現実、教師という専門職として尊重されていないという事実があります。この事実を各国比較から明らかにすることが本書のねらいの一つです。

もう一つ伝えたいことは、教員の働き方を考えるうえで、議論しなければいけない論点がたくさんあるということです。冒頭にみた給特法のもと、この法律がいかに悪法であるかが注目され、この間、「給特法を廃止するか」「給特法を維持するか」という議論が盛んに行われてきました。しかしながら、アメリカの公教育の崩壊状況を分析し日本の教育改革に警鐘を鳴らす鈴木大裕は、ノーム・チョムスキーの以下の言葉を引用しながら教員の「働き方改革」をめぐる議論の枠組みの狭さを批判しています。すなわち、「民衆を受け身で従順にしておく賢い方法は、議論の枠組みを厳しく制限し、その枠組みの中で活発な議論を奨励することだ」という言葉です2)。本書でも明らかにするように、教員の「働き方改革」にあたり給特法の改廃のみを論じることは、あまりにも狭い議論の枠組みにとどまるものと言わざるを得ません。事実、教員の「職務の特殊性」に応じた労働時間を導入するうえで必要な立法政策は、給特法という単独の法律にとどまりません。にもかかわらず、教員の長時間労働への解決策にあたり、その選択肢を「給特法維持」か「給特法廃止」かという「究極の二択」に閉じることは、議論の範囲を著しく制限したうえで活発に議論させるという、民衆支配の常套手段を強化するものにほかなりません。私たちはこの狭い議論の枠組みのなかで、数少ない選択を迫られ分断されているともいえるでしょう。このため本書は、教員の働き方を論じるうえで、少なくとも検討すべき論点を提示し、議論の枠組みを広げることをねらいとしています。終章では、教員の「職務の特殊性」や専門性に応じた労働時間のあり方に関する具体的提言を示していますが、これも議論の枠組みを広げるための試みです。

このような趣旨のもと、本書は以下のように構成されています。第Ⅰ部では、2025年6月11日に成立した給特法等改正法(以下、「新給特法」とする)を素材として、なぜ、教員の「職務の特殊性」や専門性に応じた労働時間ルールからほど遠い法律がつくられ、教員の「働き方改革」が進まないのかについて論じます。ここでは、新給特法が改正前から内包していた致命的な問題とともに、法改正の結果、教員の長時間労働の是正にも待遇改善にも結びつかない可能性があることを分析し(第1章)、また、この法改正が教師の専門性を度外視するだけでなく、1971年に給特法が制定された当初に示されていた「職務の特殊性」からも乖離していることを明らかにします(第2章)。

第Ⅱ部では、教員の「職務の特殊性」や専門性に応じた働き方を阻む制度的要因について検討します。具体的には、教員の長時間労働の是正に不可欠な教員定数改善がなぜ進まないのかを教職員定数をめぐる法制度を素材に分析し(第3章)、また、定数改善のために必要な予算がなぜ措置されないのかを国家予算からみた教育予算という観点から論じます(第4章)。またその背景となっている日本の教育政策形成の特徴を、当事者排除のもと政治主導で行われる政策決定過程の分析から明らかにします(第5章)。

第Ⅲ部では、日本とは異なる教員の労働時間管理方式をとる諸外国との比較研究をもとに、教員の「職務の特殊性」がどのように労働時間に反映されているのかを検討します。具体的には、地域の教育行政機関と教員組合との団体交渉によって教員の労働時間のあり方が全面的に決定されているアメリカ(第6章)、中央政府による勤務時間管理システムが導入されつつも、具体的な労働時間のルールが地域の教育監と教員組合との団体交渉によって決定されている韓国(第7章)、州の法令によって労働時間管理のルールが定められているドイツ(第8章)、国レベルでの教育省と教員組合との「全国協約」を基礎として、個々の学校で教員との労働契約が結ばれているイギリス(第9章)を分析対象としています。いずれの国も、教員の労働条件が国(州)レベル、もしくは地方レベルで決定されているのか、また、その決定過程に教員の代表である教員組合がどれほど関与しているのかに差異があり、日本に示唆を与えうる国として参照しました。

終章では、これらの各国比較のもと、日本の教員の「働き方改革」で検討されるべき論点を示したうえで、教員の労働時間のあり方について具体的な提言を試みています。これは動かし得ない最善のモデルを示すというよりも、今後、教員の「働き方改革」を進めるうえで避けては通れない法的・制度的要素として提示するものです。

いずれの章もある程度独立した内容によって構成されていますので、読者のみなさんは関心のある章から読み進めていただければと思います。

本書は、日本学術振興会の科学研究費補助金(基盤研究B)「教員の『職務の特殊性』を反映した勤務時間管理の制度モデルに関する国際比較研究」(JP23K25620)による共同研究の成果の一部です。この共同研究は、本書の執筆者を主たる構成メンバーとして遂行されてきました。それぞれの分野のエキスパートに参加いただき、本書に不可欠な知見を提供いただいたことに、この場を借りて御礼を申し上げたいと思います。教員の「職務の特殊性」は、ややをもすると、給特法のもと無定量な「タダ働き」を正当化するマジックワードとして捉えられてしまうところがありますが、この共同研究では、そもそも教員の「職務の特殊性」とは何か、また、各国ではこの特殊性が労働時間管理にどのように反映されているのかを明らかにすることを目的としてきました。また、日本において教員の「職務の特殊性」や専門性に応じた労働時間管理を導入するうえで、足かせとなる法制度は何か、それをどのように改善する必要があるのかまでを明らかにすることを目指していました。本書により、この目的がどこまで達成されたのかは、読者の方々のご批評に委ねさせていただきたいと思います。

本書の出版にあたっては、日本評論社代表取締役の柴田英輔さん、法律編集部の元木宗幸さんに、多大なるご協力をいただきました。出版事情が厳しい社会状況にあって、教員の働き方をめぐる窮状にご理解をいただき、むしろ、現場の意思をまったく反映しない新給特法のような法律ができてしまうことに対する憤りを共有いただけたことは、本書の執筆への大きな後ろ盾となりました。本書のタイトルである『教員の「働き方改革」はなぜ進まないのか』は、この度の新給特法の成立にあたり、落胆しているであろう学校現場の「憤り」や「疑問」に少しでも応える本が必要であるという柴田さんの気概が込められたものです。本書は、新給特法成立直後の「緊急出版」にあたりますが、このタイミングで出すことに意義を有する本であったと思います。この出版企画にご理解・ご協力をいただきました柴田さん、元木さんに心より御礼を申し上げます。

教員の長時間労働是正に必要な法制度改革は、新給特法の成立をもって終わりではなく、むしろ、いまだに検討されていない重要な法的・制度的要素がたくさんあり、次の法改正に向けて議論を蓄積する必要があります。子どもたちの「人間としての尊さ」が日本の学校現場で育まれるために、本書が、教師としての現状への「憤り」を刺激し、また、教員の「働き方改革」をめぐる議論の枠組みを少しでも広げることを願っています。

2025年夏
執筆者を代表して 高橋 哲

終章 教員の「職務の特殊性」にもとづく労働時間モデルへの提言(一部抜粋)

目次

第Ⅰ部 教員の「働き方改革」はなぜ進まないのか

第1章 なぜ「学校における働き方改革」は失敗するのか?—迷走する新給特法を解剖する

第2章 なぜ教職の特殊性、専門性は無視されるのか?—専門的裁量時間を保障するために

第Ⅱ部 何が改革を阻んでいるのか

第3章 なぜ教員数が増やされないのか?—義務標準法「乗ずる数」を知っていますか?

第4章 なぜ教育にお金がまわらないのか?

第5章 なぜ現場の声が反映されないのか?—日本固有の教育政策過程の問題

第Ⅲ部 諸外国にある学ぶべきオルタナティブと日本での実現可能性

第6章 なぜアメリカでは現場の声が反映されるのか?

第7章 なぜ韓国の「働き方改革」は進んだか?

第8章 なぜドイツの教員は早く帰宅できるのか?

第9章 なぜイギリスの教員は授業に集中できるのか?

第Ⅳ部 教員の勤務時間管理法制のベストミックス

終章 教員の「職務の特殊性」にもとづく労働時間モデルへの提言

書誌情報


脚注   [ + ]

1. 宗像誠也『私の人間宣言』(岩波新書、1958年)1頁。
2. 鈴木大裕『崩壊する日本の公教育』(新英社新書、2024年)163頁。