(第81回)公共の福祉対公共の福祉—終わらない宿題(大林啓吾)

私の心に残る裁判例| 2025.02.03
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

牧会活動事件判決

教会牧師が建造物侵入等の事件の犯人として警察より追及を受けている高校生二名を教会教育館に約一週間にわたり宿泊させた行為につき、正当な業務行為であるとして無罪を言い渡した事例

神戸簡易裁判所昭和50年2月20日判決
【判例時報768号3頁】

「おや」と首を傾げた判決である。目に留まったのは次の一節。「……宗教行為でありかつ公共の福祉に奉仕する牧会活動であるとき、同じく公共の福祉を窺極の目標……とする刑罰法規との間において、その行為が後者に触れるとき、公共の福祉的価値において、常に後者が前者に優越し、その行為は公共の福祉に反する……ものと解するのは、余りに観念的かつ性急に過ぎる……両者は……性格を全く異にしながら公共の福祉において相互に補完し合うもので、同時的又は順位的に両立しうる関係にある」。かかる判示は、権利制約を正当化する根拠としての公共の福祉、という一般論法といささか趣を異にする。本判決は憲法上の権利を主張する側の行動が公共の福祉に該当し、かつその規制も公共の福祉目的であるという。その後、判決は両者を比較衡量によって優劣を判断しているが、それは恰も<公共の福祉対公共の福祉>の構図を示しているに他ならない。

これはいったいどういうことか。憲法が一部の人権規定において「公共の福祉に反しない限り」と定める以上、その対抗関係は<公共の福祉対人権>のはずである。また、人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的衡平の原理という定義が公共の福祉を内在的制約にとどめようとする試みであるとすれば、その対立構造もあくまで<(人権に内在する)公共の福祉対人権>を想定しているはずである。待てよ、よく考えてみれば、人権相互の矛盾・衝突を<人権対人権>の構図と捉えて<公共の福祉対公共の福祉>に読み替えることができそうな気がしなくもない。いや、そうなると人権に内在する公共の福祉という構造を読み取れなくなってしまう。ゆえに、本判決のように人権を公共の福祉目的として位置付けてしまうことには抵抗感にも似たような違和感が残る。爾来、機会ある毎に逡巡してきたが、未だ納得のいく解を見つけられずにいる。

関連して、近年気になるのがパターナリズムは公共の福祉に含まれるのか、という論点である。近時、公衆衛生分野でパターナリズム、とりわけソフトパターナリズムの手法を用いることが増えており、日本のコロナ対策もそれに類似の側面があったように思える。かかる規制手法も人権を制約するとすれば、公共の福祉に基づかなければならないはずである。だが、先の通説的定義に本人保護が含まれるのかどうかは検討の余地がある。また、憲法学ではパターナリズムを限定的に捉えるアプローチが有力に唱えられてきたことを踏まえると、尚更検討を要する問題であろう。仮に公共の福祉として捉えた場合、特にソフトパターナリズムのような制約程度の弱い規制手法を権利侵害行為として浮上させることになって権利救済に資する可能性をはらむ。だが、その反面、公共の福祉の射程を広げてしまい、人権制約の幅を拡大させてしまうおそれもある。あるいは公共の福祉に公益概念を追加してこの種の規制手法もそこに含めてしまう方法もあるかもしれない。そのときは牧会活動事件判決のような権利行使を公共の福祉とリンクさせる手法も包含することになるだろうか。直観的には単に射程を広げるだけではあの転換を説明できないように思えるところであり、やはり一筋縄ではいかないようである。

結局、今回も解を見つけることができなかったわけであるが、牧会活動事件判決は私にとって公共の福祉とは何かを考えさせる判決である。そしてそれは公共の福祉にとどまらず、下級審の裁判例が果たす問題提起機能を示す好例であるようにも思われる。その是非を問う声もあるだろうが、個人的には下級審ひいては裁判官が出す宿題が関心を惹いてやまない。


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大林啓吾(おおばやし・けいご 慶應義塾大学教授)
1979年生まれ。千葉大学大学院専門法務研究科教授などを経て現職。
著書に、『アメリカ憲法と執行特権---権力分立原理の動態』(成文堂、2008年)、『憲法とリスク---行政国家における憲法秩序』(弘文堂、2015年)、『公衆衛生法---感染症編』(弘文堂、2022年)など。また、編著に、『アメリカの憲法訴訟手続』(成文堂、2020年)、翻訳に、デイヴィッド・ストラウス著『生ける憲法』(勁草書房、2024年)などがある。