『近現代日本の警察と国家・地域』(著:大日方純夫)
序論 警察史の射程と視圏
庶民(住民)は日常生活のさまざまな局面で警察とかかわらざるをえない。犯罪捜査や防犯活動、交通事故や営業規制などにとどまらず、日常的な地域の生活・安全とかかわる局面で、警察が登場してこない場合はない。街を歩けば必ず〝交番〟に出会う。交番とは、地域に配置された警察の最先端機関であり、一九九四年までは派出所が正式名称であった。現在は外国人にわかりやすいようにと、ローマ字で「KOBAN」と書いたシンボルマーク入り案内板が掲げられたりしている。主に本署所在の市街地に設けられ、複数の警察官が交替で勤務する交番に対して、本署から離れた周辺地域には駐在所が設置されている。警察官の住宅が付設されており、警察官が家族とともに住みながら勤務することを基本としている。交番・駐在所、ともに警察署の下部におかれた警察の末端機関である。
こうした直接的な体験ばかりでなく、各種メディアを通じて、警察は頻繁に家庭生活のなかに登場している。事件を報じるニュースは当然のこととして、テレビ・映画や小説の世界でも刑事物は花形であり、犯罪を扱ったドラマには警察官が登場する。〝刑事〟とは犯罪の捜査や被疑者の逮捕などを行う警察官の通称であり、階級では巡査・巡査部長などが該当する。通常、私服で職務にあたっている。
他方で、警察の権限拡張や人権侵害、警察官の腐敗・犯罪などが世上の話題となることもしばしばである。プライバシーの侵害や政治警察への傾斜を危ぶむ声も強い。
いったい、この日本に警察はどのように登場し、国家・社会のなかでどのようなあり方を示しながら、現在に至っているのか。警察が近代日本に誕生したのは、果たして殺人・強盗といた犯罪を捜査・摘発するためだったのか。警察は国家にとってどのような役割を果たしてきたのか。地域のなかに配置された警察署や〝交番〟は、一体、何をしてきたのか。それは、地域社会のあり方や住民の日常生活といかにかかわっていたのか。
詳しくは序章で述べるが、近代日本の警察は、一八七四(明治七)年一月、全国警察の統轄機関として内務省に警保寮が設置され、また、首都警察として東京警視庁が設置されたときに始まる。以後、中央の内務省警保寮(のち警保局)のもとに、各地方に警察本署(警察本部)を設置し、さらにそのもとに警察署を配置することによって、中央集権的な警察制度の確立が目ざされていった。
その後、地方「自治」制とあわせて、受持巡査を受持区域内に駐在させ、その宿所を駐在所とする制度が発足した。一八八八年一〇月制定の「警察官吏配置及勤務概則」にもとづいて、翌八九年にかけて設置された。区(市)においては人口五〇〇~一五〇〇人、その他の町村では人口一五〇〇~三〇〇〇人につき一人の割合で巡査が配置され、全国津々浦々まで警察の網の目がはりめぐらされた。都市部の派出所とこの駐在所をそれぞれの警察署がまとめあげ、これを中央政府に直結した府県の警察本部が管轄した。こうして、近代日本の警察は中央集権的・国家的な性格をもって確立され、機能していった。近代日本の警察は、派出所と駐在所を拠点として犯罪・事故の警戒・監視・摘発にあたるとともに、民衆の動静に目を光らせ、さまざまな情報を収集していった。その実際については、第一章・第二章をはじめとして、各章で扱うことにする。なお、東京の警察である警視庁は、他府県の警察が知事のもとに置かれていたのとは異なり、東京府から独立した政府直属の警察であった。
また、近代日本の警察は、一八七四年一月の発足の際、犯人の捜査や逮捕などにあたる司法警察と、社会の安全や秩序に対する障害を事前に防ぐ行政警察に警察の役割を区分したうえで、行政警察こそが内務行政としての警察の基本だと宣言した。以後、警察は行政警察中心主義を基本理念として確立され、警察の権限は衛生・風俗・営業など、民衆の生活とかかわる広範な行政領域に及んだ。その実際については各章で扱う。
近代日本警察のこのようなあり方は、一九四五年の敗戦後、占領下で進められた警察改革によって〝否定〟され、一九四七年一二月、警察法が公布された。これによって警察の地方分権化がはかられ、自治体警察と国家地方警察の二本立てとなった。また、警察の活動は消極的な治安事務のほかは、司法警察事務に限られることとなった。その簡単な経緯は序章で扱う。また、第七章でその実際・実態を垣間見る。
しかし、一九五四年六月、警察法は全面改正され、その結果、警察は都道府県警察に一本化された。また、これを指揮監督する中央官庁として警察庁が設置された。中央集権的な要素が強められ、これが現在に至っているが、その後の経過については終章を参照されたい。
(1) 自分史としての警察史研究――半世紀を振り返って
なぜ警察の歴史なのか。私は一九七三年九月、修士論文のテーマとして近代日本の警察史を選んだ。当時、歴史学界が人民闘争史研究の全盛期であったこともあって、もともとの研究関心は農民一揆にあったが、あえてこの時、テーマを変更した。そして、一九七五年一月、修士論文「東京警視庁の創置と転回」を提出した。以来約五〇年、近代日本の警察史を研究テーマの一つとしてきた。
テーマ設定にいたった理由はさまざまあるものの、最大の理由は、近代日本の警察が巨大な影響力をもっていたにもかかわらず、ほとんどまともには歴史研究の対象にされてこなかったことにあった。警察史の研究といえば、ごくかぎられた警察OBの手になるものか、警察当局が編纂した各都道府県の警察史しかなかった。広中俊雄氏の『戦後日本の警察』(岩波新書)をはじめとして1)、法学者による歴史的な分析もあり2)、大いに示唆を得たが、歴史学プロパーからの警察史研究は皆無に近かった。
では、なぜ、これまで歴史学において科学的分析のメスが加えられていなかったのか。それは、史料が公にされていないという事情にもよる。敗戦によってなくなった旧軍隊とは異なり、警察は戦後、改革されたとはいえ、戦前の流れを引きついで、閉鎖性が強く、軍事史研究以上に史料的な制約が大きい。しかし、史料があるからテーマが成立するのではない。課題が設定されることによって史料は発掘される。したがって、本質的な問題は課題意識が成立していなかったことにあると言わなければならない。
とはいえ、俯瞰的に見てみると、私のテーマ変更は歴史学界の大きな関心が国家史研究に向けられてきていた時期に照応していたともいえる。林英夫氏は『日本における歴史学の発達と現状Ⅴ』の中で、「一九七三年頃をほぼ境にして、人民闘争史研究から国家史研究へと重点が推移した」3)と書いている。やや後になるが、一九七五~七六年には「人民に対置される」国家の「形成・推移・消滅の過程」を歴史的に解明することをめざした『大系日本国家史』全五巻(東京大学出版会)が刊行された。こうした研究動向に励まされながら研究をつづけた。
その後、近代警察成立期の研究を継続するとともに、博士課程では対象とする時期を大正デモクラシー期に移して、確立した警察が「デモクラシー」に直面したとき、どのようなありようを示したのか、その変容・再編の状況を探った。今から思えば、そこには、民衆の運動のあり方が警察のあり方をいかに規定したのかという当初の関心・発想があったのかもしれない。なぜなら、大正デモクラシーは人民闘争史研究のなかで注目された日比谷焼打ち事件によって幕をあけたからである。米騒動にいたる都市民衆騒擾が警察のあり方をどう規定したのかに関心を向けた。
そうしたなかで雑誌『法学セミナー』に「警察と民衆」を連載する機会を得、一九八七年七月、これをまとめて『天皇制警察と民衆』(日本評論社)を刊行した。近代警察の誕生から敗戦後の警察改革までを扱った通史である。同書の「まえがき」に私はつぎのように書いた。
人はより問題をより根本からとらえかえそうとする時、しばしば歴史にたちかえる。未来に関する展望は、過去に対する歴史的省察を通じてきりひらかれる。本書の主題である警察もまた、一九八〇年代の後半をむかえたいま、そのような根本からのとらえかえしを迫られていると言わなければならない。それは、二つの意味においてそうである。第一に、内部告発を含めて、これまでの警察のあり方、体質に対する批判が噴出しているという点において。(中略)第二に、警察の権限拡張、「警察国家」化を危ぶむ声が大きくなっているという点において。
歴史の対象は過去にあるが、過去に目を向けるその視線は現在から注がれており、その視線を反転させることによって、未来への課題が見えてくる。そうした歴史学のあり方は、警察を対象とする際にも肝要だと考えたのである。また、警察を〝手術〟(分析)するため、四本のメス(視点・方法)を揃えてみた。①警察は誰の利益を追求しているのか、②警察は民衆にどう対したのか、③社会状況、民衆のあり方が、警察の内部にどう反映し、影響を及ぼしたのか、④民衆は警察をどう見たのか、この四つ視点・方法によって民衆史の立場から警察を分析してみようとした。
「人民」の側と「権力」の側を両睨みし、また、民衆史研究と国家史研究の二足の草鞋をはく立場からすれば、相互関係を問うことは不可欠の課題であった。また、警察の歴史を警察だけの歴史や、制度史・取締り史にとどめることなく、日本近代史の大きな流れ、時代の構造のなかで描き出すことを狙った。したがって、構成は、「Ⅰ 維新の改革のなかで」、「Ⅱ 確立される「国家」のなかで」、「Ⅲ 「大正デモクラシー」のもとで」、「Ⅳ ファシズムと戦争のもとで」、「Ⅴ 敗戦――そして、今」、となった。
つづいて、一九九〇年一一月刊行の『官僚制 警察』〈日本近代思想大系のなかの一巻〉(岩波書店)に近代警察の成立期に関する史料をまとめ、これをふまえて一九九二年一一月には『日本近代国家の成立と警察』(校倉書房)を刊行した。同書で提示した四つの「方法的視点」(①警察の本質、②警察力の発動のあり方、警察への機能論的接近、③警察に対する内的分析、警察の内部構造、④民衆の警察認識)は、『天皇制警察と民衆』の四本のメスを敷衍したものである。同時に、同書には国家と人民、権力と民衆という対抗軸だけでなく、その後、取り組んできた社会史的関心からの研究を組み込んだ。その背景には、国家史から社会史へという、歴史学における研究潮流の推移があった。
さらに、その後の時期の警察の歴史を中心に、一九九三年三月、『警察の社会史』(岩波書店〈新書〉)を書いた。「序章 警察廃止をめぐる二つの事件」で日比谷焼打ち事件から始めたように、同書で主に扱ったのは、大正デモクラシーの時期の警察であった4)。「Ⅰ 行政警察の論理と領域」で前提となる明治期の警察の中心機能を概観したうえで、「Ⅱ 変動する警察」、「Ⅲ 「警察の民衆化」と「民衆の警察化」」、「Ⅳ 「国民警察」のゆくえ」で、大正デモクラシー期の警察のあり方を追究し、「終章 戦後警察への軌跡」で、その後を見通した。しかし、いずれにしても、警察史研究にかかわる難題は、つぎの点にある。
警察関係史料の秘密性と閉鎖性はしばしば指摘されることであり、それが研究の進展をさまたげるネックになっていることはいうまでもない。その意味で、今のところ警察の周辺に残されたさまざまな史料を総動員して、いわば「外堀」を埋めながら「本丸」に迫っていかざるをえないのが現状である。「本丸」を直撃することができないもどかしさを感じつつも、当面、この気の滅入るような作業を根気よくつづけていかざるをえないといえよう。(『警察の社会史』「あとがき」)
警察は日常生活のすみずみまで入りこんで現実に権力を行使する。したがって、その実態がわからないと、本当のところは見えてこない。そこで、制度的な史料ではなく、地域末端での警察の実態を何とか知りたいと思い、ずっと巡査の日記を探していた。そうしたなかで、明治期のある巡査の日記を活字化して刊行した茅ヶ崎市から、その本の書評依頼があった。この日記によって明治期の地域警察の実態をかなりリアルにつかむことができた。
一九九九年四月からの一年間、私は早稲田大学大学院文学研究科で「日本近代の社会的編成と警察力」をテーマに講義した。その際、講義要項にはつぎのように書いた。
近年、社会史的な研究の進展とともに、日本史・世界史を問わず、警察にかかわる言及が画期的な増加をみせている。それは、警察がいわば社会の陰画ともいうべき部分と深くかかわっているからであろう。そうした警察の機能は、とくに近代日本の場合、比類なく大きいと言わなければならない。なぜなら、警察こそは機構的に地域社会の内部に恒常的に配置され、地域社会を網羅的・日常的に把握する役割を担った機関であり、また、機能的には民衆生活とかかわる多面的な領域を担当し、社会矛盾に即応しつつその機能を展開させつづけたからである。そこで、今回はこうした警察の独自の役割に注目しつつ、警察史のメスによって、日本近代の社会的編成に分析を加えてみることにしたい。それを通じて、近年、近代史の領域において比重を増している社会史的な研究動向や「国民国家」論にも一石を投ずることができれば幸いである。
社会史的な視点・方法によって警察の問題に迫ってみようと考えたのである。この講義を踏まえて、二〇〇〇年四月、『近代日本の警察と地域社会』(筑摩書房)を刊行した。結果として、同書では地域社会との関係にこだわりつつ、近代日本の歴史の流れのなかで、警察がどのようなあり方を示し、どのような役割を演じてきたのかに迫ることになった。そこには、地域に対する関心を強めていた当時の歴史学における研究潮流が反映していた。叙述にあたって重視したのは、①地方・地域の社会状況に注意すること、②民衆とのかかわり、地域住民とのかかわりを重視すること、③制度よりも実態、仕組み(機構)よりも働き(機能)に関心をもつこと、④内部に矛盾をかかえた組織体として警察を見ること、⑤警察を構成する個人(一般の警察官)にも焦点をあてること、であった。
(2) 警察史研究の現状――歴史学における警察への注目
① 警察史の視圏――世界史のなかで
私が『近代日本の警察と地域社会』を世に出したのは二〇世紀末であったが、二一世紀に入ると、歴史学レベルでも警察史への関心が高まり、二〇〇九年一一月・一二月には、『歴史学研究』が「近代警察像の再検討」を特集した5)。同特集は、「警察は犯罪予防から行政・風俗の教導に至るまで人々と幅広い接点を持つ強力な「機構」として、国民国家・植民地の統治を支える中枢になっていった」として、「国家(植民地)権力と人々との複雑な関係性」のなかで、「警察」が成立する歴史過程を、「下から」動態的に捉え直すべきことを提起した。
また、二〇一二年一月には、私も編集に参加した『近代ヨーロッパの探究⑬ 警察』(ミネルヴァ書房)が刊行された。「ヨーロッパ近代の探究」シリーズのなかの一冊である。私はこの本の編集を通じて非常に多くのことを学んだが、とくに比較史の重要性を強く感じた。第Ⅰ部の「近世」でドイツ・フランス・ロンドンを取り上げ、第Ⅱ部の「近代」でドイツ・フランス・イギリスを扱ったうえで、第Ⅲ部では「非ヨーロッパ」のアメリカ・日本・朝鮮・シンガポールにも分析を及ぼしている。私はこの本の「あとがき」でつぎのように書いた。
本書によって、それぞれの国・地域における警察が、いかなる状況に当面しながら成立し、編成されていったのかが、近世から近代への移行という縦軸(時間軸)の推移だけでなく、相互の比較・関連という横軸(空間軸)の検証を通じても明らかになってこよう。そこでは、警察の組織・編成・権限といった制度上の問題だけでなく、地域社会とのかかわりや、都市化・工業化との関係、人の移動との関係(移動者・移民・外国人に対する監視)など、活動実態に即した接近が試みられている。また、私人を排除した警察という組織の編成のされ方の特徴、警察官の出自・性格などが問題とされ、制服や武装の状況(丸腰か否か)などにも関心が向けられている。そして、警察と警察以外の組織、とくに軍隊や司法との関係が検討されている。
共編者の林田敏子氏は「序章」で、「警察が国家と不可分な関係にある以上、その歴史がナショナル・ヒストリーに帰着するのは避けがたく、警察研究は長らく一国史の枠組みのなかで行われてきた」が、一九九〇年代に入ると、ヨーロッパを中心に、比較研究の成果が次々に発表されるようになったと指摘している。近代日本の警察も、そうした広い視野のなかでとらえるべきことが痛感されたのである。
一方、朝鮮史では、近代日本警察史に関する研究を参照しながら、日本の朝鮮支配を警察に焦点をあてて解明しようとする研究が展開され、その成果が相次いでまとめられた。二〇〇八年一一月の愼蒼宇『植民地朝鮮の警察と民衆世界 1894-1919』(有志舎)は、「民衆史・社会史的な視点」から、「近代朝鮮における警察と民衆の関係性」を解明しようとした。また、二〇〇九年三月の松田利彦氏の大著『日本の朝鮮植民地支配と警察 1905-1945』(校倉書房)は、「膨大な警察末端職員は現地社会における植民地支配の体現者にほかならなかった」として、「警察の問題を除外して日本の朝鮮支配を語れない」という立場から、日本の朝鮮植民地支配を究明した画期的な研究であった。さらに、二〇二二年一〇月の伊藤俊介『近代朝鮮の甲午改革と王権・警察・民衆』(有志舎)は、警察制度の解明を通じて甲午改革の本質的な性格に迫ろうとした。警察に焦点をあてた本格的な朝鮮史研究が出現し、近代・民衆のあり方や植民地支配政策の解明が進められてきたのである。
中国史においても、二〇一五年九月、太田出『中国近世の罪と罰』(名古屋大学出版会)が刊行された。同書は、「警察(近世社会にあっては軍隊と未分化な状態にあった)、監獄(近代における自由刑執行機関としての監獄とは性格を異にする)などをめぐる諸問題」は、「国家権力が犯罪者ないし潜在的犯罪者といった〝秩序を脅かす(あるいは脅かすであろう)〟と見なされる者を、いかに取締り・監視・管理・処罰しようとしたかなど、すぐれて政治的な仕組みを集約的に表現する」として、その解明は「政治史・制度史・法制史・刑罰史にとって極めて重要な検討課題」だと主張した。
なお、日本における台湾史研究では、台湾総督府の「理蕃」体制(統治の担い手としての警察)に検討が加えられていた6)が、近年は巡査・巡査補に注目して現地の人々(先住民)との関係を問おうとする研究が現れている7)。
② 警察史の射程――国家と民衆の間で
これらの朝鮮史・中国史の研究状況に対し、日本史の場合、警察史研究そのものは、依然として必ずしも盛んではない。しかし、警察とかかわる研究や警察史をふまえた研究は、かなりの盛況を呈している。それは、警察そのものが極めて広い領域で社会のあり方、民衆のあり方と密接にかかわっていたからである。
まず、衛生の領域において、明治期のコレラ対策を中心として、公衆衛生のあり方を都市社会史として解明した研究8)や、感染症対策と地域社会の関係を明らかにした研究9)には、当然のことながら警察が登場する。前者では、「コレ
ラに対する恐怖と警察行政を中心とする防疫活動の矛盾」が扱われ、後者は、近代日本の衛生政策を「国家が主導し、警察が主体となって強権的に実施された」のはなぜなのか、警察と深くかかわる地域社会における衛生行政のあり方を解明している。また、衛生思想(優生学)と関連づけながら警察的衛生行政と社会的排除の関係を問おうとする研究10)や、食品衛生法制と警察行政の関係を解明しようとする研究11)も現れている。
公娼制の成立にかかわって警察との関係が問題にされ12)、また、近年盛んに展開されている遊廓研究のなかで、国家政策や地域構造との関係で警察の関与のあり方が問題にされている13)。さらに、風俗・芸能の面では、私娼・性風俗産業を扱った研究があらわれ14)、また、社会学サイドからではあるが、風俗取締りに焦点をあてた研究も重ねられている15)。建築学・都市工学の面から都市計画や都市空間を問題にした研究でも、警察とのかかわりが論じられている16)。
日本史サイドでは、この間、主として大正デモクラシー期に関して、警察のあり方が直接的に問題にされてきた。
住友陽文『皇国日本のデモクラシー』(有志舎、二〇一一年)は、私が提起した「警察の民衆化」「警察の社会化」に批判的な検討を加え、それは、「国家の公的な暴力装置である警察が私法領域に介入して社会を積極的に調整し、矯正するための権力として位置づけられだしたことによる」と主張した。また、宮地忠彦『震災と治安秩序構想』(クレイン、二〇一二年)は、私などの説を「オイコラ警察」の改善を目指す秩序構想=「善導」主義と規定したうえで、その主眼と担い手や効果のとらえ方に批判を向けた。他方、藤野裕子『民衆暴力』(中央公論新社〈新書〉、二〇二〇年)は、私の研究を踏まえてこの時期の「民衆暴力」のあり方に検討を加え、また、飯田直樹『近代大阪の福祉構造と展開』(部落問題研究所、二〇二一年)は、私の提起を発展させて「警察社会事業」について考察した。
近代日本警察の本質とかかわる政治支配の問題に関しては、何といっても年来の荻野富士夫氏による特高研究・治安維持法研究が圧巻であり、『増補 特高警察体制史』(せきた書房、一九八八年)、『戦後治安体制の確立』(岩波書店、一九九九年)、『特高警察』岩波書店〈新書〉、二〇一二年)などの研究、『特高警察関係資料集成』全三〇巻(不二出版、一九九一~九四年)、『治安維持法関係資料集』全四巻(新日本出版社、一九九六年)などの膨大な資料集に加えて、日本ばかりでなく朝鮮・台湾・「満洲国」をも対象にした『治安維持法の歴史』全六巻(六花出版、二〇二一~二三年)が完結した。
(3) 本書の位置と構想・構成
本書は、以上のような近年の研究状況を踏まえ、近現代日本における警察のあり方を、国家・地域との関係に重点をおいて歴史的に考えてみようとするものである。前著『近代日本の警察と地域社会』(筑摩書房、二〇〇〇年)と基本的に同じ問題観(本序論の冒頭で提示したような)のもと、その後の研究成果を踏まえ、より広い読者を想定しながら、マクロの視点とミクロの視点を交差させつつ、近現代日本の警察の歴史に迫ることにする。
全体は、明治初年の近代警察の誕生から、戦後の警察改革による現代警察への転成までを、欧米の警察のあり方との比較と関係に重点を置きながらマクロの視点で追跡する序章と、近代日本における警察のあり方を地域に焦点を定めて解明する第一部、戦中から戦後の占領期にかけての警察のあり方を警察官の日記を通じて解析する第二部、および本書本論を総括したうえで一九五四年以後の現代日本警察の趨勢を概観する終章から構成される。
第一部は、ほぼ時系列に即した四つの章から構成される。各章で異なる地域を対象に選びつつ、各時期の時代状況や各地域の地域的な特性に迫ることを意図している。まず第一章では、山梨県下の一駐在巡査の資料を通じて、制度として確立していった日清戦後の地域警察の実態を、民衆生活とのかかわりに注意しながらミクロの視点で探る。それは、産業革命期の全体状況とかかわることにもなる。つづいて第二章では、日露戦後の東京に対象を移して、都市部における日常的地域支配システムや、これまでほとんど解明されていない犯罪捜査システム、および新たな都市問題の所在を明らかにする。さらに第三章では、大正デモクラシー期、一九二〇年代の京都・奈良地域における水平運動に関する研究を手掛かりに、社会運動史研究と警察関係資料の相関関係の解明を通じて、社会運動に対する警察の監視・偵察活動の所在を明らかにする。これを受けつつ第四章では、大阪に地域を移して特高警察に焦点をあて、元特高警察官の著書を介して、特高警察官像に迫り、敗戦間近の社会状況にも触れる。
第二部は、戦中から戦後(占領期)にかけての警察活動の実相を、警察官の日記に即して分析した三つの章から構成される。いずれもオリジナルな新資料にもとづく具体的な接近が特徴となっている。うち二章分は、保安主任・経済主任などとして主に東京の月島警察署に勤務した警部補綱川信廣が書き記した日々の記録(「参考簿」)にもとづくもので、第五章では、一九四四年八月から四五年八月までの戦中の時期を扱い、戦時下の経済・社会状況への対応や、切迫する時局のさまを明らかにする。第六章では、一九四五年八月の敗戦から四六年一〇月頃までを扱い、戦後社会の変動とこれに対する警察の対応状況を具体的に明らかにする。とくに戦後の占領政策との関係や、食糧難をはじめとする経済情勢の実相、事件・事故の実態を浮かび上がらせる。第七章では、東京の巣鴨警察署の一巡査の警察手帳を素材として、占領期の末端警察の活動実態を探る。当該資料に記載されているのは一九四九年九月から五一年一月までの期間に限定されているが、この時期は占領政策が民主化から社会運動の弾圧に転換し、レッド・パージに至る時期に対応している。一巡査の活動がこうした全体状況といかに連動・連鎖していたのかを明らかにする。
近年、歴史学では、日常生活に密着した個人を分析の起点にすえ、ボトムアップの観点から歴史に迫ろうとする関心にもとづいて、「エゴ・ドキュメント研究」が注目されてきているという17)。個人の言葉や観点を通して過去を再構成しようとすることが、こうした関心や研究の基本にあるとすれば、第一部の第一章と第二部の三つの章は、そうした動向に通じるものと言えよう。また、本書の関心は、最近、ドイツ史研究者によって提出されている「メゾ社会史」の試みとも重なる18)。社会・経済の構造を分析するマクロ社会史、日常生活を扱うミクロ社会史に対して、両者が遭遇する場である中間領域(メゾ)に注目し、マクロとミクロを媒介していこうというのである。「生活世界と警察権力とが交錯」する「メゾ領域」を解明しようとする関心から、警察のあり方に強い関心が寄せられることになる。以上のように、本書は近現代の日本の歴史の流れのなかで、警察がどのようなあり方を示し、どのような役割を演 じてきたのかを、地域社会との関係にこだわりながら追究するものである。その際の基本的な視点は、第一に、制度よりも実態、静態的な仕組みの説明よりも、具体的な働きを解明すること、第二に、警察を構成する個人、とくに最前線で活動する一般の警察官に焦点をあて、その個別性にこだわって解明すること、第三に、具体的な事実に即して(こだわりながら)、時代相や全体状況を浮かび上がらせることにある。これらを通じて、近現代の日本の歴史に対する認識を深めるとともに、警察にどう向き合い、どうかかわりあうべきかを考えるための素材を提供することができれば幸いである。
脚注
1. | ↑ | 広中俊雄『戦後日本の警察』(岩波書店〈新書〉、一九六八年)。ほかに同『日本の警察〔増訂版〕』(東京大学出版会〈新書〉、一九五五年)、同『警備公安警察の研究』(岩波書店、一九七三年)。これらの著作をはじめとする広中氏の警察にかかわる研究・論評などは、「広中俊雄著作集」の第8巻『警察の法社会学』(創文社、二〇〇四年)と第9巻『警備公安警察史』(信山社、二〇二〇年)に収録されており、その「はしがき」や附記から、広中氏の問題意識や執筆の経緯などをつぶさに知ることができる。 |
2. | ↑ | 利谷信義「軍事・警察機構の創設」(歴史学研究会編『明治維新史研究講座』4、平凡社、一九五八年)、戒能通孝編『警察権』(岩波書店、一九六〇年)、など。 |
3. | ↑ | 国際歴史学会議日本国内委員会編『日本における歴史学の発達と現状』Ⅴ、東京大学出版会、一九八〇年、二八ページ。 |
4. | ↑ | 渡辺治氏の治安法制研究・警察研究から事実関係とあわせて視点や方法を大いに学んできたが、それらの論文・論評は、その後、「渡辺治著作集」の第2巻『明治憲法下の治安法制と市民の自由』(旬報社、二〇二一年)と第3巻『戦後日本の治安法制と警察』(旬報社、二〇二一年)に収録された。 |
5. | ↑ | 二〇〇九年一一月号の特集Ⅰには、「幕末維新期における村の治安と自警」「秩父事件における警察と地域社会」「警察とジェンダー」「戦間期英領マラヤにおける政治情報機関の成立とその活動」「外務省警察から見た上海の朝鮮人コミュニティ」「日本敗戦後における『警察権確立』と在日朝鮮人団体」の六論文、一二月号の特集Ⅱには、「19世紀フランスの警察」が掲載された。 |
6. | ↑ | 近藤正己「台湾総督府の『理蕃』体制と霧社事件」(『岩波講座 近代日本と植民地』2、一九九二年)、同『総力戦と台湾』(刀水書房、一九九六年)。 |
7. | ↑ | 北村嘉恵『日本植民地下の台湾先住民教育史』(北海道大学出版会、二〇〇八年)は、先住民教育における警察の機能に注目して、蕃童教育所の教員(巡査)に分析を加え、岡本真希子「台湾人巡査補をめぐる統合と排除」(『社会科学』四一―一、二〇一一年)、同「日本統合前半期台湾の官僚組織における通訳育成と雑誌『語苑』」(『社会科学』四二―二・三、二〇一二年)は、台湾人巡査補や通訳兼任の巡査・巡査補について検討している |
8. | ↑ | 小林丈広『近代日本と公衆衛生』(雄山閣、二〇〇一年、新装版二〇一八年)。 |
9. | ↑ | 竹原万雄『近代日本の感染症対策と地域社会』(清文堂出版、二〇二〇年)。 |
10. | ↑ | 中馬充子「近代日本における警察的衛生行政と社会的排除に関する研究」(『西南学院大学 人間科学論集』六―二、二〇一一年)、同「近代日本の衛生思想成立過程における優生学史研究」(学位論文・鹿児島国際大学、二〇一七年)。 |
11. | ↑ | 伊藤久美子「日本における食品衛生法制の展開」(学位論文・名古屋大学(法学)、二〇一九年)、同「日本における食品衛生法制の展開」(1)~(7)(『名古屋大学法政論集』二八二~二九〇、二〇一九~二一年)。 |
12. | ↑ | 藤野豊『性の国家管理』(不二出版、二〇〇一年)、今西一『遊女の社会史』(有志舎、二〇〇七年)、関口すみ子『近代日本公娼制の政治過程』(白澤社、二〇一六年)など。 |
13. | ↑ | 佐賀朝・吉田伸之編『シリーズ遊廓社会2』(吉川弘文館、二〇一四年)、人見佐知子『近代公娼制度の社会史的研究』(日本経済評論社、二〇一五年)、加藤晴美『遊廓と地域社会』(清文堂出版、二〇二一年、増補版二〇二二年)など。 |
14. | ↑ | 寺澤優『戦前日本の私娼・性風俗産業と大衆社会』(有志舎、二〇二二年)は、芸妓の売買春や私娼、カフェー・ダンスホールなどを扱っている。 |
15. | ↑ | 永井良和「『性欲』の場所」(早川聞多・森岡正博編『共同研究「生命と現代文明」報告書 現代生命論研究』日文研叢書九、一九九六年)、同『風俗営業取締り』(講談社〈選書メチエ〉、二〇〇二年)、同「遊廓の形成と近代日本」(井上章一編『性欲の文化史』講談社〈選書メチエ〉、二〇〇八年)、『定本風俗営業取締り』(河出書房新社〈河出ブックス〉、二〇一五年、講談社〈選書メチエ〉版の改訂増補)。 |
16. | ↑ | 岡本祐輝「旧都市計画法体制における風紀地区規定条文に関する試論」(『日本建築学会計画系論文集』六一二、二〇〇七年)は、風俗警察の面から風紀地区を問題にし、野嶋政和「明治後期・東京におけるオープンスペースの近代化プロセス」(学位論文・京都大学農学研究科、一九九五年)では、明治後半期の東京における警察取締りと都市空間の秩序形成の問題が扱われている。同論文は「警察の誕生は公共スペースの誕生とともにあった」として、警察が都市空間・オープンスペースの形成に関与したことを追跡している。また、同「近代都市空間の秩序形成過程における衛生思想と警察」(『ランドスケープ研究』六〇―五、一九九六年)では、建築規制をめぐる衛生思想と警察の関係が検討されている。さらに、小野良平「明治期東京における公共空間の計画思想に関する研究」(学位論文・東京大学農学系研究科、一九九九年)、同「明治期東京における公共空間の計画思想」(『東京大学農学部演習林報告』一〇〇三、二〇〇〇年)、同『公園の誕生』(吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、二〇〇三年)では、警察と公園計画の関係が考察されている。安野彰「明治・大正・昭和初期の日本における遊園地の概念と実態」(学位論文・東京工業大学農学系研究科、二〇〇〇年)は、「観物興行場並遊覧所取締規則」「観物場及遊覧所取締規則」「遊園地取締規則」などの検討を通じて遊園地の問題に迫っている。 |
17. | ↑ | 長谷川貴彦「エゴ・ドキュメント研究の射程」〈長谷川貴彦編『エゴ・ドキュメント研究』岩波書店、二〇二〇年〉によれば、エゴ・ドキュメントとは、一人称で書かれた資料を示す歴史用語であり、それを読み解く方法として、史料に照射された「主観性」を組み込んだかたちでマクロな構造分析に迫ろうとする視座などが提示されてきているという。 |
18. | ↑ | 川越修・矢野久『明日に架ける歴史学』(ナカニシヤ出版、二〇一六年)、七九~八〇ページ、九〇~九六ページ、一一四~一四六ページ、一七六~一七九ページなどを参照。 |