(第65回)「永久に不滅」の判例法――民法94条2項類推適用法理(武川幸嗣)

私の心に残る裁判例| 2023.10.02
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
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(毎月1回掲載予定)

不実の所有権移転登記が所有者の承認のもとに存続せしめられていたものとして民法94条2項を類推適用すべきものとされた事例

最高裁判所昭和45年9月22日第三小法廷判決
判例時報609号40頁

本判決は「私の心に残る」にとどまらない重要判例である。民法において「類推適用」の代表格といえるのが、判例によって形成された「94条2項類推適用法理」であり、数ある判例法理の中で最も成功を収めたものの一つと評しても過言ではなかろう。本判決はその一翼を担うものである。

民法は登記に公信力が認めておらず、不実登記に対する信頼保護のための一般規定を有しないため、所有者本人を犠牲にして第三者を保護するのが妥当と解される場合における法的手当てが要請される。最高裁は、そのための法的根拠を物権法ではなく、意思表示に関する94条2項に求めつつ、虚偽表示要件につき、登記名義人との通謀ひいては本人の意思表示の存否すら問うことなく、不実登記に対する本人の事後的・黙示的承認にまで緩和して善意者を保護する旨の規範を、本判決を通して確立した。本判決では、X所有の甲不動産につき、Xと情交関係にあったAがX不知の間に同人の実印・権利証を冒用して自己所有名義の不実登記を行った後、Xがこの事実を知るに至ったが、登記名義の回復手続のための費用の捻出が困難であり、かつ、Aと婚姻したこともあって、約4年にわたって登記を放置し、その間甲につきA名義のまま根抵当権設定登記手続を行うなどしていたところ、やがてX・Aの関係が破綻し、Aが甲をYに売却してしまったという事案において、このようなXの態様と虚偽表示との類似性が問われたのであった。こうした適用範囲の拡大化は、94条2項の趣旨を虚偽の権利外観作出における本人の帰責性と善意の第三者との利益衡量に求める旨の制度理解から導かれる。かかる条文解釈が、不動産取引安全に関する実務上の要請、とりわけ、本人側の事情を問わずに登記に対する信頼を一律に保護するのではなく、少なくとも不実登記の存続に対する本人の意思関与が認められる場合に善意者を保護するのが公平に適う、という基本的価値判断に合致したことが、大方の支持を得るに至った要因といえよう。

筆者は研究職を志して間もない頃、このような解釈・運用は条文の文理および制度の沿革からかけ離れており、機能主義的・便宜主義的に過ぎるのではないか、との素朴な疑問を抱いていた。それは94条2項類推適用法理の機能自体の当否ではなく、すぐれて解釈手法に関する学理的関心に基づく問いであったが、他方において、「これぞ判例による法創造」というべき判例法の役割の大きさに深く感銘した。意思表示規定という94条の法形式および体系的位置づけに拘束されることなく、開かれた解釈・運用により具体的妥当性の確保を図り、もって「法の欠缼」を補充した功績は計り知れない。

今日において民法94条2項類推適用法理は、同法177条と共に不動産取引安全のための規範として必要不可欠となるに至っている。ついては、この際明文化して民法典に取り込むべきか、それとも、引き続き判例による柔軟な運用に委ねるのがよいのかは今後の課題であるが、いずれにしてもその意義は「永久に不滅」といえよう。


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武川幸嗣(むかわ・こうじ 慶應義塾大学教授)
1966年生まれ。横浜市立大学商学部専任講師、青山学院大学法学部助教授を経て、現職。著書に、『民法Ⅱ 物権〔第4版〕』(共著、有斐閣、2022年)、『プラスアルファ基本民法』(日本評論社、2019年)、『新ハイブリッド民法 債権各論』(共著、法律文化社、2018年)、『コンビネーションで考える民法』(共著、商事法務、2008年)、『民法入門 担保物権法〔第3版〕』(共著、日本評論社、2005年)。