グローバル化とソフトロー(松尾弘)(特集:ソフトローによる法形成のフロンティア)

特集から(法学セミナー)| 2019.08.16
毎月、月刊「法学セミナー」より、特集の一部をご紹介します。

(毎月中旬更新予定)

◆この記事は「法学セミナー」776号(2019年9月号)に掲載されているものです。◆

特集:ソフトローによる法形成のフロンティア

グローバル化の進展に伴い、「ソフトロー」といわれる「法」の役割が注目されている。ソフトローとは何か、なぜ今それが重要なのか。本特集では、民事関係、企業活動から、国際社会に至るまで、多様な観点からソフトローの姿を映し出す。
それは「法とは何か」を探求し、法の世界を訪ねようとする者に、「新しい地図」を与えてくれるであろう。

――松尾弘

1 はじめに─国家主権と「法=ハードロー」の呪縛

世界各国どこに行っても私たちは同じ空気を吸うことができる。無論、国や地域によって温度や成分に差はあるが、同じ地球の空気である。一方、私たちが享受できる権利の内容や自由の程度は国によって同じではない。ある国では保護される権利が別の国では保護されず、ある国では自由にできることが別の国では規制されたりする。例えば、政府が公共事業のために私人の土地を必要とする場合、その権利者に与えられる説明や補償の内容は、国によって異なる。政府が公共施設を建設するために、事前の十分な調査、同意を得るための手続なしに、少数先住民族の土地を強制収用し、立ち退かせた場合、特にそれが外国で起こった場合は、少数先住民族の権利の保護に関する法律の不備やその国が結んだ条約との抵触について、国家の外部から「法的」な主張をすることは容易でない。なぜなら、「法」は「国家主権」の作用であり、ある国がどのような法律をつくり、どのように解釈・適用するかもまた国家主権の範囲内にあると、一般的には考えられているからである。

しかし、こうした国家主権をベースにした法の理解に対しては、それが「悪質な道案内」であり、「根拠のない独断論」に陥りうるとの警告もある1)。法は主権国家の強制権力に裏づけられていなければ実効性を欠くことが多いにしても、集権化された政府による強制は、「普遍妥当性」を求める社会規範としての法に備わることが望ましい実効性確保の1つの手段ではあるが、法そのものではない2)。ここに、国家主権の立法形式に則って妥当性(validity)と拘束力(biding force)をもつ法令(=国家が形成し、国家が執行するいわゆるハードロー)とはいえないものの、国家以外の様々な主体が、国家との様々な関係に立ちつつ、つくり出すルールでありながら、一定の実効性(effi cacy)をもついわゆるソフトローが存在し、機能する余地がある3)。それを用いて、政治的な利害対立によって国家法の形成が難しく、一見お手上げと思われた問題に対する法的主張や問題解決への展望を見出す余地があるかも知れない。とりわけ、グローバル化が進む中、国家主権は依然として重要であり、否定されはしないものの、国家以外の多様な主体の権威やその制裁により、国家以外の主体が形成するルールが実効性、さらには妥当性の獲得構造をもち始めている。そうしたソフトローの意義やハードローとの関係を探求することを通じて、「法とは何か」という根本問題に対する新たな視界を切り拓く地図づくりの可能性を探ってみたい。

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脚注   [ + ]

1. H・L・A・ハート、長谷部恭男訳『法の概念〔第3版〕』(筑摩書房、2014年)340頁、343頁。
2. 法の本質としての「普遍妥当性」の概念に関しては、松尾弘『民法の体系〔第6版〕』(慶應義塾大学出版会、2016年)10-11頁参照。
3. 国家が形成し、国家がエンフォースするハードローと、それ以外のソフトローの定義に関しては、藤田友敬「はじめに」中山信弘編集代表・藤田友敬編『ソフトローの基礎理論』(有斐閣、2008年)4-7頁参照。また、そうした峻別論を批判し、ハードローとソフトローを相対的に捉える視点として、清水真希子・本誌031頁参照。
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