〈危険な関係〉と〈禁じられた遊び〉の間—〈戦後80年〉の機会に考える(樋口陽一)
世間を賑わす出来事、社会問題を毎月1本切り出して、法の視点から論じる時事評論。 それがこの「法律時評」です。ぜひ法の世界のダイナミズムを感じてください。
月刊「法律時報」より、毎月掲載。
(毎月下旬更新予定)
◆この記事は「法律時報」97巻9号(2025年8月号)に掲載されているものです。◆
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書き出しからして標題についての解説とは野暮の極み、という他ないが、読者諸兄姉の多くと私の世代の間の、年齢のへだたりから来るかも知れない理解の溝を、少しでも埋めて置きたいという願いからのこと、ご海容を乞う。
1961年の映画、ジャンヌ・モローが主演した『危険な関係』がある。それについては、18世紀の作家ラクロの作品を現代に移しかえて下敷きにした、女と男の奇妙な愛憎の物語り、と言っておくだけで許されよう。他方、その前後私の記憶に残る『禁じられた遊び』については、1953年という製作の日付の他に、説明を加えることが、今では必要なのではないか。
第2次世界大戦がヒトラーの、まず東(ポーランド)に向けた電撃作戦と、それに対する英・仏の対独宣戦布告(39年9月)によって始まる。ナチス・ドイツの直接占領からはまぬかれたフランス本土の南半分(「自由地帯」)を目指す避難の人びとへの容赦ないナチス空軍の機銃掃射。─孤児となったひとりの幼女ポーレットと、近くの村の農家の男の子ミシェルとの短く淡い交流の中での、小さな十字架のお墓を沢山つくる「遊び」が、おとな達によって咎められてしまう……。映画は、全篇を通して印象を刻みつけるようなメロディーと共に、戦争を呪う人びとの心に深く滲み込む作品なのだった。
さて、そういう二つの映画のことから話を切り出したのは、他でもない。いま、「危険な関係」と「禁じられたゲーム」、そして「禁じられた関係」と「危険なゲーム」が複雑に入り組み合う情景が、世界を不確かにしたまま、そして、ゆくえを定かに見きわめつつ歴史に対し責任を負おうとするリーダーを人びとが選びかねているまま、着地点を探しあぐねているのが現在なのではないか。




