(第48回)違憲判断を回避した裁判官の苦悩(村井敏邦)

私の心に残る裁判例| 2022.05.02
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

恵庭事件

いわゆる恵庭事件判決――自衛隊用の通信線が自衛隊法121条にいう「その他の防衛の用に供する物」に当たらないとした事例

札幌地方裁判所昭和42年3月29日判決
【判例時報476号25頁】

1962(昭和37)年12月11日、北海道の恵庭町で酪農業を営んでいた2人の人が、陸上自衛隊北恵庭部隊の演習場内に命令伝達用に敷設されていた通信線を切断したということで、自衛隊法違反として起訴され、自衛隊の憲法9条違反が争点とされた事件である。1967(昭和42)年3月29日、札幌地方裁判所は、自衛隊の合憲違憲には一切触れず、「本件罰条にいう「その他の防衛の用に供する物」の意義・範囲を具体的に確定するにあたっては、同条に例示的に列挙されている「武器、弾薬、航空機」が解釈上重要な指標たる意味と法的機能をもつと解するのが相当である。すなわち、およそ、防衛の用に供する物と評価しうる可能性なり余地のあるすべての物件を、損傷行為の客体にとりあげていると考えるのは、とうてい妥当を欠くというべきである。」とした上で、通信線は、自衛隊法にいうところの「防衛の用に供する物」にはあたらないと結論づけて、無罪を言い渡した。

この事件は、自衛隊の憲法9条違反が問題となり、初めての違憲判断が出るのではないかと、当時、大変に話題になった事件である。

この事件発生の頃、私は、司法研修所の修習生として、東京で実務修習中であった。修習生の間で、この事件について勉強会をしようということになった。公判から注目し、どのような経緯になっているか、みんなで進行状況を分析した。

公判も終盤に入り、弁護側から自衛隊法は違憲であるから、本件起訴を取り下げるべきであるという主張があり、その主張をめぐる攻防と、さらに検察官の論告、弁護側の最終意見で、中心的な争点は自衛隊が憲法9条違反かどうかという点であることは明らかであった。弁護側の主張には正当行為による違法性阻却という点もあった。

われわれの勉強会では、公判終了後、どのような判決になるかを予測した。多くの者は、違憲判断が出るだろうというものであった。しかし、私は正当行為論で裁判所はお茶を濁すのではないかという意見だった。

1967(昭和42)年3月29日の判決を聞き、皆一様に唖然となった。まさか、陸上自衛隊の施設内に設置されている通信線が「防衛の用に供する物」にあたらないという理由で自衛隊法違反ではないとして無罪になるという結論になるとは、だれ一人夢想だにしなかった。

この日、ちょうど本郷で憲法理論研究会の研究集会が開かれていた。われわれの勉強会のメンバーと共にその憲法研究会の会場に行き、傍聴させてもらった。憲法学者の集まりにおいても、だれ一人判決がこのような結果になることを予想した人はいなかった。

違憲判断が出なかったことへの失望感はどの人の顔をも暗くしていた。しかも、無罪ということで、被告人側が控訴して違憲を主張する機会も奪われた。検察側が有罪判決を求めて控訴することはできる。しかし、控訴審で再び違憲か否かが争われる事態を検察側は避けるだろうから、検察側の控訴は考えられない。それほど大きな無罪判決だった。

実は、この時からほぼ半年前、私は、研修所の刑事裁判教官の家に遊びに行っていた。玄関近くの客間に入る時に、帰っていく先客とすれ違った。その人はびっくりするほど青い顔をしていた。先客を帰した後で、この家の主人が客間に入ってきて、「今帰ったのは、僕の教え子でね。恵庭事件の主任をやっている」と言った。

これによって、蒼白な顔の理由がわかった。主任裁判官として相当悩んでいたのだろう。憲法判断がかかる事件を担当した裁判官の精神的負担はいかばかりだろうと思いやられた。

この時の様子と判決結果を思い合わせると、違憲判断を出すことに対しての裁判所内外からの圧力に押しつぶされそうになった、主任裁判官の苦悩の結果が、あの無罪判決だったのでないか。

修習生仲間の勉強会では、恵庭事件について論文集を発行しようということになった。私も書けといわれた。しかし、私は、その時、書けなかった。

「教官ににらまれるのが、いやなのだろう。逃げたな」という人もいた。たしかに逃げたのかもしれない。しかし、教官ににらまれるのが怖くて逃げたのではない。どう書けばよいかわからなくて、悩んで悩んで結局書けなかったのだ。

あれから55年の歳月が流れた。長く滞った負債を返済するような気持ちで、この一文を書く。


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村井敏邦(むらい・としくに 一橋大学名誉教授・弁護士)大阪市生まれ。終戦を疎開先の島根で迎える。1964年一橋大学商学部、66年同法学部卒業。同年から司法修習、1968年から一橋大学法学部教員、2000年一橋大学法学部教授を退職、同年龍谷大学法学部教授、2010年同定年退職。著書に、『公務執行妨害罪の研究』(成文堂、1984年)、『刑法:現代の「犯罪と刑罰」』(岩波書店、1990年)、『刑事訴訟法』(日本評論社、1996年)、『罪と罰のクロスロード』(大蔵省印刷局、2000年)、『民衆から見た罪と罰』(花伝社、2005年)など。