(第49回)苦しむ関係当事者と傍観する人々(河上正二)

私の心に残る裁判例| 2022.06.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

隣人訴訟判決

1 住宅地内の農業用溜池で溺死した幼児(3歳4月)の事故につき、好意でいわゆる「預かった」近隣者に対し、準委任に基づく契約責任を否定し、不法行為に基づく賠償責任を肯定した事例(過失相殺7割)
2 右事故につき国、県、市の国賠法2条に基づく賠償責任が否定された事例

津地方裁判所昭和58年2月25日判決
【判例時報1083号125頁掲載】

法学部生の誰もが知っておきたい裁判例が津地裁の「隣人訴訟」判決であろうことは衆目の一致するところではあるまいか。私は、初めて教壇に立った最初の時間に、この裁判例を学生に紹介して、そこに潜む問題点を解説し続けてきた。毎年毎年、民法入門、債権法等の講義で、様々な角度からこの判決に分析を加え、いくつか判例解説的な文章も書いてきた(その1つが『民法学入門:民法総則講義・序論 第2版(増補版)』(日本評論社、2014年)第1章)。そこから抽出できる法的問題点や論点は、その後も、「心に残る」どころか、私の脳裏を離れたことがない。「好意の世界」と「法の世界」はどう切り結ぶのか、「法と非法」の世界、「有償契約と無償契約」はどこに違いが見出されるのか、「契約の成否」は何によって決まるのか、「日本人法意識」はこの事件をどう感じ取るのか、「契約と不法行為」の関係、「被害者側の過失」をどう評価するのか、過失割合は類似の事件と比較してどうなのか、判例時報の囲み欄に登場した裁判例は2つとも自宅引き込み型だったが本事件と違うと考えるべきか、紛争解決のあり方、人と法のあるべき関係、私が当事者であったとき事件に対する向き合い方はどうだろうか、亡くなった子どもの慰謝料、……私の講義での「配布レジュメ」の項目はどんどん細かくなって、学生達に回すマイクでのやりとりの中に、時代の変化さえ感じながら、この裁判例と向き合ってきた。この事件で、最も悲しんだであろう方が死亡した男児の両親や家族であり、最も心を痛めたであろう被告ご夫妻が、何故、これほどまでに訴訟の過程で苦しまねばならなかったのだろうと、法律家の端くれとして考え込んでしまう。若い法学生にはぜひ一度読んで欲しい。

細かなことになると、当事者の子どもを置いていく際の「やりとり」に関西と関東で方言上の違いがあるのだろうか、なぜ、一番の関係者であると思われる「水利組合」が判決理由などに登場しないのだろうか、弁護士には「人権派」と「保守派」があって訴訟戦略に影響するのだろうかといったことまで、気になってくる。

いつもながら、「ちょっとお願いします」と駅などで足下に荷物を置かれることの多い私は、ここで無償寄託が成立したのか、単なる事務管理になるのだろうか、注意義務としてはどちらが重くなるのだろうと悩んだりもする。ボーっと立っていた私も悪いのだが、嫌だとも言いづらい。契約の法的性質決定も容易ではない。そんなことを考えながら、契約の法的性質論の検討に励んだりする。民法研究も楽じゃない。

ついでに、昨年、東日本大震災で波被害に襲われた大川小学校事件判決を素材にした『水底を掬う:大川小学校津波被災事件に学ぶ』(信山社、2021年)を担当弁護士2人と一緒に公刊した、これも読んでもらえると嬉しい。


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河上正二(かわかみ・しょうじ)1953年生まれ。東京大学名誉教授・東北大学名誉教授。千葉大学法経学部助教授、東北大学法学部教授、東北大学大学院法学研究科教授 、東京大学大学院法学政治学研究科教授、青山学院大学法務研究科教授、法制審議会幹事、司法試験委員、内閣府消費者委員会委員長などを歴任。著書に『水底を掬う:大川小学校津波被災事件に学ぶ』(共著、信山社、2021年)、『担保物権法講義』(日本評論社、2015年)『民法学入門:民法総則講義・序論 第2版(増補版)』(日本評論社、2014年)など。