科学と政治:日本学術会議の会員任命拒否問題をめぐって(広渡清吾)

特別寄稿/日本学術会議の会員任命拒否問題をめぐって| 2020.10.06
特別寄稿:日本学術会議の会員任命拒否問題をめぐって

2020年10月1日、「日本学術会議」が推薦した新会員候補6人について、菅義偉首相が任命を拒否していたことがわかりました。日本学術会議の元会長 広渡清吾さん(東京大学名誉教授)に、その問題点と重大性について寄稿いただきました。なお、10月2日に日本学術会議が内閣総理大臣に提出した「第25期新規会員任命に関する要望書」はこちらです(日本学術会議ウェブサイトPDF)。

日本学術会議はどんな組織なのか

日本学術会議(以下、学術会議と略称)という組織のことは、市民に一般には馴染みがない。科学者の組織であるが、大学の教員でも知らない人がいたりする。いま、会員任命拒否問題でマスコミに注目されているが、普段はいろいろの報告や提言を発表したときに、それらが報道されるという扱いである。とはいえ、学術会議は、第二次世界大戦後の日本にとって、シンボル的な意味をもった組織である。

日本国憲法は、明治憲法になかった学問の自由を保障する規定をおいた。これは、学術研究が国家目的に従属し、科学的認識と知見が政治的にゆがめられた戦前の反省にたって、とりわけ政治権力からの自由を科学者に保障した。日本学術会議法(以下、学術会議法)が1948年に制定され、それに基づいて1949年から活動を開始した学術会議は、学問の自由を保障された科学が「文化国家の基礎」であることを「確信」し、科学者の総意によって日本の「平和的復興と人類社会の福祉」に貢献するものとして位置づけられた(日本学術会議法前文)。

学術会議は、国費で運営される国の特別の機関として設立された。その目的は、学問の自由に基礎づけられた学術研究の成果をもちより、政治権力に左右されない独立の活動によって、政府と社会に対して、学術に基礎づけられた政策提言を行うことである。そのために、学術会議には法によって政府に対する勧告権があたえられた(学術会議法第5条)。学術会議法は、憲法によって保障された学問の自由を大前提にして、学術会議の活動の独立性を法によって保障し、学術的助言を政治に活かすという、戦後の新しい科学と政治の関係の在り方を示したものであり、今日まで、そのような役割を果たすべきものとして維持されている。

学術会議は、日本の科学者を国の「内外に対する代表機関」として位置づけられる(学術会議法第2条)。日本の科学者は、現在約87万人である。そこで、学術会議は代表機関として、科学者のなかから選んだ代表によって構成される。創設以来、代表としての会員は210名であるが、創設から1983年の学術会議法改正によって選考方法が変わるまで、学術会議会員は、全国の科学者が1票行使する選挙で選ばれた(公選制による選考)。それゆえ、学術会議は、「学者の国会」とマスコミに評された。科学者の選挙による会員の決定は、学術会議の政府からの独立性を保障する重要な柱と考えられた。選考方法が変わっても(以下に述べる)、自立的な会員選考が独立性の柱であると理解されている。

学術会議は創設以来、70年余の活動歴をもち、日本の学術研究の在り方を中心に社会的に重要な問題に指針となる助言・提言を行ってきた。筆者自身の経験としては、東日本大震災後の学術会議の活動が鮮明に記憶に残っているが、ここでは措くことにしよう。この70年余の間に、学術会議法は、すでにふれたように1983年に、そして2004年に大きな改正が行われた。その改正によっても学術会議の目的、職務、権限は不変であるが、組織構成と会員選考方法は変わった。今回の会員任命拒否は、改正された会員選考方法の仕組みに係わっている。

科学者の代表としての学術会議会員の選考の仕組みはどんなものか

創設以来の公選制による会員選考では、有権者である科学者の投票の結果で会員が決定するので、「任命」という行為が入る余地はなかった。会員選挙管理委員会による当選証書の交付によって会員が確定した。これに対して1983年および2004年の法改正は、《学術会議が会員候補者を推薦し、内閣総理大臣(以下、首相)が任命する》という仕組みに切り替えた。その理由は、当時の状況の説明をすることになり煩雑なので(学術会議の歴史としてとても重要なのではあるが)これを省いて、今回の問題に焦点をしぼろう。

今回の問題の経緯は、次のようである。

学術会議は、活動期を1期3年とする。2004年法改正以降、会員の任期は6年とされ、3年ごとに半数改選されることになった。2020年10月1日、学術会議は、第25期の活動期を迎え、210名の半数105名の新会員が誕生し、活動を開始するところであった。

ここからは、すでにメディアを通じて周知されているのだが、予定されていた105名のうち、新会員の名簿から6名の名前が消えていた。学術会議では、2020年初頭から、内規にしたがって、約6か月間の選考審査期間を経て、105名の会員候補者推薦名簿が作成され、2020年7月の会員総会において審議決定されて、首相に提出された。学術会議法によれば、首相の任命は、学術会議の「推薦に基づいて」(学術会議法第7条)行われるとされている。それゆえ、名簿から消えた6名は、首相によって任命を拒否されたのである。

現在の会員選考制度は、2004年改正からはじまったが、それ以降第21-24期の新会員選考に際して、学術会議から推薦された候補者が任命を拒否されたことはない。遡って1983年改正以降についても(第13期-19期。第20期は法改正に関わって特別の選考が行われた)、具体的選考方法が異なっていたが1)、学術会議から首相に提出される推薦名簿に基づいて首相が任命するという仕組みは同様であり、その期間にも首相の任命拒否はなかった。それは当然のことであり、学術会議は学術会議法によれば「首相の任命拒否などありえないこと」と認識、理解していたのである。

第25期の最初の会員総会は、新会長を選出するというもっとも大事な職務をすませたが(ノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章教授が新会長就任)、前代未聞の首相による任命拒否にどう対応するかという困難な課題を抱えた。学術会議の首相決定に対する態度は、これまでの法の運用を踏まえて、否応なく一つしかない。なぜ、任命拒否が行われたか、理由を説明せよ、そして、首相決定が不当であり、推薦に基づいて6名を任命せよ、である。学術会議は、検討の結果、この2点を明記した要望書を首相あてに提出した。

脚注   [ + ]

1. 1983年改正は、会員選考方式として学会推薦制とよばれた方式を導入した。これは、学術会議とは別に「推薦管理会」という選考管理機関をおき、一定の要件のもとに申請に基づいて登録された学会に選考の主体としての役割を与えるものである。登録され選考に関与することを推薦管理会から認められた学会は、会員候補者と推薦人(候補者選定にかかわる)の指名をすることができ(人数は学会の規模によって異なる)、具体的選考は、専門毎に、学会から指名された候補者を対象に、学会から指名された推薦人が協議して専門別の定数にみあう会員候補者を選定するという方法で行われた。推薦管理会は、これらの選定結果をとりまとめ、手続の適正性を審査確認し、首相に推薦する会員候補者推薦名簿を作成した。
 2004年の法改正では、学会推薦制にかえて、学術会議による自己選考方式(コーオプテ―ション制とよばれた)を新たに採用した。これは、学術会議を従来の専門別7部制(文、法、経、理、工、農、医)から大くくりに3部制(人文社会科学系、生命科学系、理工学系)に改編したことに対応して、専門にとらわれず総合的俯瞰的な視点から広く会員を選考するという趣旨によったものであり、学術会議としての選考の自立性がより強化されると位置づけられた。この方式の下で、学術会議の常置委員会として選考委員会が設置され、この委員会が具体的な選考を主導する。会員および連携会員(2004年に、会員に協力して学術会議の活動を行うものとして新しく導入された。現在約2000名)が会員候補者を推薦し(2名まで)、学会からも候補者情報を提出してもらい、多くの対象者から定数まで選考によって絞り込むための審議が行われる。選考委員会がまとめた会員候補者推薦名簿は、会員総会で審議決定され、学術会議から首相に提出される。
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広渡清吾(ひろわたり・せいご/東京大学名誉教授、日本学術会議元会長)