『ここからはじめる包括的セクシュアリティ教育:性の価値観・態度を見直す対話型アプローチ』(著:東優子・野坂祐子・吉田博美)
はじめに
“インターネットやスマホで性の情報があふれる時代だからこそ,性教育が必要” ―― 近年,子どもに対する性教育の必要性は,社会でも広く認識されつつあります。子どもが幼いうちに性的な刺激にさらされることへの懸念から,「正しい知識・正しい態度」を伝える機会として,学校での性教育への期待が寄せられています。
さらに,子どもの性被害への認識も高まり,これまで語られにくかった性犯罪への不安だけでなく,子ども同士の性暴力について話題にのぼることも増えてきました。いまや,性教育のトピックスは,これまで「定番」だった二次性徴や性感染症よりも,性の安全や人権に関する話題のほうが「トレンド」かもしれません。もちろん,いまでも「性器の名称をどう教えるか」「どのように避妊の話をするか」に悩む保護者や教員は少なくありません。いつの世も「子どもに性をどう教えるか」は,おとなにとって頭を悩ませる話題のひとつといえます。
性に関する教育や性の安全に関心が高まっているのは,とても大事なことです。とはいえ,「正しい知識・正しい態度」とはなんでしょうか? また,性暴力を予防するにはどんな取り組みをすればよいのでしょう? 性に関する態度や行動について考えるとき,人は自分の価値観から捉えがちです。「それはおかしい」「不適切である」「まだ早い/もう遅い」など,ある価値観に基づく認識は行動に対する評価(批判)につながります。
たとえば,ネットで知り合った相手に子どもが下着姿の写真を送ることを「正しくない」行動と捉えれば,それがいかに危険な行為であり,子どもに悪影響をもたらし,とりかえしのつかない事態を招くものかを説明するでしょう。おとなにとっては,子どもが心配だからこそ思いやりをもって伝えているのであって,「正しくない」行動への叱責は,愛情の裏返し(あるいは,仕事上の責任)かもしれません。こうした事態を防ぐために,早期から「危険を伝える」性教育が必要だという考えもあるでしょう。
ところが,子どもの安全を守るための性教育が,おとなと子どもとの断絶を生じさせ,かえって子どもを危険な状況へ駆り立ててしまうことがあります。性的な「自撮り」がいかに危険な行為かをおとなが説明すればするほど,子どもは「危険ではない」ことを証明しようとして,「大丈夫だから!」とばかりにやってみようとするかもしれません。あるいは,「あなたは被害者」と言われた子どもが,そんなふうに自分自身を決めつけられることに違和感を覚えることもあるでしょう。
おとなが子どもの安全のために「わからせたい」「寄り添いたい」と思うほど,皮肉なことに,子どもとの関係性は対立的なものになっていきます。そもそも,本当に,おとなのほうが「正しい知識や情報」をもっているのでしょうか? 実際のところ,なんらかの知見に基づいた助言ではなく,おとなの漠然とした不安や不快感によって,子どもの行動を管理してしまっていることもあります。こうした対立や管理は,本来,性教育がめざす安全や安心,自主性とは,逆行するものです。
「じゃあ,どうしたらいいの?」というとまどいの声が聞こえてきそうです。さまざまな危険にさらされている子どもと関わる現場では,待ったなしの緊急対応に追われており,「そんな悠長なことを言っていられない」と,すぐに使える性教育へのニーズが高いのも事実です。
しかし,本書ではあえて,おとながとまどうことを大切にしていきます。性に関する教育や支援をするまえに,おとなが自分自身の性に対する価値観や態度に気づき,あたりまえを見直していくこと。子どもを正したくなる,管理したくなる,助けたくなる気持ちの裏にある焦燥感や無力感に気づいておくこと。おとな自身が性にオープンになること ―― これはあけっぴろげになることではなく,自分の価値観が唯一の答えだと思い込まずに,他者と考えを分かち合う姿勢でいること ―― で,子どもとの対話のきっかけが生まれるはずだからです。
そのためには,おとなも性について学ぶ姿勢が求められます。新たな知識を増やすだけでなく,おとなになるまでに身につけてきた態度や価値観を見直し,ときに,それらを手放すためです。子どもに教えようとするのではなく,ともに考えて,学んでいくおとなの態度こそ,子どもが自立・成長していく際のよいモデルになると考えられます。理解と共感によるコンパッション(思いやり)は,子どもとの対話を促し,おとな自身のセルフケアにもつながります。
こうしたおとな自身の性に対する価値観や態度に気づき,再構築する体験は,SAR(Sexual Attitude Reassessment)と呼ばれ,海外では,性に関する教育や支援に携わる実践者には必須の教育プログラムとして位置づけている学会などもあります。日本においても,実践者が広く SAR を体験できる教育体制づくりが望まれますが,本格的な SAR のまえに日常的な(業務上で経験する)自分自身の反応に気づくことも必要でしょう。これは保護者や教員など,子どもの身近にいるすべてのおとなの課題です。
本書を執筆する SEE(Sexuality Education & Empowerment)というグループは,その前身となる団体で2006年から日本性教育協会(JASE)の委託を受け,性教育や支援者への研修を実践してきました。SEE のメンバーは,それぞれ性科学・ソーシャルワーク(東優子),発達臨床・教育心理学(野坂祐子),臨床心理学(吉田博美)を専門としています。本書は,SEE 結成前の 2016 年のハワイ大学へのスタディツアーをはじめ,2017 年のフィンランド研修,日本で開催された連続セミナーやワークショップなど,これまでに JASE が刊行する『現代性教育研究ジャーナル』誌面で報告してきた内容をブラッシュアップし,包括的セクシュアリティ教育(comprehensive sexuality education:CSE)の副読本として執筆したものです。CSE のキーコンセプトのなかでも,とくに「安全確保」と「暴力」に焦点をあてて編纂しています。
第Ⅰ部では,日本と海外の性教育について,それぞれの歴史をふまえて概観し,SAR プログラムとポジティブアプローチについて説明しています。対話を大切にするセクシュアリティ教育の一例として,フィンランドのセラピストであるアンッティ・エルヴァスティ氏の SEE ワークショップでの講義内容をメッセージとして再編しました。マッティ・ピックヤムサ氏のすてきなイラストとあわせて,ポジティブなメッセージを味わっていただければと思います。第Ⅱ部では,セクシュアリティ教育で重視されている安全な関係性について,支援や教育にあたる際に知っておきたい境界線,アタッチメント,同意,性暴力などのキーワードを取り上げています。第Ⅲ部は,実際に性の教育と支援をはじめるために,実践者の性の価値観と態度に対する自己覚知を促したり,ポジティブアプローチで対話するためのワークを紹介しています。
第Ⅲ部の後ろに掲載した「性暴力の被害と加害 ―― 断絶か,つながりか? 支援の現場からみえること」は,2023 年に SEE セミナーとして開催した小西聖子氏(武蔵野大学)と藤岡淳子氏(一般社団法人もふもふネット)の対談を文章化したものです。この場をお借りして,SEE 研修やワークショップに関わられた講師と受講者のみなさまにお礼申し上げます。
また,子どもとの対話や実践者同士の語り合いが広がることを願って,執筆者である SEE メンバーの対話を【Coffee Talk】のコーナーに載せました。文字通り,コーヒーブレイクのお供としてお読みいただければ幸いです。あとがきに代えて,これまでの SEE の活動と学びをふりかえる「アフタートーク」もお届けします。
最後に,SEE の目的や活動を理解してバックアップしてくださった日本性教育協会(JASE)事務局,忍耐強く書籍化をサポートしてくれた日本評論社の木谷陽平さんに,こころより感謝いたします。
2025 年 11 月 1 日
SEE(Sexuality Education & Empowerment)
東優子・野坂祐子・吉田博美
目次
【第Ⅰ部 性について語る・学ぶ・教える】
第 1 章 日本の性教育のいま
学校の性教育,役に立った?
日本の性教育小史
国連勧告と日本政府の対応
第 2 章 国際基準で考える性教育
性教育とセクシュアリティ教育
包括的セクシュアリティ教育(CSE)
性教育をめぐる 5W1H
第 3 章 性に対する価値観・態度を見直そう ―― SAR(性に対する態度の再評価)プログラム
性に関する「正しい知識・正しい理解」とは
セックス・ヒエラルキーが生む排除
SAR から学ぶ実践者のためのスタートアップ
第 4 章 ポジティブアプローチで行こう
変化する性教育のアプローチ
フィンランドにおけるセクシュアリティ教育
CupOfTherapy からのメッセージ
対話を通したセクシュアリティ教育のために
【第Ⅱ部 安全・安心な関係性ってなんだろう】
第 5 章 子どものそだちと境界線の発達
関わりのなかでそだつ ―― アタッチメント
境界線はどうやってつくられるの?
境界線と自己決定
第 6 章 同意と安全な関係性
同意と関係性
性的同意と性暴力
YES is YES アプローチ
第 7 章 性暴力の話題を安全に扱うために ―― トラウマインフォームドな性教育
性教育における性暴力の学習
子どもへの性暴力
性暴力に対する誤解
性問題行動のある子どもの理解
トラウマインフォームドケア
トラウマインフォームドな性教育
【第Ⅲ部 性の価値観と態度を見直す実践ワーク】
第 8 章 自分の「ものさし」を横に置いて性の話を聴くために
“性の三ざる”の影響をほどく
対話をはじめるまえに ―― 性について安全に話す
第 9 章 「教える」から「つながる」へ ―― 対話型アプローチのすすめ
性の対話をポジティブアプローチではじめよう
心理的安全性を高めるアクションプランを立てて,実践しよう
第 10 章 気づきをかたちに ―― わたしの実践をここから変える
性の話を安全にポジティブアプローチで聴こう
ポルノやセクスティングについて,ポジティブアプローチで対話する
慌てず,騒がず,否定せず ―― 問題の改善と予防
【対談】
性暴力の被害と加害 ―― 断絶か,つながりか? 支援の現場からみえること:小西聖子・藤岡淳子
書誌情報
- 東 優子・野坂 祐子・吉田 博美 著
- 紙の書籍
- 定価:税込 2,750 円(本体価格 2,500 円)
- 発刊年月:2026 年 2 月
- ISBN:978-4-535-56450-3
- 判型:A5判
- ページ数:280ページ
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関連情報

ここからはじめる包括的セクシュアリティ教育〜性の価値観と態度を見直す対話型アプローチ〜出版記念ワークショップ
日時:2026 年 3 月 15 日(日)10:00 – 16:30
場所:大阪公立大学 I-siteなんば(大阪市浪速区敷津東 2 丁目 1 – 41 南海なんば第 1 ビル 2 階・3 階)
会場までのアクセス
定員:40 名(対面セミナー)
参加費(テキスト代込み):5,000 円
















