『インターネット・オブ・ブレインズの法—神経法学の基礎と事例研究』(編:駒村圭吾)
第Ⅰ部の構成
第Ⅰ部は、本企画の背景をなす「Internet of Brains(IoB)」という構想に向けて、神経科学の研究を最前線で行っている自然科学者と、法学者、法実務家、倫理学者を中心に構成されるIoB-S のメンバーとの間で行われた、分野の壁を超えた、“対話”のログとなっている。
ここで展開されている“対話”の目的は、①Internet of Brains という構想の全体像とはなにか、②IoB はいかなる技術群によって実現されようとしているのか、③IoB が現実のものとなった時、いかなる技術的・法学的・倫理学的な課題に直面することになるのか、という3点を明らかにすることにある。
各セッションの前半部分に位置付けられる[基調講演]パートは①・②について、後半部分に位置付けられる[ディスカッション]パートは③についての議論が展開されていることになる。
各セッションは独立しているが、その並びには主に技術的な観点から若干の体系性が意識され、相互に関係している。ここでそのごく簡単な見取り図を示しておくことにしたい。
セッション1
セッション1では、IoB という構想の核心に位置付けられている技術であるBrain-Machine Interface を取り上げている。BMI 研究の第1人者であり、リハビリテーション分野への応用を専門とする牛場潤一氏との対話を通じて、BMI 研究の“これまで”と“これから”を概観する。そこでは、BMI の歴史や概要だけでなく、今後のセッションにおいて繰り返し参照されることとなるBMI の分類についても詳述されている。なお、本セッションにおいて中心的に取り上げられる“ニューロフィードバック”や“ニューロリハビリテーション”は、現在すでに社会的な実装が進んでいる技術であり、対話の時間軸としては“現在”、そして“近未来”に照準されている。
セッション2
これに対してセッション2は“未来”に照準する。神経科学者であり、起業家でもある金井良太氏(IoB 構想の主唱者でもある)との対話を通じて、IoB という構想それ自体に迫る。セッション1で得たBMI の知見を前提に、IoB という構想のもつインパクトやIoB の実現目標である「X Communication」、IoB の(究極の?)到達目標である「思念クラウド」について検討する。IoB とBMI との関係性、IoB の目指す未来、その背景にある哲学的な問題やある種のユートピア論に踏み込んだ検討が行われている。
セッション3
セッション3では、IoB が実現を目指す脳と脳、脳とAIの情報的な接続、すなわち「X Communication」を中心に取り上げる。その実現には神経系の内部で処理される情報の「解読」・「翻訳」・「入力」という3つの要素が重要になるが、意識研究を専門とする笹井俊太朗氏との対話を通じてその現在地に迫る。セッション3は、セッション1とセッション2のちょうど中間あたりに位置する“未来”に照準している。
セッション4
セッション4では、BMI の応用が期待される“アバター”のコントロールに注目する。なお、IoB 構想の中で、BMI によってコントロールされるアバターは、“Cybernetic Avatar”(CA)と表現され、本セッションでもその呼称が採用されている。もっとも、BMI のみによってコントロールされるCA は未だ実現していない。その一方で、CA を含む身体をとりまくテクノロジーの研究は大きな進展を見せている。このような「身体性メディア」研究を専門とする南澤孝太氏との対話を通じて、BMI-CA 研究の可能性、その課題に迫る。セッション4は、セッション1と同じく、“現在”、“近未来”に照準している。
セッション5
BMI という技術が主に依拠している「計算論的神経科学(computational neuroscience)」は神経科学の一分野に過ぎない。セッション5ではそれと異なった視点の提供を行う。すなわち、神経科学と総称される学問分野の全体に目を向ける。分子生物学・生化学分野に依拠しながら神経系(とくにシナプス)の物理・化学現象を研究する柚﨑通介氏との対話を通じて、神経科学の多層性を概観するとともに、シナプス研究に関わるELSI についても検討する。これにより、マクロ的な視点からIoB という構想を相対化するとともに、神経科学という学問領域の中に再定位することを試みる。
第Ⅱ部の構成
第Ⅱ部の目的は、第Ⅰ部で概観した神経科学技術を社会実装した場合に生じるELSI(倫理的・法的・社会的課題)について「具体的に」考えてみる点にある。そのため、第Ⅰ部で展開された議論を前提に、BMI のみにとらわれない諸技術の現在地に即した「仮想事例」を設定して、IoB-S のメンバーでそれを検討している。
なお、現在進行形で研究開発の進む技術にかかる法的・倫理的課題の検討を行う上では、多かれ少なかれ未来予測を避けて通ることができない。そのため、作成された事例の多くは、(遠近の差はあれど)未来予測に基づく“仮想的”なものではある。しかし、その全てが科学研究の成果や事実に依拠して作成されたものであり、決して“荒唐無稽なハイプ”に陥らぬよう、慎重な作り込みをしたつもりである。
各セッションは、仮想事例の提示と事例の背景や検討の上でのポイントの解説がなされる[事例とコメント]のパートと、それに基づいてIoB-S メンバーが議論を行う[ディスカッション]のパートという二段階で構成されている。各セッションは基本的には独立したものであるが、原則として、近未来に照準した事例からより遠い未来に照準した事例に至るような順序で配置されている。なお、セッション10・11は、法学にとって特に重要な問題を提起すると思われる技術使用の文脈にフォーカスする。
以下では、各事例の技術的な特徴とねらいについてごく簡単に述べることで、事例検討パートの見取り図を示しておきたい。
セッション6
セッション6では、非侵襲型・出力型BMI によって行われる物体(ドローン)の操作を取り扱っている。本事例は、主に脳波情報の取得とその処理(すなわち、ニューラル・デコーディング)にかかる法的・倫理的課題が検討の中心になるように設定されている。そのため、個人情報保護、プライバシーにかかる議論が主に展開される。また、本事例のベースとなったドローンレースには実例があり、その意味で、まさに“現在”に照準した仮想事例となっている。
セッション7
セッション7は、侵襲型・介在型BMI によって実現される人工神経接続を取り扱っている。そのため、法的・倫理的課題の検討においては、身体に対する侵襲性と、ニューラルデコーディングされた情報に基づく神経系に対する干渉という点が中心となるよう設定されている。そのため、生命や身体に対するリスクや、医師の説明義務(インフォームド・コンセント)にかかる議論が主に展開される。本事例のベースとなっている技術は臨床段階にあり、現在に非常に近い“近未来”を照準した仮想事例となっている。
セッション8
セッション8は、神経系にかかわる情報の取得を離れて、神経系の「操作」に関わる仮想事例として、化学的、電磁気的に直接的に神経系に干渉する「認知エンハンスメント(cognitive enhancement)」を取り上げている。神経系に“物理的”に干渉する技術を取り上げるため、薬機法や憲法上の権利にかかわる議論、平等や正義にかかわる論点が検討の中心となるように設定されている。「認知エンハンスメント」は、未だ科学的根拠が乏しかったり、効果量が小さいものが殆どであり、依然として基礎研究の段階にある。その意味ではセッション7よりも遠い“未来”に照準している。
セッション9
セッション9は、Brain EX という人工血液を環流させる装置を用いてブタの死後脳の構造・機能の維持・回復を目指した研究に依拠し、「脳死」について取り扱う仮想事例となっている。本事例は動物(ブタ)に対する基礎研究に依拠し、それをヒトの脳について応用した議論を行っているため、これまでの事例で最も“遠い”未来の先の可能性に照準している。ここでは、脳死、臓器移植法、死に関する自己決定権などにかかわる論点が検討の中心となる。また、脳オルガノイドについても捕捉的に検討を加えている。
セッション10
セッション10では、非侵襲・出力型BMI を利用した労務管理を題材とした事例を取り扱う。これはこれまでの事例とは異なり、雇用関係という非対称的な法関係の存在を前提とする環境下での技術使用が問題となる。そのため、個人情報保護、プライバシーに加え、同意の真正性、労働法制、日常生活におけるプロファイリングの是非などが検討の中心となる。なお、労務管理を目的としたニューロテックは、欧州・米国企業がすでに販売し、多くの企業で導入が進んでおり、本事例はまさしく“現在”に照準した事例となっている。
セッション11
セッション11では、マーケティングや投票・政治運動への非侵襲・出力型BMI の応用、いわゆる「ニューロ・マーケティング」や「ニューロ・ポリティクス」を題材とする事例を扱う。特に、投票・政治行動や消費行動の変容を目的とした技術利用を想定しているため、個人情報保護やプライバシーだけでなく、個人の自律や民主主義への影響、公職選挙法、さらには競争法などが検討課題の中心に存在する。なお、ニューロ・マーケティングはその知名度に反して、基礎研究の途上にあり、これはセッション8と同様に比較的遠い未来に照準した事例となっている。
目次
はしがき
第Ⅰ部 神経科学(neuroscience)の理論と技術
第Ⅰ部の構成
キックオフ座談会
脳神経科学の挑戦を法学はいかに受け止めるべきか
……牛場潤一、駒村圭吾、大島義則、小久保智淳
セッション1 BMI(Brain-Machine Interface)とは
[基調報告]……牛場潤一、駒村圭吾(聞き手)
[ディスカッション]
セッション2 思念クラウドの世界へ
[基調報告]……金井良太、駒村圭吾(聞き手)
[ディスカッション]
セッション3 X Communication とは何か?
[基調報告]……笹井俊太朗、駒村圭吾(聞き手)
[ディスカッション]
セッション4 Cybernetic being の世界
[基調報告]……南澤孝太、駒村圭吾(聞き手)
[ディスカッション]
セッション5 神経科学の多階層性—生物学的見地から
[基調報告]……柚崎通介、駒村圭吾(聞き手)
[ディスカッション]
第Ⅱ部 神経法学(neurolaw)の事例研究
第Ⅱ部の構成
セッション6 出力型BMIによるドローン・レース
事例1
コメント1:神経科学・神経法学の観点から……小久保智淳
コメント2:個人情報保護法・プライバシーの観点から……松尾剛行
[ディスカッション]
セッション7 人工神経接続手術による運動機能再建
事例2
事例についての技術的な解説……小久保智淳
コメント1:神経法学の観点から……小久保智淳
コメント2:法的・倫理的観点から……数藤雅彦
[ディスカッション]
セッション8 エンハンスメント問題
—脳神経科学技術による認知機能増強をめぐって
事例3
コメント1:法的観点から……松尾剛行
コメント2:神経科学の観点から……小久保智淳
[ディスカッション]
セッション9 脳死と神経科学—脳死体の脳機能回復?
事例4
コメント1:法的観点から……大島義則
コメント2:神経科学の観点から……小久保智淳
[ディスカッション]
セッション10 従業員の脳情報
事例5
コメント1:法的観点から……数藤雅彦
コメント2:神経科学の観点から……小久保智淳
[ディスカッション]
セッション11 脳神経技術と民主主義
—ニューロマーケティングを素材として
事例6
コメント1:法的観点から……大島義則
コメント2:神経科学の観点から……小久保智淳
[ディスカッション]
※ディスカッションに参加のIoB-Sメンバー
駒村圭吾
大島義則
小久保智淳
斉藤邦史
酒井麻千子
数藤雅彦
成原 慧
西村友海
福士珠美
松尾剛行
横大道 聡
索引
書誌情報
-
- 『インターネット・オブ・ブレインズの法』
- 編:駒村圭吾
- 定価:税込 5,500円(本体価格 5,000円)
- 発刊年月:2025.07
- ISBN: 978-4-535-52851-2
- 判型:A5判
- ページ数:400ページ
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