『刑事政策へのいざない』(編:甘利航司)

一冊散策| 2025.09.15
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

 

 

犯罪と刑罰に関する学問領域は、一般的に、刑事法と呼ばれる。刑事法においては、何より、犯罪の要件を定め、それに結び付けられる法的効果たる刑罰を内容とする「刑法」、そして、国家が刑罰権を実現するための手続を規定する「刑事訴訟法」がある。法解釈を主に学問領域とする刑法と刑事訴訟法は、司法試験科目であることもあり、刑事法の花形である。そして、刑法と刑事訴訟法は、人権への脅威となる可能性が常にあるため、「法的」安定性に資するような、強固な理論を構築してきた。そのため、とても魅力的な学問領域である。

定価:税込 2,860円(本体価格 2,600円)

しかし、ひとたび法解釈を離れてみれば、例えば、貧困にあえぐ被告人がいて、痛みが癒えない被害者がおり、自らの理念と実際の運用の狭間で苦しんでいる実務家がいる。こういった人たちの存在は、時として、壮大な法理論に目を奪われて、視界から外れてしまう時がある。刑事政策とは、法を無視するわけではないが、それをひとたび脇において、刑事法をとりまく問題状況に目を向ける学問領域である。刑法と刑事訴訟法が、「法(規範)」から議論をはじめるのに対して、現実を直視し、「事実」をスタートラインとするのが刑事政策といえるだろう。法理論—立法・解釈・実現—は、現にある厳しい「事実」を無視することはできない。だからこそ、刑事政策は、事実を詳らかにし、解決策を示し、そのうえで法理論に反映させるという任務を必然的に負うこととなる。

本書は、現代社会において、重要だと思われる刑事政策に関する12のテーマを、それぞれ専門的に研究してきた執筆者により、書き進めるものである。その際、本書の叙述は、教科書的記述と論文的記述の中間を目指した。教科書的記述は、平易さを有するが、同時に、平坦となり議論の重要性が浮かび上がってこない。論文的記述は、議論の重要性を際立たせるが、同時に、読み手を限定してしまう。本書は、両者の「よいとこどり」を企図している。それは、できるだけわかりやすい文章により、重要論点に切り込むというものである。刑事政策の任務が、上述のように、法理論に反映させるということである以上、読者の方々と議論を適切に共有できたらと考えるからである。

本書の目次をご覧いただくと、執筆者もテーマも、バラバラにみえるかもしれない。しかし、それは、刑事政策においては、さまざまな方向からの多様なアプローチがあることの証左でもある。そのうえで、急いで付け加えていわなければならないのは、私たち執筆者の理念自体は、一致するということである。私たちは、長きにわたり、佐々木光明先生から教えを受けてきた。先生のお考えを紹介し、このことにふれたい。先生は、人々が安心の対象を国家にもとめ、政策を国家に丸投げする傾向があるとし、これを「安楽のファシズム」と呼ばれる。安楽のファシズムの特徴は、人々から「ことば」—思考力と批判力—を奪うことである。そして、このことに対抗するために、社会の実態とそこに置かれている人間の実像を共有することが必要であり、専門性をもった人々は、人々相互の結び付きとネットワークを拡げる役割を果たすことが必要であるとされる(佐々木光明「おわりに—刑事法における専門性と市民的協同」内田博文=佐々木光明編『〈市民〉と刑事法〔第5版〕』〔日本評論社、2022年〕256頁)。

私たち執筆者もそれぞれのテーマの専門家である。そして、読者の方々も—年齢や立場を問わず—何かのテーマの専門家であるだろう。そうでなくても、いつかは専門家となるだろう。本書により、私たちとしては、読者の方々を刑事政策の世界にいざない、ついで、多くの刑事法の議論に関心を持っていただき、さらには、刑事政策ひいては刑事法の議論にご参加いただけたらと考えている。本書が、私たちと読者の方々との相互のつながりをつくりだし、安楽のファシズムに対抗する—そして佐々木先生が希求される—公共性を有し、一人一人の尊厳を守る「知の共和国」(佐々木・前掲267頁)へとつながる第一歩になれば幸いである。私たちが共有するのは、まさにこのような理念である。

佐々木光明先生は、2025年3月に神戸学院大学を定年退職された。本書は、先生が(恒常的に)教壇に立つことがなくなったいま、先生のお考えを引き継ぎ、私たち執筆者なりにいままで学んできた成果を示したものでもある。先生の古稀をお祝いするとともに、本書が、上述のような理念を達成できていることを切に願う。

本書は、法学セミナー831号(2024年)から842号(2025年)に「新しい刑事政策」と題して連載された各論文をもとに、加筆修正したものにより成り立っている。「新しい」とあえて名を打ったことには理由があった。刑事政策は、現実に生起する事象と深く関わるがゆえに、時の経過とともに、議論が早くに干からびてしまい、そのため「賞味期限が短い」といわれることが多い。そこで、私たち執筆者なりに、現代という時代に深く関わり、そして時代を見据えながら、そのうえで時代を先取りし、できれば時代を動かそうと考えていた。このような考えは、本書でも変わっていない。ただ、むしろ、多くの方々とのつながりを意図する本旨を重視し、タイトルを「刑事政策へのいざない」とした。

「新しい刑事政策」=「刑事政策へのいざない」プロジェクトは、企画・立案、法学セミナー誌上での連載、そして書籍化まで非常に短い期間でなされている。私たち執筆者のアイデアを、適切なマネージメントによりプロデュースして下さったのは、(元)法セミ編集部の市川弥佳(いちかわ・ひろか)氏である。市川氏は、私たちの「ことば」が、読者の方々にしっかりと届くように、膨大な時間を割いて下さった。末筆ながら、市川氏に心よりお礼申し上げる。

2025年3 月28日
甘利航司

目次

第1章 拘禁刑について
—刑罰と処遇の関係を考える……中村悠人

第2章 受刑者の権利と処遇
—処遇の範囲および是非の問題に着目して……大谷彬矩

第3章 電子監視の世界へようこそ
—ユートピアかディストピアか……甘利航司

第4章 新生児の生命の保護
—赤ちゃんポストと内密出産を例として……山下裕樹

第5章 少年法は何をめざしているのか
—試験観察を通じて考える……大貝 葵

第6章 犯罪をした高齢者への対応
—刑事政策を拡大しなくとも実現できる方策を探る……安田恵美

第7章 薬物政策の常識と非常識
—異世界転生しなくても海外では非刑罰化で問題使用を減らしていた件……丸山泰弘

第8章 修復的司法
—修復レンズで犯罪と司法をみる……謝 如媛

第9章 刑法の謙抑性に基づく刑事政策の限界設定の意義
—刑法理論からみた刑事政策……金澤真理

第10章 地方再犯防止推進計画
—刑事政策における地方公共団体の責務……高橋有紀

第11章 「入口支援」と司法の役割
—カナダ・ダウンタウン・コミュニティー・コートを参考にして……春日 勉

第12章 社会内処遇
—刑事政策の意義と拡がり……正木祐史

事項索引

書誌情報