(第1回)√−2×√−3=√6 は正しいか

(毎月上旬更新予定)
明治初期に数理学館が出していた『数学雑誌』という雑誌の第3号(明治19年=1886年12月17日発行.月刊誌)を眺めていたところ,「雑報」の欄におもしろい記事がありました.どこかの学校の数学教師の投書のようで,虚数の掛け算にまつわる話題です.
近頃某学校にて或教員が授業の際ふと椿事を生ぜり.即ち茲に √−2√3 式と √2√−3 式とあり.両式ともに尋常の如く代数上の変化を施せば √23×(−1) となる.即ち √23√(−1) を得る.然るに第二式は之を
√2√−3=√2√3√−1=√2√−1√3(√−1)2=−√2√−1√3となして不可なきに似たり.因て第二式は二件の値を顕はせるを以て大に怪しみ之を同校中の人に談せしに或は一件の値を正答なりと云ひ,或は二件の値を正答と云ふもありしと.果して何れを正とするや.記して諸君の論定を待つ.(原文の片仮名を平仮名に直し,漢字の字体を変えて再現しました.)
A=√−2√3 と B=√2√−3 という二つの数を比べると,一方の計算ではどちらも √2√−1√3 という同じ数値になるのに対し,もう一方の計算では後者は −√2√−1√3 という符号の異なる数値に帰着されてしまいます.まことに不可解な出来事ですし,正しいのはどちらだろうかという議論が起ったものの結論に達しなかった模様です.当時の数学事情の一端がうかがわれて感慨を誘われますが,「諸君の論定を待つ」ということですので,この132年前の問い掛けを再考してみたいと思います.
この記事に「尋常の如く代数上の変化を施せば」とありますが,これは
√a√b=√ab,√a√b=√abという計算規則を指す言葉です.これを用いて √−2√3=√−23,√2√−3=√−23 という計算が行われ,前者の数値は正しいのに対し,後者の計算では誤った数値に導かれました.後者は正しくは √2√−3=−√−23 で,√−2√3 と √2√−3 は「自乗すると −23 になる異なる二つの数」を表しています.オイラーの著作『代数学への完璧な入門』(1770年)にも √−2√−3=√6,√+3√−3=√−1 などとあり,オイラーもまちがえたと話題になることがあります(図参照).ただし,この計算をまちがいと思うのは今日の習慣に沿っての判断で,「負の数の平方根とは何か.また,どのように表記するのか」という原点に立ち返ると,負数の平方根の異なる相貌が見えてきます.
正の数 a の平方根 √a については,オイラーも「自乗すると a になる正負の二つの数」のうち正のほうを表す記号として諒解していたようで,負のほうは −√a と表していますが,a が負の数の場合にはこのような区別は失われてしまいます.では,「自乗すると a になる数」はどのように表記したらよいのでしょうか.オイラーの苦心がここにありました.平方根というものの源泉に立ち返ると,「自乗したら自分自身に回帰する数」を表示すればよいことになりますが,たとえば「4 の平方根」は +2 と −2 で,オイラーはこれもまた √4 と表記しています.+√4 と −√4 の双方を合わせて単一の記号 √4 で表したのですが,なぜそうしたのかというと,負数 −a (a>0) の二つの平方根を +√−a,−√−a と表記して,しかも両者を合わせて単一の記号 √−a で表そうとしたからです.
正数の平方根のみを考えるのであれば記号 √a (a>0) の意味は明確に規定することができますが,負数の平方根に移ると,平方根というものの本来の意味にさかのぼり,記号 √−a (a>0) は二つの値を同時に表すという任務を課されます.しかもその視点に立って正数の平方根を観察すると,√a (a>0) もまた正負の二つの数値を表しているように見えてきます.
出発点にもどって,「自乗すると −1 になる二つの数」のうちのどちらかを a とすると,a2=−1 より,1±a=∓a となります.√2 と √3 はそれぞれ 2 と 3 の正の平方根と諒解することにして,
A=√2(±a)√3, B=√2√3(±a)=√2(∓a)√3=−Aと計算が進み,A と B は「自乗すると −23 となる二つの数」であることがわかります.オイラーの語法に沿えば,どちらも同一の虚数 √−23 の異なる表現にほかなりません.負数の平方根には数の神秘が充満しています.
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高瀬正仁 昭和26年(1951年)群馬県勢多郡東村(現在、みどり市)に生れる.元九州大学教授.数学者・数学史家.専攻は多変数関数論と近代数学史.最近の著作に『数学史のすすめ—原典味読の愉しみ』、『dxとdyの解析学(増補版)』(日本評論社),『岡潔先生をめぐる人びと—フィールドワークの日々の回想』(現代数学社)など.