【座談会】国際機関で働く醍醐味とキャリアの可能性(経済セミナー2025年10+11月号)

特集から(経済セミナー)| 2025.09.29
経済セミナー』の特集に収録されている対談・鼎談の一部をご紹介します.

(奇数月下旬更新予定)

 

経済学を武器に、世界で活躍する国際機関のエコノミストたち。その仕事の面白さはどんなところにあり、どのようなキャリアが広がっているのだろうか? 今回は、国際通貨基金 (IMF) と世界銀行で勤務経験を持つ方々に、国際機関での仕事や生活、そこでの経済学などの専門知識やスキルの活用実態、どうすれば国際機関で働けるのかなどを、自身の経験をふまえてお話しいただいた。

1 はじめに

—本日は、IMF と世界銀行で活躍されている、またはそこを経てアカデミアで活躍されている皆さまにお集まりいただき、国際機関での仕事の魅力やキャリア展開などを伺っていきます。まずは自己紹介から、よろしくお願いします。

植田 東京大学の植田です。大学院経済学研究科と公共政策大学院で教えています。また、東大金融教育研究センター (CARF) のセンター長と、(公財) 東京経済研究センター(TCER) の代表理事も務めています。東大経済学部を卒業した後、バブル崩壊頃の 1991 年に当時の大蔵省 (現・財務省) に入り、その後退職してシカゴ大学の Ph.D.プログラムに進学しました。大蔵省での最後の仕事は当時の国際金融局 (現・財務省国際局) で、IMF、OECD (経済協力開発機構)、G7 を担当しました。Ph.D.プログラム在学中の 1998 年に IMF のサマー・インターンに参加し、指導教員かつ共同研究者で当時シカゴ大学にいたタウンゼント (Robert M. Townsend) 教授にも相談して、共同研究のしやすさなども考慮して米国に残って研究しようと思い、2000 年に IMF に入りました。

IMF では、ほとんどの期間を調査局 (Research Department) で過ごしました。「エコノミスト・プログラム」という幹部候補の採用で、2〜3 年はローテーション人事でアジア太平洋局 (Asia Pacific Department) や金融資本市場局 (Monetary and Capital Markets Department) でも働きました。調査局は、私の就職直後はハーバード大学から移ってきたロゴフ (Kenneth Rogoff) 教授が局長を務めていました。その後、私のシカゴ大学でのセカンド・アドバイザーだったラジャン (Raghuram Rajan) 教授が局長を務めました。ラジャン教授は IMF の後はインドの中央銀行総裁も務め、現在はシカゴ大学に戻られています。その後の局長として、2024 年にノーベル経済学賞を受賞したジョンソン (Simon Johnson) 教授、そしてブランシャール (Olivier Blanchard) 教授が着任され、一緒に仕事をしました。

IMF での仕事は、初めの数年は比較的穏やかでしたが、2008 年に世界金融危機が発生すると、私の専門が金融とマクロ経済学だったこともあり、危機対応で非常に忙しくなりました。それが一段落した 2014 年に、東大に移籍しました。東大では金融論、国際金融、経済成長論を教えつつ研究しています。ポジションは変わっていますが、携わるテーマは大蔵省時代から一貫しており、特に IMF 時代と現在で取り組んでいることはそれほど変わっていません。IMF 時代の仕事は非常に面白かったですし、その経験は今でも活かされています。

齋藤 IMF の齋藤です。学士号、修士号をロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで取得した後、日本の財団法人で 4 年ほど勤務しました。その後、Ph.D. を取得するためにコーネル大学に進学し、取得後に米国インディアナ州にあるノートルダム大学に就職しました。そこで 3 年間教えてから、2003 年に IMF に入りました。

IMF では、まず能力開発局 (Insititute for Capacity Development: ICD) で途上国の人材育成などに携わる仕事を担当しました。その後、戦略政策審査局 (Strategy, Policy and Review Department: SPR) という、名前の通り IMF の政策形成や融資、経済サーベイランスの審査をする部署で働いてから、現在のアフリカ局 (African Department) に異動しました。アフリカ局には 10 年以上勤務しており、現在は審議役とミッション・チーフを務めています。

最初に配属された能力開発局には、大学から移った人が多く所属していました。植田さんは新卒採用のエコノミスト・プログラムで入られましたが、私は中途採用 (midcareer) で入り、最初は大学の仕事とよく似た業務を IMF でも続けることになりました。私が次に所属したのは先述の SPR という部署で、そこで政策形成や審査に関わる仕事をした後、IMF の融資や経済調査 (サーベイランス) などのオペレーション (政策実務) に従事するというキャリアの進展は、アカデミアからの中途採用の場合、自然な流れだったと思います。

鍋嶋 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で教授をしている鍋嶋です。早稲田大学ベトナム総合研究所の所長も務めています。米国カリフォルニア大学デービス校で Ph.D.を取得しました。博士論文では、国際貿易分野の中でも海外直接投資に関する実証分析を行いました。Ph.D.プログラムの終盤に世界銀行で日本人スタッフを募集している機会にめぐり合い、採用してもらうことができました。

採用後は「DEC-RG (Development Economics ResearchGroup)」という部署で、研究に従事する部署に配属されました。そこで「East Asiaʼs Future Economy」という研究プロジェクトに携わり、主に研究成果をまとめた書籍の出版に従事しました。DEC-RG 時代の 7 年間 (2001〜08 年) では、非常に生産性の高い上司とご一緒し、計 13 冊もの書籍の出版に携わりました。最後の 1 年 (2009 年) は世界銀行研究所 (World Bank Institute: WBI) に所属していました。

2010 年に日本に帰国し、日本貿易振興機構アジア経済研究所に転職しました。そこでも引き続きアジア経済成長と、それと関係の深い貿易、特に輸出産業の育成に焦点を当てて研究してきました。その後、2015 年に早稲田大学のアジア太平洋研究科に採用されて現在に至ります。「東アジアにおける経済発展と産業」と「規制と貿易」という 2 つの講義科目 (日・英両言語で実施) と、修士課程と博士課程のゼミを担当しています。

吉野 世界銀行の吉野と申します。現在は、欧州中央アジア地域総局の経済アドバイザーを務めています。世界銀行には、2003 年にコンサルタントとして入りました。それ以降の 22 年間はずっと世界銀行で勤務し、基本的には「カントリー・エコノミスト」としてのキャリアを歩んできました。アフリカ地域を担当していた時間が長いのですが、ほかにも南アジア、現在は欧州と中央アジアを担当しています。22 年間のうち、14 年間はワシントンD.C.本部勤務ですが、8 年間はフィールド勤務、そのうち 4 年間はタンザニアのダル・エス・サラームに、もう 4 年間はバングラデシュのダッカに駐在しました。

上智大学法学部の出身ということで、学部は経済学ではありませんでした。そのときに「模擬国連 (model UN)」に参加するなど、国際法や国際政治学に関心を持っていました。その後、コロンビア大学の国際公共政策の修士課程に進学し、当時そこで教佃をとられていたロドリック (Dani Rodrik) 教授の開発経済学のコースをいくつか履修し、国際機関の中でも国際開発や経済政策に関連したキャリアを考えるようになりました。修士号取得後は、外務省の専門調査員として国際連合日本政府代表部 (国連代表部) で勤務し、開発問題・環境問題に関わる国連の会議を担当しました。

そのうちに経済学を本格的に学びたいと考え、国連代表部の 3 年間の任期を終えた直後に、バージニア大学の経済学の Ph.D.プログラムに進学しました。4 年目になり Ph.D.論文 (国際貿易論専攻) の大まかな部分が完成しつつあった頃に、世界銀行のアフリカ地域総局のスタッフの方からお声がけをいただき、コンサルタントとしてアフリカとアジアの地域間の貿易投資の分析のチームに入り、世界銀行も共催機関となっているアフリカ開発会議 (TICAD) のための世界銀行レポートの作成を担当しました。1993 年に出版された世界銀行の報告書『東アジアの奇跡』の筆頭著者であり、当時アフリカ地域チーフエコノミストであったペイジ (John Page) 氏のもとで、いくつかの調査プロジェクトを牽引する中、特にアジアとアフリカのリンケージを見ようという問題意識を持ちました。先ほどのアジア・アフリカ間の貿易投資の動向調査がその一例ですが、その他、アジアでの生産性向上や工業発展における産業集積の役割を念頭に、日本の政策研究大学院大学の先生方や、国際協力機構 (JICA) 研究所の研究員の方々と、アフリカの産業集積などについての共同研究をする機会を得ました。

その後は、カントリー・エコノミストのキャリアに入りました。カントリー・エコノミストについては後ほど詳しくお話ししますが、アフリカのタンザニアを長く担当し、他にもその近隣諸国であるソマリア、スーダン、マラウイ、ブルンジ、ケニア、ウガンダなども担当しました。また、4 年間駐在したダッカ時代は、バングラデシュとブータンの 2 カ国に対する世界銀行の経済支援プログラムを総括する立場で仕事をしました。

2023 年 7 月に 8 年振りにワシントン D.C.に戻り、現在に至るまで欧州中央アジア地域総局の経済アドバイザーを務めています。世界銀行の一般財政支援である開発政策融資は、ウクライナを含め、欧州・中央アジア地域の多数の国で実施しておりますが、そのような開発政策融資案件や、また投資プロジェクト案件でも開発上ハイリスク・ハイリターンあるいは大型投資案件の場合は、理事会に上げる前に副総裁のもとで精密な審査過程があります。その審査を受け持つ「地域業務委員会」の事務局を務めるのが、現在の任務の 1 つです。それ以外にも欧州中央アジア担当の副総裁に対する経済面での各種アドバイスも担当しています。リサーチに携わる機会もあり、現在、欧州・中央アジア諸国の生産性に関するフラッグシップ・レポート作成に参加しています。

続きは『経済セミナー』(2025年10+11月号通巻746号)で御覧ください

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