(第18回)文字・書物をめぐる運命と偶然:habent sua fāta libellī/書物はそれぞれの運命を持っている
格言といえばラテン語, ラテン語といえば格言. habent sua fāta libellī
ハベント スア ファータ リベッリ―
(書物はそれぞれの運命を持っている)
書物の運命
表題に掲げたラテン語の格言は, 古代ローマの文法学者テレンティアーヌス・マウルス(Terentiānus Maurus, 後2世紀)が残したことばです. この格言は(少なくともこの形で引用されたものを文法的に解釈する限り), 書物はそれぞれ自分に与えられた運命を持っており, 結局のところその運命をたどるものなのだ, という考えを表しているかのように読めます.
古代ギリシア・ローマ時代の書物に関して言えば, 実際, 書き残されたあらゆる書物のうちで, 2000年あるいはそれ以上の年月を経た現在においてもなお, 私たちがそれらを読むことのできるというケースは, 非常に限られたものになっています. 古代ギリシア・ローマ時代に書かれたそれ以外の夥しい書物はというと, 時間と偶然という試練の中で, ことごとく散逸し, 永遠に失われ, もう二度と読むことができないものとなってしまいました.
これは, 確かに取り返しのつかない損失ではありますが, 上記の格言の解釈に従えば, そもそもそれらの書物にとっては消滅するということが運命(fātum)だったのだということになります. それが運命だというのですから, その消滅は諦めるしかないでしょう. 他方, 幸運にも私たちのもとに残された書物たちはというと, この格言の解釈に従うならば, 残存するということがそれぞれの書物の運命であった, ということになるわけです.
消滅するのも残存するのも運命であるとすれば, オーナーが変わることも運命ということになるでしょう. というのも, 大量の書物のコレクションは, しばしば戦争で勝利した者による略奪の恰好の標的でした. アエミリウス・パウルス(Lucius Aemilius Paullus Macedonicus, 前229-160年)がマケドニア王ペルセウスから書物のコレクションを奪って自分の息子たちに与えたとき, スッラ (Lucius Cornelius Sulla Felix, 前138-78年) がアジアからイタリアへ戻る途中, アテナイの蒐集家アペリコーンから書物のコレクションを奪ったとき, あるいは, ルクッルス (Lucius Licinius Lucullus, 前118-56年) がポントスの王ミトリダテースに勝利して, 大量のギリシア語の書物のコレクションを奪ったとき, これらの勝利者たちはそれがこれらの書物の運命だと思ったかもしれません. ローマの将軍たちはこのようにして美術品だけではなく書物のコレクションをローマに持ち帰りました.
ここで文法の説明をしておきましょう. habent は第2変化動詞habēre(持つ, 持っている)の直接法・現在・3人称複数形. sua は3人称の再帰代名詞 suus(自分の, 自分たちの)の中性・複数・対格形で, 中性名詞 fātum(運命, 宿命)の複数・対格形 fāta を修飾しています. 男性名詞 libellus(本, 小冊子)の複数・主格形 libellī がこのセンテンスの主語です. libellus は男性名詞 liber(本)の縮小形です.
書物というものはその後も様々な形を取り続け, 今も時代と共に, その形態は変化を遂げつつありますが, 古代ギリシア・ローマ時代の書物といえば, 何といってもパピルス(papȳrus)の巻物という形をとる場合が多かったようです. 羊皮紙で作られた綴じ本(cōdex)も古代からすでに存在していました. しかし, 諸々の文学作品やそれらに関する研究書の類は, パピルスに記されることの方が普通でした.
パピルスとは, エジプトのナイル川流域に自生する植物であり, また, その植物の茎の髄の部分を薄くスライスしたものを縦横に密に重ね合わせて作られたシートのことです. パピルスという植物の茎そのものに含まれる糊のような成分によって, シートは乾かされると紙のようなものになりました. 個々のシートの縦の長さは30センチ程度でしたが, それらをつなぎ合わせると, 全長10メートル以上になるものもありました. それを巻物にして, 表面に文字を書き込み, 書物として利用したわけです. このパピルスの巻物1本には, 文学作品の標準的な「1巻」を納めることができました. パピルスはもともと決して頑丈な材質ではありませんでしたから, 偶然に起因する様々な理由で消滅の危険に晒されることは, まさにこの媒体の「運命」でした.
古代の書物は残る方が例外的
「失われた書物のリスト」というものがあります. それらを見ると, 古典古代の書物に関しては, 失われることの方がむしろ普通のことであり, 残ったことの方が例外的, あるいは奇跡的であったということが分かります. ある書物が消失する原因は様々です. 現代のように活版印刷や電子的なコピーによる大量再生産という習慣はありませんでしたから, 書物は奴隷たちを使ってあるいは読者自身が自分の手で書き写すというものでした. その結果, 一つの作品について書写されて作られた写し(コピー)の総数は決して多くなかったと思われます.
古代ローマの裕福な人々は文字の読み書きに通じた奴隷を雇って書写をさせ, 自分用の書物を収集し, 個人の書庫を持っていましたし, 公共の図書館もありました. 直接知人から購入したり、希少な書物を求めて書籍の販売業者を訪ね歩いたり, 裕福な蔵書家の友人から借り受けた上でコピーを作ったりと, 人々はそのようにしてコレクションを増やしていたようです. そうして集めた大切な本が, 実は捏造書だったり, 誤写や欠落を含む質の悪いテキストだったり, あるいは火災によって消失したという例を想像することは難しいことではありません.
実際に, 古代から中世にかけて, 貴重な書物がいちどに大量に失われるような災難は, 至る所で何度も発生したのですが, それらの中でも最も有名な例は, ユリウス・カエサルの責任に帰された, 紀元前48年のエジプトのアレクサンドリアの図書館における火災ではないでしょうか(実際にこの火災によって図書館にどの程度の被害と損失が生じたのかについては学者たちの間で議論の的になっています). アレクサンドリアの図書館における蔵書の消失は一度ではありませんでした. ローマがキリスト教国になった時代においても, アレクサンドリアの図書館が略奪によって大きな損失を受けたことが知られています. 紀元後2世紀においても, ローマの図書館の書物が火災によって消失したことが報告されています.
信州大学人文学部教授。専門は西洋古典学、古代ギリシャ語、ラテン語。
東京大学・青山学院大学非常勤講師。早稲田大学卒業、東京大学修士、フランス国立リモージュ大学博士。
古代ギリシア演劇、特に前5世紀の喜劇詩人アリストパネースに関心を持っています。また、ラテン語の文学言語としての発生と発展の歴史にも関心があり、ヨーロッパ文学の起源を、古代ローマを経て、ホメーロスまで遡って研究しています。著書に、『ラテン語名句小辞典:珠玉の名言名句で味わうラテン語の世界』(研究社、2010年)、『ギリシア喜劇全集 第1巻、第4巻、第8巻、別巻(共著)』(岩波書店、2008-11年)など。



