(第23回)人工配偶子:iPS 細胞から作られつつあるヒトの精子と卵子
ヒトの性の生物学(麻生一枝)| 2025.07.17
LGBTQ,少子高齢化,男女共同参画など,議論の的となっている社会テーマの多くは,ヒトの性と関係しています.「自分がどのようにして (how),自分になったのか」を知ることは,性的マイノリティの自己の確立に大きく影響し,また,年齢に伴う卵子や精子の老化は,私たちがどのようにキャリア形成とプライベートな生活 (結婚や家庭をもつなど) を両立していくかを考える上で,避けては通れない生物学的事実です.しかし現実には,様々な議論が,生物学抜きで,あるいは生物学の誤った解釈の下におこなわれており,責任ある立場の人々の誤った言説もあとを絶ちません.このシリーズでは,私たちの人生に密接に関係する「ヒトの性に関する生物学的知見」を紹介していきます.
(毎月中旬更新予定)
前回お話ししたミトコンドリア移植よりはるかに重大な倫理的・社会的・法的問題を、近い将来引き起こすであろう研究の流れに、「成体 (ヒトでいえば成人) の体の細胞を原材料として、人工的に精子や卵子をつくる」というものがある。「人工」という言葉が、生命のはじまりともいえる精子や卵子と一緒に使われると、否定的なニュアンスをもつことに研究者も気づいているのだろうか。「人工配偶子作製」、「人工精子作製」や「人工卵子作製」という言葉は使わず、「試験管内配偶子造成 (IVG=in vitro gametogenesis)」という、何をしているのかが即座にはイメージしにくい用語が使われている。
そして、この人工的に精子や卵子をつくるという流れの 1 つが、「iPS細胞 (人工多能性幹細胞) から精子や卵子を作る」という一連の研究である。そう、2013 年に日本にノーベル賞をもたらした、あの iPS 細胞である。iPS 細胞と聞くと、「再生医療によるバラ色の未来」という明るいイメージだけが広められている。しかし、その陰で、生命の意味を根底から揺るがしかねない研究が、広く公の議論を経ることなく、日本人研究者を中心に進められている。iPS 細胞とは何かをおさらいしてから、人工配偶子作製の現状を見ていこう。
麻生一枝 サイエンスライター,成蹊大学非常勤講師. お茶の水女子大学理学部数学科卒業,オレゴン州立大学動物学科卒業,プエルトリコ大学海洋生物学修士,ハワイ大学動物学Ph.D. (研究テーマは魚類の性分化・性転換).「健全な科学研究における統計学や実験デザインの重要性」「ジェンダー研究における生物学の重要性」という 2 つのテーマで活動してきている.著訳書に『科学でわかる男と女になるしくみ』(SBクリエイティブ),『生命科学の実験デザイン』(共訳,名古屋大学出版会),『科学者をまどわす魔法の数字,インパクト・ファクターの正体---誤用の悪影響と賢い使い方を考える』(日本評論社),『データを疑う力』(東京図書出版) など.


