(第2回)タダを疑う――見えないリスクを読む人間の心理
世界の心理学研究ノート(綿村英一郎)| 2026.05.18
今日も人の心をめぐる実験や調査が世界中で行われています。その結果は,私たちの日常や社会をどう照らしているのでしょうか? 本連載では,国内外の心理学研究を手がかりに「人はなぜそう考え,そう振る舞うのか」を考えます。難解に見える研究をできるだけ平易な言葉で紹介しつつ,心理学者である筆者がその面白さ,応用の可能性,違和感,限界などについて率直にお話しします。研究は万能な答えではなく,思考を広げるヒントです。研究室と日常のあいだを行き来しながら,心の世界を一緒に探りましょう。(毎月中旬更新予定)
タダでいいですよ! あなたはそう言われたとき,素直に「ありがとう」と受け取れるでしょうか。なぜタダなの?と警戒する人も多いのではないでしょうか。見知らぬ人から無料で食べ物を勧められたり,相場よりはるかに高い報酬の仕事を提示されたりしたとき,私たちは「得だ」とは感じにくくなることがあります。そこには,どこか「うますぎる話は怪しい」という感覚があるからです。経済学の基本的な考え方によれば,人は利益を最大化する合理的な存在とされます。安いものは好まれ,高い報酬は歓迎されるはず…なのです。しかし現実には,条件が良すぎると,かえってその取引や交渉を避けたくなるという逆説的な現象がしばしば見られます。なぜ,より多くの利益を提示されているにもかかわらず,私たちはそれを拒んでしまうのでしょうか。今回は,この一見非合理に思える判断の背後にある心理メカニズムについて,見えないリスク(Phantom Costs)をキーワードに考えていきます。
こうした感覚はさほど特殊なものではありません。「時給10万円の簡単な仕事があります」と言われたとき,多くの人はその条件の良さよりも,「何か裏があるのではないか」と自然とそう考えるでしょう(私見ですが,特殊詐欺に関わる人々がおかしいと微塵も思わずに犯罪に加担しているとはかなり考えにくいのです)。相場より極端に安い商品や理由もなく提示される高額な報酬に対して,私たちは無意識のうちに警戒心を抱くからです。本来であれば歓迎されるはずの「得な話」はかえって不安や疑念を引き起こします。実際に,この直感を体系的に検証した研究があります。
綿村英一郎(わたむら・えいいちろう)大阪大学大学院 人間科学研究科 教授。
東京大学文学部卒業。公務員として数年勤務したのち大学院に進学,博士号取得(東京大学大学院,2012年)。慶応義塾大学で特別研究員,東京大学で助教を経て,2017年4月に大阪大学に准教授として着任。2025年4月から現職。研究テーマは安楽死法,AIと法,児童虐待,少年法など司法と心理学の結節点に展開する諸問題。論文,学会発表は多数(参考URL:https://researchmap.jp/watamuraeiichiro)














