司法権の基本原理から考える(岩垣真人)(特集:法律を学ぶときに知っておきたい司法の話)
◆この記事は「法学セミナー」849号(2026年4・5月号)に掲載されているものです。◆
特集:法律を学ぶときに知っておきたい司法の話
司法制度の基本構造から現代的課題まで学び、法律が実際にどう機能しているのかを知ることで、司法への理解を深めよう。
—編集部
1 はじめに
日本中にその名をとどろかす羽生善治は、第70期将棋名人戦七番勝負で森内俊之に敗れた後、「結局、将棋は分からないことが多い」と感じたという1)。さすがに羽生九段と比較するのは恐れ多いが、しかし、知れば知るほど「結局、分からなくなる」というのは、私のような人間にとっても、日々痛感するところではある。
ところで、法学のコアは、やはり「司法」にある。法の依って立つ基盤を幅広く論じてきた笹倉秀夫は、その定評ある入門書で「われわれの学びの主軸である司法」2)と述べている。そのように、法律学習のコアが司法の理解にあるのだとすれば、まず、法律(学)を学ぶに際して、まず私たちがするべきことは、一見自明にも思える司法(権)なるものについて、羽生九段の顰みに倣いつつ、その基礎を問うことから始めて、徹底的に「分からなく」なっておくことではないだろうか。本稿では、自明性を疑い、司法権を基本原理から問い直すという方法を採る。一見迂遠だが、これこそが本質への近道となるはずだ。
2 権力分立論と日本の制度

私たちが「司法権」という言葉に出会うのは、多くの場合、三権分立として権力分立制を学ぶときだろう。そのような権力分立制は、近代憲法の根幹を成すものといわれることも多い。しかし、実は権力分立とは、その考え方も、そして具体的な制度のあり方も、実は多様なものである。モンテスキューの考え方は、現在よくいわれる三権分立とも異なる3)し、また現在でも、厳格な権力分立に基づいた大統領制を採用するアメリカは、議院内閣制を採用する日本のそれとは大きく異なっている。しかし、権力分立が目指す内容には、共通するものがあるといわれる。
権力分立について、憲法学の古典的なテキストを紐解けば、単なる統治の技術ではなく、国民の自由を守るための「自由主義的」な装置である、という記述を見つけることができる4)。権力分立の本質は、権力を行使する人間への「不信」(人間への猜疑)にあり、権力間にあえて摩擦を起こすことで、権力の濫用を消極的に防ぐ点にその核心があるという。つまり、この権力分立というシステムは、政治の能率を上げるためではなく、効率を度外視してでも権力の「恣意的な行使」を防ぐことを目的とするものであるという。
脚注
| 1. | ↑ | 朝日新聞2012年7月5日。 |
| 2. | ↑ | 笹倉秀夫『法学講義』(東京大学出版会、2014年)309頁。 |
| 3. | ↑ | そのような違いが問われたものとして、2021年実施の共通テスト「現代社会」の第一問での出題があった。 |
| 4. | ↑ | 清宮四郎『憲法Ⅰ〔第三版〕』(有斐閣、1979年)63-64頁。 |














