(第86回)多国間貿易体制と経済安全保障(平家正博)

弁護士が推す! 実務に役立つ研究論文| 2026.01.07
企業法務、ファイナンス、事業再生、知的財産、危機管理、税務、通商、労働、IT……。さまざまな分野の最前線で活躍する気鋭の弁護士たちが贈る、法律実務家のための研究論文紹介。気鋭の弁護士7名が交代で担当します。

(毎月中旬更新予定)

浦田秀次郎「FTAと経済安全保障」

経済・安全保障リンケージ研究会最終報告書(2023年3月)131–145頁

日本は1990年代後半まで多角的貿易体制(WTO)を重視してきたが、徐々にFTA(自由貿易協定)戦略を本格化させた。2002年の日シンガポールEPAを皮切りに、ASEAN諸国などアジア近隣国との協定を積極的に推進した。日本のFTAは、単なる関税撤廃にとどまらず、投資・知的財産・サービス貿易を含む包括的な経済連携協定(EPA)として設計されている点が特徴である。

さらに、2010年代以降はCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)やRCEP(地域的な包括的経済連携)など、複数国間の大型協定にも積極的に参加してきた。特にCPTPPでは米国離脱後も日本が主導し、CPTPPを成立させるなど、FTA戦略は「二国間中心」から「多国間・メガFTA重視」へと大きく転換している。

このようなFTAは、もともと関税・非関税障壁の削減による貿易自由化と経済効率の向上を目的としてきた。しかし近年、サプライチェーンの強靭化や経済的威圧への対応が重要課題となり、経済依存関係の強化や国際的なサプライチェーン構築を促進するFTAを、経済安全保障の観点からどのように位置付けるべきか、検討の必要性が高まっている。

こうした時代背景を踏まえ、FTA締結の動機やその効果をどのように捉え、通商政策へどのように落とし込むべきか考えることの重要性が一層高まっている。そこで今回は、浦田秀次郎「FTAと経済安全保障」(日本国際問題研究所)の論考(以下「浦田論考」という。)を紹介し、現代におけるFTAの意義と課題について考察したい。

浦田論考では、FTAと経済安全保障の関係について、安全保障を経済面と政治面に分類し、それぞれ理論及び実証の両側面から、先行研究のレビューを通じて分析を行っている。経済面の安全保障に関する分析では、FTAが加盟国の経済成長を促進する効果を持つことから、安全保障の実現に寄与する可能性が示されている。政治面の分析については、経済面に比べて研究数は少ないものの、民主主義国間のFTAが加盟国の民主主義の持続に資する効果を持つとする研究が存在し、FTAが加盟国の政治的安定にも貢献し得るとの見解が示されている。

このように、FTA締結の動機や効果を分析的に紹介する浦田論考は、現代の国際環境においてFTAが果たす役割を考える上で有用な視座を提供するものであり、ぜひ一読をおすすめしたいが、本稿では、浦田論考の内容を踏まえつつ、私自身の視点から、今後重要となる大きな潮流について、いくつか述べてみたい。

まず、第一に、今まで以上に、経済統合や自由貿易化を進めることが本当に正しい道なのか、改めて慎重に考える必要があるのではないかと思われる。浦田論考が指摘するように、FTA締結の経済的帰結としては、加盟国間の貿易障壁の撤廃による貿易拡大、そしてそれに伴う経済成長の実現が挙げられる。また、FTA締結の政治的帰結としては、FTA相手国との関係の緊密化が期待される。これらの効果は、肯定的に評価されるものだが、その一方で、米国トランプ政権期以降、産業空洞化による国内経済・社会の不安定化など、自由貿易がもつ負の側面も改めて意識されるようになった。したがって、FTAを通じた経済統合や貿易自由化を無条件に肯定するのも、否定するのでもなく、経済統合や貿易自由化による利益と不利益のバランスをより慎重に見極める姿勢が求められるように考えられる。

第二に、仮に経済統合や貿易自由化を進める場合にも、どの国と進めるべきかという点が、改めて重要な課題になっていると考えられる。特に、政治・安全保障上の価値観や利害関係を必ずしも共有しない国との経済統合をどのように位置付けるべきかは、グローバル経済における「西側先進諸国」の相対的地位が縮小する中で、重要なテーマとなっていると思われる。浦田論考が指摘するように、こうした国々と経済統合を進めることで、相手国の不公正な貿易慣行が是正されれば、安全保障上の懸念が軽減される可能性がある。そのためには、ルールの構築や執行力の強化が不可欠となる。一方で、通商ルールによって相手国に行動変容を求める立場は理想論に過ぎず、政治・安全保障上の価値観や利害関係を共有しない国との経済統合に慎重であるべきとの考え方もあり、経済統合を進めることで相手国への依存度が高まり、その依存関係が経済的威圧の手段として利用されるリスクが高まっている中で、この指摘を無視することはできないと思われる。実際には、相手国との力関係や政治的・経済的状況により、どのスタンスを取るべきか、あるいは複数の方策を組み合わせるべきかは異なってくるように思われ、より柔軟かつ現実的な対応が求められると考えられる。

第三に、経済統合や貿易自由化の進め方についてである。特に留意すべきは、世界では、FTAに限定されない、新たな形態の二国間・多国間協調の枠組みが拡大している点である。例えば、米国は、USMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)の再交渉や、相互関税の二国間交渉などを通じた東南アジア諸国との新たな貿易協定などにおいて、より米国との力関係を反映した内容や、既存のFTAには見られない新たな経済ルールの埋め込みが行われている。

このとおり、WTOによる統一的な世界貿易体制から、より多極化・複雑化した枠組みへの移行を示している。こうした大きな潮流を的確に把握するとともに、各国・各分野の具体的な動向を理解することが、国際的な事業展開を目指す企業にとっても極めて重要となっている。

本論考を読むには
経済・安全保障リンケージ研究会最終報告書
TKCローライブラリー(PDFを提供しています。)


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平家正博(へいけ・まさひろ)
西村あさひ法律事務所 弁護士
2008年弁護士登録。2015年ニューヨーク大学ロースクール卒業(LL.M.)。2015~2016年ブラッセルのクリアリー・ゴットリーブ・スティーン&ハミルトン法律事務所に出向。2016-2018年経済産業省 通商機構部国際経済紛争対策室(参事官補佐)に出向し、WTO協定関連の紛争対応、EPA交渉(補助金関係)等に従事する。現在は、日本等の企業・政府を相手に、貿易救済措置の申請・応訴、WTO紛争解決手続の対応、米中貿易摩擦への対応等、多くの通商業務を手掛ける。