君たちは何をもって「等しい」というのか(江藤祥平)(連載:憲法よりもまだ深く 第13回)

(不定期更新予定)
◆この記事は「法学セミナー」844号(2025年6・7月号)に掲載されているものです。◆
1 戦前の不平等、戦後の平等
前回は、平等について考えてきた。近代国家は、中世の身分制を打破して、国民 nation という均質な身分を成立させることで成立した。それは、あたかもブルドーザーが、凸凹した道を平たくしたようなものである。その結果、国民という身分のみが作られ、人々の身分には上級も下級もなくなった。しかし、その過程で排除され周縁化されたのが、先住民 first nation であった。日本には単一民族国家の神話が今も根強いが、その単一性の背後に抑圧されたのがアイヌ民族であった。近代日本は、アイヌ民族から土地を奪い、生活を奪い、そして文化を奪った。国は、2000年頃に至って、ようやくアイヌの文化振興・施策推進に取り組み始めたが、いったん失われた文化はそう容易くは戻らない。近代国家の平等は、初めから不平等を自己の内部に抱えて出発したのである。
では、近代が始まった明治以降、国民の方は皆平等となったのかといえばそうではなかった。まず、明治政府は天皇のもとに国民を1つにまとめる政策をとったことから、天皇とその一族の身分は例外とされた。また、公家・大名という身分はなくなったが、代わりに華族という身分が設けられ、政治や財産面での特権が定められた。さらに、平民はすべての人が同じ身分とされたが、選挙権資格を認められたのは僅かな人々であった。1925年には「普通選挙法」が施行され、財産要件にかかわらず満25歳以上の全ての男子に選挙権が認められたが、女性は除外された。
以上に対して、戦後の新憲法は「華族その他の貴族の制度」(14条2項)を否定し、「すべて国民は、法の下に平等」であるとの規定を設けた(ただし、天皇制は例外)。もっとも、すでに不平等な状態が蔓延る以上、建前だけでは平等は実現されない。そこで不平等を解消するための具体的な取り組みが必要となる1)。第1の柱が女性の解放である。戦前、女性は政治的に無能力とされていたが、1945年12月に選挙権法を改正し、女性の参政権を保障した。また、明治民法の下では、婚姻・親族・相続などの場面で女性は差別されていたが、1947年12月に明治民法を改正し、家・戸主の制度を廃止し、女性の地位向上を図った。
第2の柱が経済の民主化である。長期に及んだ戦争により当時の日本経済はどん底の状態にあった。生産力の回復と経済生活の安定を図るためには、国民1人ひとりが努力次第で豊かになれるための体制が必要である。その大きな柱が、財閥の解体と農地改革(1946年に自作農創設特別措置法)である。巨大な資本家と地主が経済を牛耳ることがないように、財閥を解体し、独占禁止法(1947年)を制定するとともに、地主の土地を買収して自作農を多く創設した。また、労働によって得られた価値の多くを資本家が搾取しないように、労働組合法(1945年)をはじめ労働者保護立法を次々と制定し、労働者の主体性確保を図った。
第3の柱が教育の民主化である。民主主義に基づく平等な社会の実現には、すべての人に平等な教育の機会を与えることが不可欠である。1947年に教育基本法と学校教育法が制定され、学校制度の改革が実施された。教育における男女の差別が撤廃され、小学6年・中学3年の9年制を義務教育とする教育の機会均等が図られた。教育内容も、新しい憲法と民主主義に基づくものに刷新された。法哲学者の尾高朝雄が編纂した社会科の教科書には、民主主義の根本精神は個人の尊重にあるとしつつ、「すべての人々にその知識や才能を伸ばすための等しい機会を与えること」2)の大切さが説かれている。
こうした改革から80年近い日々が経過した。果たして日本国民はどのくらい平等になったと言えるだろうか。男女の平等についてみると、教育と健康の分野における平等は進んだが、政治と経済の分野をみるといまだ開きが大きいことが指摘されている3)。また、所得の平等についてみると、高度経済成長を経て分厚い中間層を実現することに一時は成功したが、1980年代以降は所得格差の指標(当初所得ジニ係数)が徐々に上昇傾向にあり、近年では相対的貧困率の上昇が見られる。他方、教育の分野では、高校・大学進学率が向上し、教育機会は飛躍的に拡大したが、近年は経済的格差や地域差が教育格差に反映され、学力の二極化が進んでいることが問題視されている。
こうした状況に直面して、平等を謳った憲法に何ができるかを考えるのは意外と難しい。なぜなら、法の下の平等にいう平等とは、個人間におけるいかなる差別的取り扱いも許さない絶対的平等ではなく、等しいものは等しく、等しくないものは等しくなく扱うという相対的平等を意味するからである。このように平等は相対的な問題である以上、司法は、何を合理的な区別とみて、何を不合理な差別と見るかの難しい判断を迫られざるを得ない。これは司法にとっては重すぎる課題である。かかる難問に日本の司法はどう取り組んできたのか。今回は、特に受刑者と障害者を不利益に扱う立法を例に、平等とは何かを考えてみたい。
2 刑務所という空間と時間
コロナ禍以前、私はゼミナールの学生と毎年のように刑務所を訪問していた。その理由は、刑務所こそが国家権力を肌身で体感できる格好の場所だからである。刑務所では、時間と空間が権力によって支配され提供される。何時に起きて、何を食べて、何をするか、一時の例外を除けば、全てが決定されている。ミシェル・フーコーの言い回しを借りるなら、そこでは、まず自由な主体がいて、その主体の自由を国家権力が制約するのではない。権力が身体の隅々まで行き渡ることではじめて、受刑者として相応しい主体になる。もし遵守事項や職員の指示に違反したときは、懲罰が課されることで身体は規律され、権力に従順な身体が作り上げられていく。受刑者の身体の扱いは、一般国民の身体の扱いとは明らかに異質である。
こうした見方は、かつて説かれた特別権力関係論と響き合う。この議論によれば、公権力は包括的な支配権を有するため、法律の根拠なくして受刑者の人権制限をすることができ、その行為は司法審査に服さない。そこには権力からは独立した主体性は観念されていない。しかし、この考え方は今日では通用しない。現在は、憲法が予定している刑事施設収容関係を維持するために受刑者の権利を特別に制限することは許されるが、その制限は収容目的を達成するために必要(最小)限度にとどまらなければならないと理解されている(憲法秩序構成要素)。つまり、人権規定が原則として適用されるとの前提のもと、「いかなる人権が、いかなる根拠から、どの程度制約されるのかを具体的に明らかにする」必要がある4)。
実際、刑務所では深刻な人権侵害に至るケースが後を絶たない。2001年、名古屋刑務所で、刑務官が、受刑者の肛門部を目掛けて、消防用ホースを用いて多量に放水する暴行を加え、細菌性ショックにより死亡させる事件が発生した。また翌年には、刑務官が、受刑者に革手錠のベルトを巻きつけて強く締め付け、腹部を強度に圧迫するなどの暴行を加えた結果、重症を負わせ、死亡に至る事件が発生した。こうした度重なる事件を受けて、法務省に設置された行刑改革会議は、従来の監獄法では受刑者の権利義務と職員の権限が不明確であったとする旨の提言を行い、それにより2005年に監獄法が一部改正され、翌年に「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」が制定され、旧監獄法が廃止された。
この法律は、刑事施設の透明性を確保すべく、民間人からなる刑事施設視察委員会を設置し、被収容者の権利義務・職員の権限の明確化を図った。また、矯正処遇に作業のほか、改善指導・教科指導も規定し、受刑者の社会復帰に向けた処遇を充実させた。さらに、被収容者の生活水準を保障するほか、不服申立制度も整備し、一定の措置については審査の申請の申出を可能にした。2024年4月からは、法務省が、被収容者の名字に「さん」をつけて呼ぶように運用を改めた5)。これまでは名字のみで呼ぶのが一般的であったが、職員が受刑者のことを「懲役」「やつら」などと呼ぶ言葉遣いがなされることもあったため、受刑者が職員のことを「先生」と呼ぶ運用を含めて、呼称の見直しを図ったものである。
呼称の見直しを提言した委員の1人は6)、「相手を見下した呼び方が続けば、支配的な関係性が固定化・強化されてしまう面がある」、「受刑者が一人の人間として尊重されない環境下では人権侵害がはびこりやすく、再犯の防止も難しくなる」と述べている。呼び方くらいとも思うが、言葉の有り様は重要である。そのことを如実に示しているのが、九段理江の小説『東京都同情塔』である。主人公の建築家は、新宿御苑にシンパシータワートーキョーという高層タワーの刑務所を設計するのだが、その刑務所に入るのは、出自や環境によって犯罪者にならざるをえなかった同情すべき人々であり、むしろ被害者として位置づけられている。そのため、彼らは被害者として平等に扱われ、タワー内では最上級のケアを受けられる。もちろんこれはフィクションではあるが、実際にノルウェーには外と変わらない生活を保障している刑務所が存在している。
こうした犯罪者に寛容である考え方には批判も予想される。悪いことをした人を懲らしめるための刑務所なのに、「さん」付けはおかしいし、ましてや同情には値しないとの批判である。そこには受刑者の処遇に向けた哲学的対立が現れている。一方には、犯罪者は悪いことをしたのだから、報いを受けるのは当然であって、見せしめなのだから、刑務所は居心地が悪くて当然という考えがある。これは応報感情と一般予防(犯罪抑止)を背景にする考えに近い。他方、犯罪者は生まれ育った環境によって犯罪者になったに過ぎないから、施設に収容するだけで自由の剥奪としては十分であって、受刑者の社会生活に適応する能力の育成に注力すべきとの考えがある。これは犯罪者の更生を目指す特別予防の考えに近い。
これはどちらかが正しいというよりは、双方に一面の真理が含まれていると見るのが正しいだろう。犯罪を抑止し、犯罪被害に報いるためにも、受刑者の市民的自由が大幅に制約されることは免れない。先の小説のごとく、犯罪者を被害者として扱うことは、等しくないものを等しく扱うことになり、相対的平等の観念に反する。しかし、受刑者が処遇の上で個人として尊重されることもまた重要である。さもなければ、犯罪を生んだ社会的・環境的土壌が手つかずとなって、その犠牲になる人々が増加し続けるからである。受刑者の権利義務の内容と適正な処遇のあり方は、この両者のバランスの中に見出される必要がある。
3 受刑者の選挙権
(1) 選挙の公正と守られるべき民主主義
とはいえ、どこにバランスを見出すのかは難しい。その一例として、現在係属中の受刑者の選挙権訴訟を見てみよう7)。公職選挙法は、受刑者の選挙権を一律に制限している(11条1項2号)。なぜ制限されているのか。国は、受刑者は「選挙を公明かつ適正に行うための不可欠な基盤である法秩序を著しく侵害したものであり、選挙権という公務の執行主体にふさわしい適格性を有しない」ことを理由に挙げている。要するに、禁錮以上の実刑に処せられるような人が選挙に参加すると、選挙の公正が害されるということである。原告は、かかる選挙権制限は、選挙権を保障する憲法15条1項、その行使主体の差別を禁止する15条3項、43条1項及び44条但書に反すると主張して、国を訴えている。
1審・2審ともに合憲の判断を下したが8)、その理由付けは若干異なる。1審は、憲法44条が立法府に選挙人の資格を定める際の裁量を与えていることを前提に、「適格な選挙人団を構成するという観点からは、自ら法秩序を著しく害した者である受刑者については選挙人団に含まれないようにすることが望ましいという判断にも合理性がある」とする。他方、2審は、一般犯罪を犯した受刑者は、「そのような行為を行ったという点において、規範意識が欠如し、又は著しく低下しているといえ、そのような者には公正かつ民主的であるべき国家の意思形成過程である選挙に参加する資格・適性がないと疑うに足りるやむを得ない事由がある」と述べている。
この考え方は妥当だろうか。従来、民主的政治過程を傷つける立法については、司法は厳格審査を行うものとされてきた9)。それは民主主義が機能していればその力で自己回復が可能であるが、それが機能しないと自身の声を国政に届けることがおよそ不可能となるからである。この点で、選挙権は民主的政治過程に参与するための前提であるから、その否定は民主主義を傷つけるものである。在外日本国民の選挙権制限を違憲と判断した最高裁大法廷判決10)(以下「平成17年最判」)も、「国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されず、国民の選挙権又はその行使を制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならない」(傍線筆者)としている。
ところが、1審・2審判決はともに、この意味での「やむを得ない」事由までは要求していない。これは、平成17年最判が「自ら選挙の公正を害する行為をした者等の選挙権について一定の制限をすることは別として」と示したことから、これに該当すると判断したためである。この点、公選法11条1項5号は選挙犯罪を犯した者(同252条)について、一定の期間、選挙権を有しないものとしている。これは現に選挙の公正を害する行為をした者を、再び選挙に関与させることが不適当と判断したからである11)。一方、一般犯罪の受刑者は選挙の公正を害する犯罪行為を犯した者ではないが、「国政選挙に参加する資格・適性がないと疑うに足りるやむを得ない事由がある」(2審)から、選挙犯罪者に準ずるとして、「選挙の公正を害する行為をした者等」の「等」に含まれると判断している。
しかし、この理由づけは苦しい。直接的に選挙の公正を害していない人の選挙権を、「選挙の公正を厳粛に保持すべき必要性」があるという理由で否定するには、論理の飛躍があるからである。受刑者が「法秩序を著しく害し」(1審)、犯罪行為を行ったという点において「規範意識が欠如し、又は著しく低下している」(2審)としても、そのことと選挙に参加する資格・適正があるかどうかは別問題である。1審は、「自ら法秩序を著しく害した者が法秩序の形成及び維持に関与するのは背理」とするが、これは結論を先取りしている。むしろ、憲法は、自己統治の理念を実現するために、様々な境遇にある国民の声を、選挙権の行使を通じて国政に届けることこそを、民主主義の基本原理と見ている。受刑者を関与させることが背理に見えるのは、民主主義の理念を自己統治以上の何かに見ているからである。
(2) 制度の借用
実は、公選法はかつて「成年被後見人」(改正前11条1項1号)を選挙権の欠格事由と定めていた。国は、「成年被後見人は精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にあって、選挙権の適切な行使を期待し得ない」ことを理由に挙げていた。これに対して、この欠格事由を違憲と判断した東京地裁は、次のとおり述べる12)。
憲法が、我が国民の選挙権を……保障しているのは、自らが自らを統治するという民主主義の根本理念を実現するために、様々な境遇にある国民が、高邁な政治理念に基づくことはなくとも、自らを統治する主権者として、この国がどんなふうになったらいいか、あるいはどんな施策がされたら自分たちは幸せかなどについての意見を持ち、それを選挙権行使を通じて国政に届けることこそが、議会制民主主義の根幹であり生命線であるからにほかならない。
「高邁な政治理念」を要求しないからこそ、「様々なハンディキャップを負った者の意見が、選挙権の行使を通じて国政に届けられることが憲法の要請するところ」との帰結が導かれてくる。ただ他方で判決は、「選挙権を行使するに足る能力を欠く者を選挙から排除する」こと自体は否定していない13)。しかし、成年被後見人になることと、選挙権を行使するに足る能力を有しないことは、イコールではない。後見開始の判断は、主として「自己の財産を管理・処分する能力」の有無や程度に基づいてなされるのであって、選挙権を行使するに足る能力があるか否かの判断とは、性質を異にするからである。ここでは全く別の趣旨目的を持つ成年後見制度を借用していることが問題視されている。
同じことは受刑者の選挙権についても言える。「選挙の公正を害する者を選挙から排除する」ことは正当化されるとしても、選挙犯罪以外の一般犯罪の受刑者という制度を借用して、その目的を達成することは不当であろう。受刑者は自由刑に服してはいるが、主権者であることには変わりがなく、現に憲法改正国民投票における投票資格は否定されていない。むろん、受刑者が選挙に参加した場合に、選挙の公正を確保することが著しく困難になるといった事情があれば話は別であるが、ただ法秩序を著しく害した者であるとか、規範意識が欠如している者であるということを理由にして、主権者としての資格を剥奪することは困難に見える。
それでも受刑者の選挙権を否定するなら、それは結局、選挙の公正ではなく、選挙の公正の外観を守りたいというほかない。悪いことをした人たちが選挙に参加すると、選挙の公正らしさが失われるという議論である。しかし、さしたる根拠もなく公正が失われるとするのは、受刑者に対する偏見と差別があるからである。むろん、受刑者に対する差別は、その犯した罪を償う限度であれば正当化される。けれども、選挙権の付与はその人を対等な個人として尊重するための証である以上、受刑者から一律に剥奪するのは行き過ぎである14)。そのような差別を憲法が許容しているとは考え難い。
4 障害者の職業選択の自由
(1) 医学モデルvs.社会モデル
次に障害者について考えてみよう。成年被後見人の選挙権の例からも分かるように、障害者もまた、その属性に基づいて差別的な扱いを受けやすい。受刑者とは違い、障害者本人には何の責任もないにもかかわらず、差別されやすいのは、障害を「個人の機能の欠如(インペアメント)」と捉える見方が根強く、障害者の困難を個人の問題として捉えるためである15)。障害を機能の欠如と捉えるこの見方は、障害を病理として捉えて、医学的介入によってこれを克服・軽減することに焦点を当てるため、医学モデルと呼ばれる。医学モデルでは、個人の治療を重視するため、社会的な制度の整備による自律/自立の支援という方向に意識が向きにくい。
これに対して、障害とは、インペアメントそのものではなく、社会がそのインペアメントに適応できていないことで生じるとする見方もできる(社会モデル)。例えば、路線バスの乗降口にステップがあると、車椅子の人は介助者がいなければ乗ることができないが、ノンステップでスロープがあれば、車椅子の人もスムーズに乗り降りすることができる。つまり、ステップという障壁があるから、車椅子に乗った人が障害を有する人と位置づけられるのであって、問題は、個人の側というよりは、むしろ社会の側の環境や制度にある16)。このモデルは、障害者を治療の客体ではなく、自律的な生を営む主体として位置づけている点に特徴がある。
以上の医学モデルと社会モデルの対立は、犯罪の原因を個人に求めるのか、それとも社会に求めるのかという先の議論と、パラレルな関係にある。犯罪の原因を個人の責任と見るなら犯罪者は自己統治の主体から除外される方向に傾くのに対して、その責任を社会に見るなら、むしろ犯罪者を自己統治の主体に復帰させるために社会はどうすべきかを考えることになる。同じように、医学モデルでは、問題が障害者の側にあるから自己統治の主体としては認められづらいのに対して、社会モデルでは、障害者の自律/自立を実現するために、社会の側がどう変わるべきかを議論することになる。例えば、選挙権であれば、それを否定するのではなく、反対にどうすればその権利行使が可能となるかを、社会の側で考えていく必要がある。
(2) 絶対的欠格と相対的欠格の違い
以上を踏まえて、現在係属中の、障害者の雇用をめぐる警備業法違憲訴訟を見てみよう。改正前の警備業法の規定(以下、本件規定)は「被保佐人」(精神上の障害により事理を弁識する能力が著しく不十分である者〔民法11条〕)であることを、警備員の欠格事由と定めていた。その趣旨は、警備業務の実施における適正を確保するという目的を達成するため、警備業務に必要な認知、判断等に関する能力を類型的に欠いていると判断される被保佐人を排除することにある。警備会社で交通誘導業務に従事していたXは、被保佐人となったことにより、会社から雇用契約終了の通知を受け退職した。そこで本件規定は、職業選択の自由を定める憲法22条1項及び法の下の平等を定める憲法14条に反すると主張して、国を訴えた。
1審・2審ともに違憲の判断を下したが17)、ここでも問題になったのは制度の借用である。曰く、「保佐の制度は、本人の財産上の利益を他者から保護する目的で定められているものであって、適切に警備業務を遂行することができない者がこれを行って他者の生命、身体、財産等に危害が生じないようにするという警備業法が欠格事由を定める目的とは全く異なる目的で定められている」(2審)。国は、被保佐人であれば警備業務に必要な能力を類型的に欠いているというが、「専門的見地からの慎重な検討もなく、個人的な差異があることを考慮しないで、個人としてその能力には様々な個性のあることを尊重せずに、上記のような『類型的定型的』観点から、自由及び幸福追求に対する国民の権利を制限することは許されない」。
1審・2審は、「心身の障害により警備業務を適正に行うことができない者」(3条7号)が欠格事由に当たることは否定していない(相対的欠格事由)。その意味では能力の欠如を理由とする医学モデルに立脚しているようにも見えるが、被保佐人という属性を「類型的定型的」に絶対的欠格事由とすることは、許されないと見る。その背景には、障害者権利条約で、締約国が「障害者の多様性を認め」(前文(ⅰ))、「障害者に関する定型化された観念、偏見及び有害な慣行」と戦うことのための即時の、効果的なかつ適当な措置をとることを約束する(同8条1項(b))としていることが効いている。この偏見を排除するために、心身の障害を理由とする欠格は、絶対ではなく相対的でなければならないのである。
ただし、カテゴリカルに否定されないというだけで、依然として障害者は相対的欠格事由に当たるとされる可能性は残る。警備業務が国民の生命、身体、財産等を守ることにある以上、国が一定の者を欠格事由として定めること自体は政策的に否定されないからである。それでも、およそ被保佐人であるから雇用が認められない世界と、個別の判断によって雇用が認められないのとでは、個人の自律に対するインパクトが全然違う。前者は、そもそも能力がないとみなされているのに対して、後者は、個人の能力次第で雇用される機会そのものは否定されていないからである。
とはいえ、能力が主な基準とされるこの社会において、障害者の雇用をいかに確保できるかという問題は残る。障害者雇用促進法は、障害者の雇用を促進するために、事業主に一定数以上の障害者を雇用する義務を課している(同43条)。また、近年最高裁は、あん摩マッサージ指圧師について、その特性等に着目して、一定以上の障害がある視覚障害者の職域を確保すべく、視覚障害者以外の者等の職業の自由に係る規制を行うことは、憲法22条1項の職業の選択の自由に反しないとした18)。いずれも障害者の就労機会を確保するための積極的な措置の例であり、社会モデルからも肯定的に評価できる政策といえる。
もっとも、理想を言えば、特別な雇用義務なしに、障害者と健常者の区別なく働ける社会へと変えていけることが望ましい。あん摩マッサージ師の職域を特別に確保する必要があるということは、裏を返せば、それ以外の職域で視覚障害者が十分に雇用の機会を得られていないことを意味する。これだけICTの活用が進みながら、いまだに職業の選択肢が限定されていることが問題である。職業選択の機会を拡大するためには、障害者が働きやすいような職場環境を整えていくことが重要である。
これは、決して健常者側が障害者に対して合理的配慮を施すことと同じではない。もちろん、合理的配慮は障害者の権利保障のために不可欠な法的枠組みであるが、真にインクルーシブな社会を目指すのであれば、配慮が「特別なもの」ではなく、「誰にとっても自然な空間づくり」の一部となることが理想である。例えば、私の通う一橋大学の近くには、手話が共通言語のスターバックスコーヒーの店がある。このカフェには、聴覚に障害のある人が多く働いているため、お店づくりに様々な工夫が凝らされている。手話を学べる掲示や簡単な手話を紹介するデジタルサイネージが設置され、照明から壁の色までお互いの表情が分かりやすいように設計されている。つまり、この空間は、聴覚に障害があってもなくても、すべての人が心地よく過ごせるようにデザインされている。それは障害者に配慮して社会的障壁を取り除いた結果として生じた空間ではなく、最初から誰にとっても快適な空間となるユニバーサルデザインとして設計されたものである。
5 おわりに
等しきものは等しく、等しくないものは等しくなく扱うというのが、相対的平等の要請であった。受刑者は悪いことをしたのだから、障害者は能力が欠如しているのだからと、問題を個人に還元するのは、その背景にある構造的・差別的要因を見えにくくする。たしかに、法律は犯罪者や障害者をその人自身の属性に基づいて定義せざるを得ないが、環境や制度がその人を犯罪者や障害者にしているという側面を見落とすと、制度を転用してまで憲法上の権利を否定するという本末転倒な事態を引き起こすことになる。憲法の要求する平等は、まさしくこうした安易な制度の転用を許さないところに主眼がある。受刑者や障害者という偏見の対象とされやすい属性だからこそ、その属性を理由とする区別には懐疑の目が向けられるべきである。それは障害者や受刑者のためというよりは、私たち自身が抱く偏見を見直すための営みである。そして、それだけが、この社会を誰もが尊重される平等な社会へと近づけていく唯一の道筋である。
(えとう・しょうへい 一橋大学教授)
* 本稿の初稿に対しては、杉山有沙氏(名古屋市立大学)からコメントを頂いた。厚く感謝を申し上げたい。
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脚注
1. | ↑ | その多くは、占領統治を行うGHQ連合国軍最高司令官マッカーサーの5大改革指令(1945年10月11日)に基づいて行われたものであった。 |
2. | ↑ | 文部省著作教科書『民主主義(上・下)』(1948・1949年)、復刻版(西田亮介編)『民主主義』(幻冬舎新書、2016年)36頁。 |
3. | ↑ | World Economic Forum, Global Gender Gap Report 2024 at 12では、日本は146カ国中118位に位置している。 |
4. | ↑ | 芦部信喜『憲法〔第7版〕』(岩波書店、2019年)108頁。 |
5. | ↑ | 名古屋刑務所職員による暴行・不適正処遇事案に係る第三者委員会(令和5年6月21日)「提言書(案)~拘禁刑時代における新たな処遇の実現に向けて~」28-29頁に基づく提案。 |
6. | ↑ | 朝日新聞2024年6月22日朝刊11頁(土井裕明インタビュー)。 |
7. | ↑ | この問題を包括的に検討したものとして、新井誠「禁錮刑以上の受刑者の選挙権制限」選挙研究34巻1号(2018年)81-93頁。 |
8. | ↑ | 東京地判令和5・7・20判タ1526号135頁、東京高判令和6・3・13LLI/DB判例秘書登載。なお、同訴訟では、国民審査権(憲法79条)を受刑者に否定していることの憲法適合性も問題とされている。 |
9. | ↑ | 阪口正二郎『立憲主義と民主主義』(日本評論社、2001年)131-220頁参照。 |
10. | ↑ | 最大判平成17・9・14民集59巻7号2087頁。 |
11. | ↑ | 最大判昭和30・2・9刑集9巻2号217頁。 |
12. | ↑ | 東京地判平成25・3・14判タ1388号62頁。 |
13. | ↑ | このこと自体を憲法の否定する差別に当たるとみる見解として、杉山有沙「判批」障害法4号(2020年)125-126頁参照。 |
14. | ↑ | 一律ではなく一定の受刑者に限定した場合に合憲となりうるかは、どこに線引きするかの問題があり、難しい問題である(See Hirst v. the United Kingdom( no. 2)[ GC] – 74025/01)。 |
15. | ↑ | 以下、医学モデルと社会モデルについては、杉山有沙『障害者の自律/自立と憲法—「自立生活」論から「自律の保障」を問いなおす』(弘文堂、2024年)13-15頁参照。 |
16. | ↑ | 日本の障害者運動の先駆けとなったのが川崎バス闘争事件(1977年)である。同運動を展開した脳性まひの当事者団体「青い芝の会」のメンバーの活動を記録したドキュメンタリー映画として原一男監督『さようならCP』(1974年)がある。 |
17. | ↑ | 岐阜地判令和3・10・1判時2530号63頁、名古屋高判令和4・11・15判時2593号27頁。 |
18. | ↑ | 最判令和4・2・7民集76巻2号101頁。 |