判例公刊について――未公刊判例に関する問題の検討から・下(指宿信)

2023.01.20
2022(令和4)年秋より、法務省では、民事訴訟制度のIT化の議論と相まって、民事判決情報のデータベース化に向けた検討が開始され、民事判決情報を集約・公開する機運が高まっています。この状況を受け、Web日本評論では、全判例公開について網羅的な検討をおこなった、「判例公刊について―未公刊判例に関する問題の検討から考える(上・下)」(「法律時報」2001年9月号・10月号掲載より)を再公開します。
なお、執筆者の所属等は刊行時のままで公開しています。

◆この記事は「法律時報」73巻11号(2001年10月号)に掲載されているものです。◆

3 判例公刊をめぐる諸見解

斉藤判事は、最高裁の判例集登載判例について、「いわば公式のもの」という表現をかつて用いられていた。たとえば、「新しい法律見解が示されたからといって、常に必ずしも判例集に登載されるとは限らない」場合につき、裁判集収録判例を例にあげて説明し、そのうえで「この問題に関する最高裁判所の法律見解は、まだ公式のものとしての位置づけはなされていないというべきであろうか」(太字筆者)とまとめている1)。他方、園部元最高裁判事は判例の選定公刊について、「個別的な裁判を契機として、右に見たような方式で判例を確定してこれを宣言することはより一般的な裁判事務処理に関する規則制定権の行使とならんで、司法行政権行使の一環として行われる」と述べて、判例公刊について司法行政権の一環という表現をする2)。このことは、伊藤元最高裁判事によれば、「最高裁自身が承認」という言葉でも表されている3)

問題は、第1に、最高裁で多くの裁判を担当している小法廷の裁判について、1個の法廷がおこなった判決=法律判断が、なにゆえ「公式」なものになったりならなかったり、「承認」されたりされなかったりするのか、第2に、その選別の法的根拠はどこにあるのかという点である。

松宮教授は、園部氏による司法行政権行使という位置づけにつき、「そうだとすると、“判例”とは最高裁による司法行政上の“通達”のようなものであって、その変更は大法廷によることを要することになってしまう」と批判する4)。椿博士も、「判決を出した機関が“これはお手本になるケース”“これは価値の低い事例”と選別するのは奇妙であり妥当でない」し、「先例価値の大小は、後日いろいろな角度からの分析・検討を経て、客観的に決められるべきもの」であると指摘されている5)

たしかに、園部氏の表現は、裁判所内部で最高裁判例がどのように捉えられているかを物語るものとして興味深い。とりわけ最高裁において「判例」を園部氏の言うように限定的に捉えて公刊数を限定する意味は、先に紹介されたように、「最高裁判所の法律見解」の表示手段として最高裁判例集の公刊を捉えているからであろう。すなわち、小法廷においておこなう裁判であっても、小法廷とは別に最高裁としての法律見解かどうかを判断する場所があることを示しており、その判断が司法行政権の行使の一環と位置づけられるのである。

しかし、かかる位置づけはいくつかの点で重要な疑問を派生させる。第1は、小法廷という合議体で裁判をおこなったにもかかわらず、その内容について裁判に関与していない組織体が、判例公刊のプロセスを利用して裁判所としての法律見解であるかどうかの判断を示すというのは、司法行政権の逸脱ではないか、という問題である。小法廷がおこなった判断が最高裁の「公式の」判断でないということになれば、その法的権威と法的正当性に疑問が生じよう。裁判所法を読むかぎり、このような法律見解の公的承認にかかわる規定は存在しないし、判例委員会規定にも存在しない。

第2に、裁判の独立という観点からの疑問である。ある裁判体の判決の価値が裁判にかかわらなかった判事も含めた判決委員会によって決せられるとすれば、その法的結論の当否あるいは最高裁における妥当性の評価を事後的に裁判所内部の別組織が加えることとなって、裁判独立への侵害が懸念される。そうだとすれば、このような判例選択方式ならびに判決選定の理解は、沿革的にはさておき、ただされるべきである。

第3には、法律見解選択の判断を裁判体とは別の機関がおこなうという選択方式そのものへの疑問である。活きた法としての判例は、実務的には当事者に対する判決の効力ばかりではなく、同じ事実関係であれば事後の判断にも同様に及ぶと予測されるのが通常であり、そこにこそ先例の意味があろう。フラーは法を実効性ないものとするための方法を8つ挙げているが、そのうちには、「法の存在を教えない」「法の存在にアクセスさせない」というものがある6)。まさに選択的判例公刊制は、わが国の場合、判例として働くはずの先例機能を疎外させる結果となっていると言えるのではないか。

第4は、そうした法律見解を判例公刊時に判断してしまうという判断時点への疑問である。どのような法律見解を示したかについては、判例の射程範囲とつながっており簡単には確定できないものとされている。かかる判断を判決のあった年にすることは判例の範囲を狭めたり、事後の実務に役立てることを困難にしてしまう。実際に、厳しい判例選択をしていた大審院時代の判例登載判例にそうした例が多いことは前述したとおりである。

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。→ . 会員登録(無料)はお済みですか? 会員について

脚注   [ + ]

1. 斉藤寿郎「判例の読み方(6)」判例タイムズ394号(1979年)22、27頁。
2. 園部逸夫「最高裁判所の機構とその役割」法学教室67号(1986年)37、40頁。
3. 伊藤正己『裁判官と学者の間』(有斐閣、1993年)59頁。「最高裁判例集に登載される裁判は、最高裁自身が判例として承認したものであり…比較的堅いもの、大きいものと考えられることは当然」とする。
4. 松宮孝明「判例について」『転換期の刑事法学:井戸田先生古稀記念』(現代人文社、1999年)。
5. 椿寿夫「法学名著の補訂(2)柚木馨『判例債権法総論』」書斎の窓2001年3月号2頁。
6. Fuller, Ron, Morality of Law (1960), at 39.
ページ: 1 2 3