『ヤバい医学部—なぜ最強学部であり続けるのか』(著:上 昌広)

一冊散策| 2019.12.17
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

はじめに

医学部が社会の関心を集めています。有名進学校の成績優秀者は、こぞって医学部を目指します。2019年の入試では、巣鴨高校の162人を筆頭に8つの高校が100人以上、医学部医学科に合格しました。

私の母校である灘高校は、2019年の入試で東京大学に73人が合格しましたが、理科三類の合格者は20人でした。一方、文系は合計して13人。経済学部に進む文科二類はゼロでした。

灘高校はもともと理系が強い学校ですが、近年はその傾向が更に強まっています。私が生徒だった1980年代半ば、1学年220人のうち、80名程度が文系でしたが、近年は40人くらいまで減っているそうです。代わって増えたのが医学部志望者です。かつて東京大学の文系に進学していた生徒は、いまや他大学の医学部に進んでいることになります。こうして医学には優秀な若者が集まっています。

一方、近年、医学部は不祥事が続出しています。医療事故、男女差別、不正入試、臨床研究不正…、スキャンダルのオンパレードです。どうして、こんなことになってしまったのでしょうか。

私は従来型の医学部の在り方が社会の変化に対応できなくなっているためと考えています。不祥事は、その断末魔です。

わが国の医学部の雛形は明治時代に国家主導で形成されました。現在も厳格な国家の管理下にあります。

医学部定員は政府が規制し、定員増や医学部新設は政治案件です。政治とは既得権者の利害調整です。医学部定員も例外ではありません。

政府は「将来的に医師は余る」と主張し、1982年、1997年に医学部定員を減らすことを閣議決定しました。

団塊世代の高齢化を考えれば、医師が余るわけはなく、国民の健康より日本医師会などの業界団体、社会保障費の増大を抑えたい財務省の意向が尊重されました。現在の医師不足は、政府による「人災」という側面があります。

この閣議決定が撤回は、2008年まで待たねばなりませんでした。当時、妊婦のたらい回しが頻発し、医師不足が社会問題化していました。また、参議院で与野党が逆転し、従来型の自民党政治が継続できなくなっていました。自民党べったりだった日本医師会の政治力も低下していました。舛添要一厚労大臣(当時)は、「『安心と希望の医療確保ビジョン』具体化に関する検討会」という新しい委員会をつくり、日本医師会をメンバーから外しました1)。この検討会が提案したのが、医学部定員の5割増です。この後、医学部定員は増員されます。

医療問題が起こると、メディアは政府の責任を追及します。その際、政府がやるべきは、十分な情報を開示し、公で議論することです。ところが、往々にして「密室」で議論され、利害関係者の都合のいいように規制が強化されます。医学部の定員の規制など、その典型です。

昨今、「お上頼みの規制強化」は一層強まっています。たとえば、日本の臨床研修は問題だらけだという批判を受け、2004年からは改正医師法に基づき、医師免許取得後の初期研修が義務化されました。それ以前も、医師の職業教育として、研修は行われていましたが、これ以降、研修病院や研修内容を厚労省が決めることになりました。

この制度では、研修医は数か月毎にさまざまな診療科をローテンションします。これが2年間続きます。「総合的に診療できる」と自画自賛する関係者もいますが、このような研修は本来、医学生時代にやるべきことで、それが世界の趨勢です。この制度はモラトリアム期間を延ばすことになり、「医師と医局の集団見合いの無駄な二年間」と言う若手医師もいます。

2018年度からは初期研修を終えた医師を対象に新専門医制度が始まりました。一般社団法人日本専門医機構と厚生労働省が協力し、内科や皮膚科などの定員、および研修病院を認定します(卒後3年目以降の後期研修医は、日本専門医機構と厚生労働省が認めた「専門領域」から一つの診療科を選び、彼らが認定する病院で研修します)。

一方、地域の医師不足を改善するため、2008年度から卒業後一定期間、大学の地元で働くことを条件に別枠で医学部の定員が増員されました。これを地域枠と言います。

このような制度改革は、医療の専門家以外には一見よさげに見えますが、大きな問題を孕んでいます。それは社会構造の変化をまったく考慮していないことです。

わが国の高齢化は急速です。図1は国立社会保障・人口問題研究所が作成した年齢別死亡数の推移です。今後、わが国では死亡数が激増し、ピークを迎える2039年には年間に165万人が亡くなります。

図1 わが国の高齢化の状況

問題は、その中身です。約7割は75歳以上の死亡で、彼らは大学病院が得意とする外科手術や抗がん剤治療の対象にはなりません。体力がないため、副作用に耐えきれないからです。彼らが望むのは、自宅で家族とともに養生することです。

医療の中身は高度医療からプライマリケア(身近にあって、何でも相談にのってくれる総合的な医療(日本プライマリ・ケア連合会))、慢性期医療、リハビリに、医療の場は病院から自宅に移ります。大学病院を中心とした従来型の医療モデルでは対応できません。

大学病院が生き残るにはプラマリケア専門に代わるなど、大胆な改革が必要ですが、医学教育は文科省と厚労省が規制しており、簡単には変われません。

グローバル化も大きな影響を与えます。医学教育は世界各地でグローバル化が進んでいます。変化を主導するのは東欧の医学校です。文化レベルが高いのに、物価が安いため、東欧は医学教育を外貨獲得の手段として、積極的に後押ししています。東欧の医学部を卒業し、大学が実施する試験に合格すれば、EU共通の医師免許が取得できます。卒業生は東欧に留まることなく、ドイツや英国など雇用条件が良い国で働きます。第5章で述べますが、すでに日本からも多くの学生が入学しています。日本人学生の中には、日本で就職を希望している人もいます。

このような医学教育の水平分業は、効率的で合理的です。すでに中国も外国人学生を受け入れています。まだ授業は中国語ですが、日本に出先機関があり、対策講座や説明会を開催しています。これからの中国での医療ニーズの増大を考えれば、中国語で医学を学ぶことの意義はきわめて大きいでしょう。

一方、日本の医学教育は「鎖国」しています。文科省や厚労省が規制しており、その規制のおかげでゾンビ医学部が生き残っています。通常、医学部に限らず、大学は優秀な学生を獲得するために、鎬を削ります。ところが、東京医科大学など一部の大学では、学生の優秀さより、縁故や性別を優先していました。こんな状況でやっていられたのは、わが国の医学教育が規制で守られていたからです。ただ、それも限界です。

私は日本の医学教育や医療システムは、早晩、崩壊すると考えています。国家が規制しているので、柔軟に変化することはできません。「ハードランディング」するしかないでしょう。これから、医学部を目指す若者は、このような変革期を生き延びなければなりません。その際、大切なことは患者中心の視点をもって、試行錯誤を繰り返すことです。誰も正解がわからない状況では、兎に角やってみるしかありません。

2016年3月末、私も10年半、勤務した東京大学医科学研究所を退職し、研究室のスタッフとともにNPO法人医療ガバナンス研究所を立ち上げました。現在、約70名の「同志」とともに、診療の傍ら、臨床研究を行い、若手の教育に努めています。

本書では、これから医学部を目指す若者、およびその父兄の皆さんに対して、私の経験に基づいたアドバイスをしたいと思います。

自分なりに国内外の情勢を分析し、医学部の将来を予想したつもりです。すべて私が考えたことで、世間一般の常識とは違い、驚かれるかもしれません。皆さんが医学部進学を考える際の参考になれば幸いです。

目次

    • 第1章 私の医師人生
      • 医学部を受験した動機
      • 東京大学の学生時代
      • オウム真理教との関わり
      • 東京大学第3内科で感じた違和感
    • 第2章 私が医学部を勧める理由
      • 灘高生への助言
      • 医師は「プロフェッショナル」
      • ニュルンベルグ裁判の教訓
      • 日本の強制不妊政策
      • 若者よ、自立した医師を目指せ
    • 第3章 医学部の歴史と現在
      • 医学部を知るには歴史を学べ
      • 医学界は「西高東低」
      • 明治維新が格差を作った
      • 日本の大学は医学部を中心に発展した
      • 医学部の偏在
      • 医学部と町興し
      • なぜ医学部は偏在したのか
      • 医学部の偏在が産みだした人材格差
      • 医師の偏在
      • 僻地の医師不足
      • 東日本の医師不足と医師の移動
      • 医学部新設
    • 第4章 医療の近未来
      • 首都圏の医師不足の悪化
      • 大学病院の崩壊
      • 東京医科大学の女子受験生差別の背景
      • 専門病院との競争に負けた大学病院
      • 新専門医制度が誕生した背景
    • 第5章 医学部選びのポイント
      • 医学部生の学力は低下しているか 医学部の偏差値から考える
      • 医学生の出身地分析
      • 女性差別
      • 大学病院の腐敗
      • 医師になるなら地方を目指せ
      • 地域枠は勧めない
      • 海外の医学部で学ぶ
    • 第6章 医学生時代をどう過ごすか
      • 自分で判断せよ、大学の奴隷になるな
      • 英語・スポーツ・芸事
      • 「一人の患者さんを診たら、論文を100報読みなさい」
      • スポーツ・芸事の奨め
      • インプットを増やせ
      • 私のインプット術
      • 地方紙を読め
      • SNSを使いこなそう
    • おわりに

書誌情報など

関連するWebサイトなど

脚注   [ + ]

1. 医療改革において、既得権者との戦いがいかに困難かを知るには、『舛添メモ 厚労官僚との闘い752日』(舛添要一著、小学館)と『さらば厚労省 それでもあなたは役人に生命を預けますか?』(村重直子著、講談社)をお勧めします。