(第5回)政治は法律に適合させられるべきである

悪しき隣人―ようこそ法格言の世界へ(柴田光蔵)| 2019.01.18
「よき法律家は悪しき隣人」。この言葉が何を意味しているのか、知っていますか?
歴史ある法格言には、法学の真髄を伝えるものが数多くあります。法格言を知ることから、法学の雰囲気に触れてみませんか?
本記事は、「法学セミナー」1984年5月号別冊付録として世に出された、柴田光蔵著『法格言ミニ辞典 法学入門への一つの試み』をWeb日本評論で復活させたものです。
なお、掲載にあたっては、適宜編集を加えています。

(不定期更新)

Polītīae lēgibus adaptandae sunt.

出典は不明であるが、おそらく比較的新しいものであろう。

これは、政治が法律に従ってとり行なわれるべきであるという近代政治のルール(タテマエ)を簡潔に表明したもので、とりたてて問題とするほどのことはないかもしれない。

1973年、第一審札幌地裁で、長沼ナイキ基地訴訟をめぐって自衛隊違憲論をはじめてうちだした福島裁判長は、判決後の記者会見で、「われわれは、法律と憲法のタテマエから政治がハミだしていれば、ワク内にもどるようにする義務があります。法律、憲法が現状に合わないときはそれを改定すべきで、その判断は国民が選択すべきです」という趣旨のことを語ったが、「その言やよし」である。しかし、歴史の流れは福島判決を中洲におきざりにしたまま、先へと進み、今は、裁判所の大勢は「一見明白に違憲でない限り、高度の政治性のあるものの判断は、……司法審査の対象になじまない」という統治行為論によって、自衛隊の憲法適合性についてはタテマエ的に一応は説明をつけて政治に対して動かないままでいる。

さて、もう少し動的な状態を想定してみると、形式においても、政治が法律の大元となることもまた事実であり、「法は政治の子」なのである。つまり、政治をリードするのは立法府から出される内閣総理大臣であり、彼を擁する院内与党が法律を制定し改廃する最短距離にいるわけだから、法律を動かす地位はたいていは政治の手中に握られているわけである。他方で、タテマエ(制度論)からはなれて現実を直視すると、昔ながらの「非理法権天」のスローガンに示されているような、「法」が「権(政治)」にかなわない状況は、日本の場合とりわけ色濃く残っている。

筆者の個人的感覚を筆者流の用語で表現すると、あの田中角栄氏は、日本人が昔からある程度は大切にし、少なくともそういうフリをして扱ってきたタテマエの虚構性を鋭く見抜き、ホンネ(いろいろな意味での実力)を堂々とはばかるところなく押出すことで一つの時代を画した人物であったが、彼の手にかかると、法(法律)と政治との間柄は、いとも簡単に総括されてしまう。文芸春秋昭和56年2月号の「田中角栄独占インタビュー」(田原総一朗)のなかで、「政治とは法を駆使するのであって、法にふりまわされるようではしようがない」(133頁)という趣旨の発言が紹介されている。彼の真意をもう少し筆者なりに敷衍すると、「政治家が(政治家のみが)法を操る力を身に備えるべきだ」、「法だけにたよっていては政治などできっこない」、「政治は法よりも高い次元に位置する」ことになるだろう。言うまでもなく、日本は法治国家であるから、こういう発言はかなり問題をはらみ、不謹慎なものであるけれども、なぜか法に対する信頼性の欠如、法への違和感が根強いわが国では、思ったよりスンナリと人々に受けいれられてしまうのである。
つぎに「法」と「権」の関係について欧米のあり方を見てみよう。絶対君主の法的地位を示し、君主が法の源泉であることも意味する有名な格言がある。「君主は法から免れている( Prīnceps lēgibus solūtus est 」(日本にも「地頭に法なし」というのがある。また、「王は悪事をなしえない( Rēx nōn potest peccāre )」というのもある)というものだが、これは、ローマ法学者のウルピアーヌスがごく具体的な民事関係の法律問題について作りあげた命題をベースとして後代にかたちづくられたもので、6世紀にはすでに法原理と化していた。ここから「君主無答責の原則」が最終的にひきだされてこよう。この格言とならんで、「君主の是認することは法律の効力を有する( Quod prīncipī placuit, lēgis habet vigōrem )」という命題も同じころに法原理の域にまで高められていた。これらは、中世以降に、正真正銘の法格言として、とりわけ絶対的支配者たちには大いに重宝がられた。このほかにも、ニュアンスは少しずつ異なるが、さまざまな言いまわしが存在する。「国王は生きた法律である( Rēx est lēx vīvēns )」、「皇帝は法の父である( Der Kaiser ist ein Vater des Rechts )」、「君言は法である( Das ist Recht, was der Kaiser sagt )」、「王の欲するところは法の欲するところである( Que veut le Roy, ce veut la loy ――中世フランスの格言)」などなど。しかし、彼らが法の上の高みにあって、したい放題のことをやるのを阻止するために、賢明な人々はある論理を考案することになる。東洋では、形や表われ方はいろいろあるけれども、中国の天に相当するような絶対者の存在が想定されていたので、まだ歯止めがあったのかもしれない。西洋でもキリスト教が抑止力を持ちえたはずであるけれども、おそらく暴君にはこれは通じなかったのであろう。

さて、その論理というのは、遡れば、古代ギリシアにまでもたどりつくものかもしれない(ここでは「法は神々までも拘束する」とさえ言われた)。「国家でさえ犯すことのできない自然権がある」とする自然法思想とか、「国王権力は神の意思に根拠を持つ」とする各種の王権神授説とか、「国王は何人の下にもない。しかし神と法との下にある」、あるいは「法律が王を作るので、王は法律の下にあるべきである」とする「法の支配」思想などが、王権を制約するものとして利用されるようになる。ここでの「法」はもちろん人間の作った法律などという次元の低いものではなく、政治をも踏みしだく上位の規範である。

以上を総合して考えると、欧米においては、歴史的には「法」と「権」とは五分五分の勝負をやってきたと判定できるかもしれない。日本にはこういう伝統がないから、「法の支配」とか「法治主義」とかの概念が導入されても、非専門家のあいだでは、誰か強力な者が法を支配するとか、法によって国民を支配するとかいうイメージを一掃しきれていないようにも見うけられる。「法がすべてを支配する源である」、「法が国を治める」という欧米感覚が日本人一般のあいだに定着するのはいつの日のことであろうか?

 

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柴田光蔵 1937年京都府生まれ。1959年京都大法学部卒業。1961年京都大学助手を経て同大学助教授。1962~64年イタリアで在外研究。1973年京都大学教授。2000年定年退官。京都大学名誉教授。京都大学法学博士。専攻はローマ法・比較法文化論・日本社会論。最近の著書に、『タテマエの法・ホンネの法(第4版)』(日本評論社、2009年)、『タテマエ・ホンネ論で法を読む』(現代人文社、2017年)などがある。