『新装復刻版 みんなの憲法』(編:日本評論社)

一冊散策| 2018.09.25
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

 

 

解題

弁護士・伊藤塾塾長/日弁連憲法問題対策本部副本部長  伊藤真

本書は、1960年6月に発効した新安保条約に関する問題を中心に、憲法上の14のテーマについて、掘りさげた議論をわかりやすく解説した書物です。内容は相当高度なところまで触れていますが、研究書や大学の講義用テキストとは異なり、あくまで一般市民の方が、憲法の基本精神、つまり憲法が何を守るための法なのかを、独習や読書会を通じて容易に知ることができるように書かれたものです。

1961年5月3日に発刊された本書は、新安保条約をめぐる政治の動きに対するカウンターとして、憲法擁護国民連合により企画されました。以下、企画の趣旨を知るのに必要な限りで、当時の経緯を説明します。

米軍の駐留を主な内容とする旧安保条約は、1951年に署名されました。軍隊をもたない日本が、米軍に自国を守ってもらうという片務的な性格の条約でした。その3年後の54年、自衛隊が創設され、さらに6年後の60年、旧安保条約に代わって新安保条約が締結されます。その第5条では、日本の施政下にある領域において日米いずれか一方が攻撃を受ければ、その共通の危険に日米双方で対処することが定められました。片務的な旧安保条約とは異なり、アメリカが攻撃された場合も、ともに戦争を行なうことが義務づけられ、集団的自衛権を前提とした双務的性格を帯びるようになったのです。言い換えれば、自衛隊がアメリカの軍事戦略の中に位置づけられ、日本が直接には関わらないアメリカの戦争にも日本が自動的に巻き込まれることになったのです。

アメリカに守ってもらうだけの旧条約から、アメリカとともに自衛隊が出動する新条約への改定は重大な国策変更であり、再び戦争を始めるものとして、国民の強い反発を呼びました。

59年3月に結成された安保改定阻止国民会議が中心となった反対運動は、60年に入り日米交渉が妥結することで、一気に全国に広がりました。新安保条約が憲法の平和主義を危機にさらすものであること、条約締結までの過程が非民主的な政治的独断だったことのみならず、条約承認をめぐる審議過程も混乱しました。同年5月の衆院特別委員会では、自民党が警官隊を導入し、座り込みをする社会党議員を追い出して強行採決を行い、本会議では自民党の大物議員も欠席・棄権が相次いだのです。6月15日には、13万人の国会請願デモの際、警官隊の暴行によって多数の負傷者を出し、東大生樺美智子さんが死亡したことで反対運動は頂点に達します。

新安保条約は、参議院での実質審議を行わず、6月19日に自然成立、同23日、批准・発効すると、岸内閣は、混乱の責任を取って翌7月、総辞職します。

本書所収の「選挙と議会」によれば、このような新安保条約の成立過程の騒動には、大まかにいって二つの原因があるといいます。第一は、政府与党が民主主義のルールそのものを無視したこと、つまり、自分たちの主張が絶対正しいとして、強行採決したことであり、第二は、最高法規である憲法を無視ないし軽視しようとした岸一派の行動に対する反撃です。

日本国憲法は健在であるのに、時の政府が憲法の基本原理である平和と民主主義を無視した政治を行い、憲法が空洞化されていったのが当時の政治状況であり、新安保条約はその象徴でした。その現実に憲法を合わせるために、改憲の動きが出てきたのも60年のことでした。

このような現実の政治の動きに対抗するものとして発刊されたのが本書です。安保闘争は一定の盛り上がりを見せたものの、憲法を無視した新安保条約は発効し、さらにその先には改憲の動きもみてとれます。憲法の理想を現実に引き下げるこのような政治の動きに対して、現実を憲法の理想に引きあげる動きが求められていたのです。そのような動きに最も重要な役割を担うのは誰かといえば、それは首相でも国会でも裁判所でもなく、個々の市民自身です。市民一人ひとりが憲法の基本精神を理解し、現実の政治との違いを知り、違憲政治を正すべく選挙で自らの意思を示し、集会の自由、表現の自由、請願権、裁判を受ける権利など、憲法上の人権を駆使し、世論を形成していくことこそ、現実の政治を憲法の理想に引きあげる最も重要な力になるのです。

憲法を無視した政治を行い、その現実に合わせて改憲を目論む当時の政治の動きは、改憲に前のめりになる今日の安倍政権の動きによく似ています。

2013年に強行採決で成立した特定秘密保護法は、知る権利の保障と国民主権原理を後退させました。翌14年の集団的自衛権の行使を認める閣議決定、それを具体化した15年の安全保障法制は、必要最小限度の実力のみを保持できるとする従来からの政府解釈に照らしても、平和主義を定めた憲法9条に違反するものです。16年の盗聴法の拡大、17年の共謀罪の成立は、表現の自由を中心とした自由権を大幅に制限し、かつ警察権力の拡大を招くのみならず、戦争ができる国作りの地ならしの役目も果たしうるものです。そして今年18年は、集団的自衛権を行使する自衛隊を憲法に明記する寸前まで来ているのです。

加えて、それらの法案は、質疑をはぐらかすばかりの政府答弁を経て、数に頼んだ強行採決によって可決されたものも多く、憲法が採用する議会制民主主義は危機に瀕しています。本書「選挙と議会」が指摘した次の記述は、発刊から60年が経とうとしている今日の国会審議を見聞きしたかのような提言になっています。

「民意に基づく政治を実現するためには、与党も野党も議案の審議に参加してそれぞれの主張を明らかにし、これを国民の判断に供しなければならない。国民は、これに対して、さまざまの反応を示すことであろう。与党といえども自己の主張のみを固執しないで、さまざまの立場を考慮して共通の意見の形成に努力すべきである」

以上に照らし、60年近く前に発刊された本書を現代の私たちが読むことには、次のような意義があると考えられます。

それは第一に、最近、市民の多くが安倍政権による改憲論議に関心を示しはじめており、それに応える意義です。現行憲法が何を守ろうとしているのかを理解することなしに、それを変える必要があるか、変えたらどうなるのかを知ることはできないでしょう。そのための入門書を提供することが本書の意義の一つです。

第二は、改憲論議への関心に呼応して、新安保条約改定当時の議論も注目されはじめており、それに応える意義です。新安保条約改定は、日本国憲法が最も危機にさらされた政治的出来事の一つでした。そのような危機に対して、当時の憲法学者が行った提言をまとめた書物は、当時の議論に関心をもつ人に対して有意義なものです。

第三に、何よりも、当時の政治状況と安倍内閣による政権運営とが非常によく似ていることです。平和と民主主義という憲法の基本精神を無視し、現実を先行させて既成事実を作り、既成事実に合わせて改憲を図ろうとする最近の政治の動きは、当時と異なるところがありません。当時の世相がそれをどう受けとめ、何をなすべきかを知ることは、私たち市民が安倍改憲にどう臨むべきかを考える格好の判断材料になります。

本書が、憲法の基本精神を知り、改憲についてどう考え、行動すべきなのかを決める一助になれば幸いです。

目次

解題  伊藤 真

はしがき

1 憲法の成立  辻 清明

2 憲法と政治  中村 哲

3 憲法と平和  寺沢 一

4 権利と自由  高柳信一

5 憲法と家族  磯野誠一

6 憲法と生活  小川政亮

7 憲法と教育  星野安三郎

8 憲法と労働  松岡三郎

9 憲法と婦人  鍛冶良堅

10 権力と公共の福祉  小林孝輔

11 選挙と議会  橋本公亘

12 憲法と裁判  渡辺洋三

13 憲法と税金  遠藤湘吉

14 憲法と地方自治  和田英夫

15 憲法を生かす途  小林直樹

附録 日本国憲法(全文)

書誌情報など