『数理とデータで読み解く日本政治』(編著:浅古泰史,善教将大)
- #一冊散策
序章 なぜ日本は多くの問題を抱えたのか?
1 はじめに:今の日本を冷静にみつめる
「今の日本が直面している最も大きな問題とは何か?」と問われたとき、読者のみなさんは何を思い浮かべるだろうか。政治の世界を見れば、政治とカネの問題や、選挙をめぐる幾多の混乱などが生じており、政治不信は一向になくなる気配がない。経済状況を見てみると、物価高と上向いた実感のない景気の中で財政・金融政策の舵取りは難航し、財政赤字はますます増大していく。若い子育て世帯に向けた政策を重視すべきか、あるいは高齢者向けの社会保障を優先すべきかといった議論も盛んに行われ、世代間対立が顕在化してきている。社会の分断が大きくなっていくように見える中、メディアで流される誤情報が問題視される。また、ロシアによるウクライナ侵攻や、異例の 3 期目に入った習近平国家主席が率いる中国の存在、核兵器開発を進める北朝鮮など、非民主主義の隣国の存在は深刻な防衛問題となるとともに、日本経済に大きな影響を与えている。日本が抱える問題は、あまりにも多岐にわたっている。これらの問題解決には、客観的な視点に立った冷静な分析が必要である。他者の意見の中には、どう考えても受け入れがたいものもあるだろう。わたしたちの生活に直結する問題の中には、切実なものもあるだろう。ただ、感情的に議論するだけでは解決にはつながらない。問題の解決のためには、日本がこれまで歩んできた道を理解する必要がある。今の日本のあり方を正しく理解し、問題解決への糸口をみつけ出していきたい。本書は、そのような問題意識から、特に日本国内で生じている問題について、日本の政治と経済に着目し、分析していく。
冷静に日本の現状をみつめ、考察していくには、データや数理モデルを用いた分析が有用である。データ分析は、単に実態を記述するだけではなく、データとデータの関係性を突き詰めつつ、今の社会で生じている状況を明らかにすることができる。一方で数理分析とは、複雑な現実の本質を、数式を用い簡略化して取り出し、示していく分析手法である。簡略化されたものは、現実の模型 (英語では model) ともいえるため、(数理) モデルと呼ばれている。できるだけ感情的にならずに、冷静にかつ論理的に議論するための分析手法だといえる。
本書では、このようなデータ分析と数理分析を用いて、それぞれの分野の最先端を走る執筆陣が、各問題を丁寧に議論していく。日本が抱える諸問題は、それぞれが独立しているわけではない。互いに、その根底で密接につながっていると考えるべきだ。経済が今のような状態になるまでには、多くの政策が影響を与えてきた。そして、その政策を決定している主体は政治家であり、その政治家たちは選挙を通じて選ばれている。つまり、選挙制度をはじめとする政治制度が経済や社会に大きな影響を与えているということだ。その一方で、経済や社会の現状は、選挙を通して政治家の進退や政党の盛衰にも影響を与えるだろう。日本の経済を理解するためには政治を、政治を理解するためには経済を理解する必要がある。
よって、本書の各章も完全に独立したものではなく、互いに強く関係している。第 I 部 (第 1〜6 章) は主に選挙を中心とした日本政治を分析する章で構成されており、第 II 部 (第 7〜13 章) は経済政策などの政策に関わる章により構成されている。ただし、第 I 部と第 II 部の議論は、強い関係を持っている。たとえば、財政の地方分権化と大阪維新の会などの地方政党の興隆には強い関係性がある。女性議員の少なさと女性の社会進出はつながっているし、多くの経済政策が実行された背景を理解するためには自由民主党が長く選挙に勝ち続けた理由を理解すべきだろう。本書は、章と章のつながりを意識して書かれている。どの章から読んでも理解できるようになってはいるが、日本が現在抱える重要な問題とその構造を理解するために、ぜひ、すべての章を読んでほしい。また、構成は第 1 章から順を追って読んでいくことで、理解が深まっていくように考えてある。特にこだわりがなければ、章の順番どおりに読んでみるとよいだろう。
日本が抱える諸問題に対する「処方箋」を提示することが、本書の主な目的ではない。主な目的は、諸問題を抱えることになった理由と、その現状を丁寧に分析し、読者自身が考えるための材料を提供することにある。問題の解決のためには、安易に「これが解決策だ!」と処方箋を示すのではなく、なぜ現状に至ったかを正しく理解することが必須だからだ。もちろん、執筆者が考える政策提言を行っている章もある。それらも含めて、今の日本をみつめ直すきっかけにしていただきたい。
2 政治は経済に、経済は政治に影響を与える
本書では政治と経済の両面から、日本政治をめぐる諸問題を多角的に議論していく。よって執筆陣は、政治学者と経済学者である。政治学では、政策が決定されるまでの過程を分析することが多い。一方で、経済学では、政策が実体経済に与える影響を検討し、社会にとって望ましい政策は何かを分析することが多いといえる。しかし、政策決定過程の分析には、そこで決定された政策が経済や社会に与える影響をふまえなければならない。また、望ましい政策を模索・実現するためには、政策の決定過程を理解しなければならない。政治は経済に影響を与え、経済は政治に影響を与えるのである。政治と経済の相互依存関係に注目し、諸問題を分析する学問領域は一般に政治経済学 (あるいは公共選択論) と呼ばれており、今日に至るまで発展し続けている。
政治経済学では、データ分析や数理分析を用いて政治と経済の相互作用の解明に取り組む研究が多い。これら 2 つの手法は、経済学では従来から主要な分析手法であったが、政治学でも、政治分析に適したデータ分析や数理分析の手法が積極的に提案されている1)。データ分析や数理分析は、政治学と経済学をつなぐ「共通言語」といっても過言ではない。
以上のような背景から、政治学者と経済学者が共同で研究する例は多く見られるが、その一方で、本書のように政治学者と経済学者が同じ問題意識に立ち、一貫した内容の書籍を共同で執筆するという試みは少ない2)。各章は、異なった専門分野から集まった研究者が、お互いに議論を深めながら執筆したものである。その成果は、すべての章で反映されていると自負している。
「3 わたしたちが来た道」(中略)
「4 低成長への対抗策としての政策群」(中略)
5 本書が主に用いる分析手法
5.1 データ分析と因果推論
「データ分析」と一口にいっても、単にデータをグラフにして見せるだけではない。さまざまな手法を用いて、データとデータの間の関係性を突き詰めることが必要な場合もある。第 3 節では、低成長下でさまざまな政策が実行されたことを議論した。しかし、前掲の図 0-1 を見てもわかるように、経済成長率はゼロ付近から大きく変わることはなく、低成長から抜け出すことはできていない。ただし、これだけで政策に意味がなかったとは断じることはできない。それは、政策が行われなければもっと経済状況が悪化していた可能性があるからだ。年月を経るごとに大きく経済成長率が低下していく趨勢があったのならば、その中で政策を実行することで低下していく流れを止め、何とかゼロ成長付近にとどまることができたということかもしれない。
「政策$\longrightarrow$経済成長」のように、原因と結果の関係をデータの中から取り出したうえで、因果関係を見出そうとする統計的手法を、統計的因果推論と呼ぶ。一見、影響を与えていないように見えても、影響を与えている可能性はある。また、経済成長率が低下しているときに、大規模な財政政策が実行されているのならば、「経済成長→政策」といった逆の因果関係が存在する可能性もある。2 つのデータが同じような動きをする相関関係があるとしても、そこに因果関係があるとは限らないことも重要だ。有名な話として、「アイスクリームの売上が高いときに、犯罪発生率が高まる」というものがある。当然、アイスクリームを食べた人が狂暴化するわけではなく、気温が高くなればアイスクリームの売上が高まるとともに、イライラした人が増えて犯罪発生率が高まっているだけである。この例における気温のように、第 3 の要素がデータ間に擬似的な相関関係をもたらしている可能性もある。因果関係は、このようなさまざまな可能性をふまえながら特定していかなければならない。
データの制約や分析手法の限界から明確な因果関係が示せない場合もあるが、本書で紹介する分析では、因果推論まで議論しているものが多くある。どのような因果関係を示している分析なのか、意識しながら読んでほしい。
5.2 数理分析とゲーム理論
数理分析で最も多く用いられている手法が、ゲーム理論である。ゲーム理論では、意思決定者の選択が、相互の利得に影響を与えあう状況を分析する。たとえば、じゃんけんでは、自分が選ぶ手だけではなく、相手が選ぶ手も結果に影響を与える。政治家の選択が有権者の利得に影響を与え、有権者の選択が政治家の利得にも影響を与えているなど、わたしたちの社会におけるほとんどの状況で、意思決定者の選択は相互に影響を与えあっている。しかし、数理分析のすべてがゲーム理論を用いているわけではない。たとえば、経済学で市場を分析する際に用いられる一般均衡理論では、市場にたくさんの消費者と生産者がいるため、個々の消費者や生産者の選択は市場価格に影響を与えないと考えることが多い。この場合、個々の意思決定者の選択が、相互の利得に影響を与える状況とはいえない。
ゲーム理論では一般的に、意思決定者のことをプレイヤーと呼び、そのプレイヤーが有している選択肢を戦略と呼ぶ。同時に、ゲームのルールとして、意思決定の順番や、利得の与え方などを設定する。そのうえで、ゲームの中でプレイヤーがどのような行動をとるのか分析し、結果を予測することになる。ゲームの結果の予測には、均衡という概念が用いられる。均衡とは、誰も選択を変えようとしない安定的な状況を指す。もし誰かが戦略を変えることで自身の利得を高めることができるのならば、そのプレイヤーは戦略を変えようとするはずだ。そのことをふまえて、誰も選択を変えようとしない状況が現実には生じうると考えるのである。
ゲーム理論を中心とした数理分析では、人々が特定の選択をする裏には、その選択を促すインセンティブ (誘因) があると考える。たとえば、有権者の好む政策を選ばなければ選挙に落ちてしまうのであれば、政治家は選挙に勝つために有権者の好む政策を選ぶインセンティブを持つことになるだろう。ゲームのルールが変われば、人々のインセンティブも変わる。どんな政策を選んだとしても必ず当選できるのならば、政治家は私利私欲に走るインセンティブを持つようになるかもしれない。数理分析ではインセンティブという視点を通し、制度 (ゲームのルール) と人々の行動の関係をひもといていくことになる。
5.3 経済学の基礎用語
本書の一部の章では経済学的な分析も行われる。本章の最後に、経済学で用いられる基本的用語を整理しておこう。
さまざまな商品が取引される市場に関しては、主に消費者の行動と生産者の行動の双方から分析が行われる。そこで取引される商品は財と呼ばれており、財は物質的商品だけではなくサービスも含んだ市場で取引されるモノやサービス全般を意味する。同時に、インフラの整備、治安の維持、特定の人々への補助金など、行政が行う公共サービスも財の一種である。
この財に対して、個々の消費者は好みを持っている。仕事や勉強の休憩に、何かしら飲み物を飲もうとしたとしよう。そのとき、コーヒーや紅茶などに対する好みがあると思う。たとえば、「コーヒーの方が紅茶より好き」などの好みである。この好みのことを、選好という。しかし、「コーヒーの方が好き」という言葉だけでは、数理分析を用いて分析することは難しい。そこで、より好ましい選択肢に、より大きな値を与えたうえで分析する。たとえば、コーヒーの方が紅茶より好ましい場合には、コーヒーに 5、紅茶に 2 を与えるなどである。このように好みの順番に応じて与えられた数値を効用といい、選好に応じて効用を与える関数は効用関数と呼ばれている。利得、および利得関数と呼ばれることもある。
消費者は自身の選好と予算をふまえながら、各財の消費量を決定する。消費量の市場全体の大きさが、その財に対する需要となる。一方で、個々の生産者は利潤が最大になるように生産量を決める。そして、市場全体の生産量がその財の供給となる。経済学では、この需要と供給で、市場における財の価格と取引量が決まってくると考える。ただし、本書で扱う財の多くは公共サービスである。よって、利潤最大化を目的とする民間企業ではなく、利潤を考えていない政府が供給者になる。
利潤最大化を目的としない場合、何を目的として政策は決められるべきなのか。経済学では、政策評価をする際に、社会厚生という概念が用いられることが多い。社会厚生とは、ある状況が社会的に望ましいか否かを判断する際に、社会における望ましさを測る尺度である。たとえば、消費者がある財の価値を 1,000 円と思っている中で、200 円で購入できたとする。この差額となる 800円分は、この消費者にとっての利益といえる。この差額分をすべての消費者で足し合わせれば、社会厚生の一部である消費者の利益がわかるだろう。ただし、社会厚生の測り方には複数の種類があり、望ましい測定方法が何かに関しては多くの議論が行われている (Fleurbaey and Blanchet 2013 など)。本書では主に公共サービスを分析対象とするため、基本的には市民全体の利益総額を社会厚生と捉えて分析していく。
データ分析と数理分析の極めて基礎的な概念と考え方のみ、ここでは紹介した。より踏み込んだ解説は各章で行っている。これで、準備は終わりである。それでは、一緒に日本が直面する問題を考えていこう。
脚注
| 1. | ↑ | 政治学におけるデータ分析に関する教科書として、松林 (2021) と久米 (2025) がある。ゲーム理論をはじめとする数理分析の教科書として、政治学に関しては浅古 (2016, 2018) が、政治学と経済学の交差点となる政治経済学に関しては小西 (2009) と浅古 (2024) がある。また、政治学におけるこれらの手法の発展に関しては、『経済セミナー』 (日本評論社) 2022 年 10 ・ 11 月号の特集「いま、政治の問題を考える」を参照されたい。 |
| 2. | ↑ | 政治学者と経済学者の共編著の研究論文集として,田中・小西 (2012) や鈴木・岡田 (2013) などがある. |
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