「海外渡航の自由」を骨抜きにした判決—常岡浩介さん旅券返納命令取消訴訟(出口かおり)

特集/ジャーナリストとパスポート---問い直される「海外渡航の自由」と旅券法| 2025.09.19
特集/ジャーナリストとパスポート---問い直される「海外渡航の自由」と旅券法
本稿では、常岡浩介さんの旅券返納命令取消訴訟について、返納命令交付の経緯と地裁・高裁判決を振り返ります。

1 フリージャーナリストとしての活動

フリージャーナリストの常岡浩介さんは、早稲田大学の学生だった1992年頃から、夏休みや春休みを利用して、アフガニスタン、アルジェリア、リビア、シリア、イラク、レバノンなどの中東各国にバックパック旅行に出かけ、現地の交流を通じて、何人も友人ができたそうだ1)

常岡さんは大学卒業後、NBC長崎放送に就職し、報道部記者として警察や司法の担当をしていたが、1990年代後半から、アフガニスタンでのタリバンの台頭やハザラ人の虐殺2)が起こるなど、中東地域の政情が徐々に悪化していった。

学生時代に何度も訪れ、多くの友人ができた国々の状況にいてもたってもいられなくなった常岡さんは、アフガニスタンの取材活動に専念したいと考えるようになり、1998年に長崎放送を退社し、以後、フリージャーナリストとして活動するようになった。アフガニスタン、エチオピア、チェチェン、イラクなどの戦場のほか、ロシアやウクライナでも取材活動をして、通信社や新聞、雑誌、テレビ局などに寄稿したり映像を提供したりしてきた。

2 旅券返納命令交付の経緯

常岡さんはこれまで海外で理由もわからず入国できなかった経験を何度かしたことはあったが、手続らしいことはなく、書面を交付されることもなく、単に入国できないというだけであった。知り合いのジャーナリストもそのような経験をしていたから、「そういうこともある」という程度に受け止めていた。外務省から事情を尋ねられることもなく、旅券の更新時期が来れば手続をして、問題なく旅券が発給されていた。2016年2月9日に旅券の発給を受け、指紋認証での自動化ゲートの利用登録手続をして、羽田空港や成田空港を利用するたびに、自動化ゲートを通って出国していた。

2018年12月頃、常岡さんはイエメンを取材する予定を立てた。イエメンでは内戦や海上封鎖による物資の流通停止により広範な飢餓が発生しており、国連も「世界最悪の人道危機」と呼ぶほどの悲劇的な事態が起こっていたにもかかわらず、国際社会の支援は全く足りていなかった。現地取材をして日本のメディアで伝える意義が大きいと考えた常岡さんは、イエメンへ出向いて現地で活動している国連世界食糧計画(WFP)と国境なき医師団(MSF)への密着取材をすることとし、これらの団体に連絡して、現地取材のアポをとった。イエメンへの入国査証も手配して発行された。日本からイエメンへの直行便はなく、イエメンの隣国のオマーンに入国し、そこから陸路でイエメンへ向かう計画を立てた。

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脚注   [ + ]

1. 当時、景気はまだそれほど悪化しておらず(統計によれば90年代は親から大学生の子への仕送りが最も多かった時代であった)、アルバイトで得たお金で長期休みにインドやトルコなどにバックパック旅行へ出かける学生は珍しくなかった。
2. ハザラ(あるいはハザール)人は、アフガニスタンを中心に、パキスタン北部やイランにも居住する主にシーア派(十二イマーム派)の少数民族。1990年代以降、タリバンやイスラーム過激派はハザラ人に対する組織的な集団虐殺行為を幾度にもわたって繰り返しており、Human Rights Watch等の人権団体は、これらを戦争犯罪・人道に対する罪に該当し得るとしている。

出口かおり(でぐち・かおり)

1998年早稲田大学法学部卒業、2000年早稲田大学大学院法学研究科公法学専攻憲法専修修了。2011年弁護士登録。主な著書(分担執筆)として『実務解説 行政訴訟(第2版)』(大島義則編著、勁草書房、2025)がある。