人権の「最大の尊重」が原則である—「ジャーナリストに渡航の自由を!」安田純平さん旅券発給拒否取消訴訟(岩井信)
特集/ジャーナリストとパスポート---問い直される「海外渡航の自由」と旅券法本稿では、安田純平さんの旅券発給拒否取消訴訟について、事案の詳細と、裁判の争点を確認します。
1 何を求めて提訴したか
伊藤博文の『憲法義解』(1889年)1)は、明治政府の準公式的な大日本帝国憲法の解説書です。そこには、封建時代において人々が許可なく旅行や移動ができず、公権力が「其の自然の運動および営業を束縛」していた状況は、人々を「植物」と同じくするものだと書かれています。
しかし、このように書かれた移動の自由も、大日本帝国憲法では「臣民」(天皇の民)の権利として、「法律の範囲内」でしか認められませんでした。そして、移動の自由および海外渡航の自由を「国民」の権利として定めた日本国憲法の下においても、変わっていません。
フリージャーナリストである安田純平さんは、トルコから入国禁止にされたとして、日本政府(国)から旅券が発給されませんでした。1国の入国禁止を理由に、全世界(195カ国)への渡航が禁止されたのです。
安田さんは次のように語っています。
日本で生まれて生活してきて、決して経験したことのないような無差別爆撃であるとか、ある日突然、家族が原形もとどめないほどのひどい形で亡くなるということが、世界で起きている。そういう場所が実際にあって、それを知りたいということでフリーランスになり、海外の取材を始めた。それそのものを否定された。言ってみれば人間性、半生そのものの否定という意味があった。
安田さんは、2020年1月9日に提訴して、①旅券不発給処分の取消、②旅券発給の義務付け(主位的には全世界を渡航先とする旅券、予備的にはトルコを除く全世界を渡航先とする旅券)を求め、さらに裁判中に、国家賠償請求を追加しました。
2 シリア内戦の取材
2024年12月、シリアのアサド政権は長い内戦を経て崩壊しました。安田さんはシリア内戦を取材しようとして、2015年にシリアに入り、武装勢力によって3年4か月間拘束されます2)。2018年10月、シリア領域内で拘束者からトルコの情報機関に安田さんが引き渡され、情報機関の車で国境を越えて入国管理局に引き渡されました。その後、トルコは安田さんに対し入国禁止措置をとったとされ、裁判で国は安田さんのトルコへの「密入国」を強調しています。
脚注
| 1. | ↑ | 伊藤博文著[宮沢俊義校註]『憲法義解』(岩波文庫、1940年[改版2019年])。実質的な著者は憲法起草者の1人、井上毅と言われています。 |
| 2. | ↑ | 安田純平『シリア拘束 安田純平の40か月』(扶桑社、2018年)、安田純平・危険地報道を考えるジャーナリストの会『自己検証・危険地報道』(集英社新書、2019年) |
岩井信(いわい・まこと)1964年生まれ。国際基督教大学卒業後、アムネスティ・インターナショナル日本支部事務局に勤務。2001年10月弁護士登録。著書に「『処分』違憲審査---憲法事実としての事案類型」渡辺康行編『憲法訴訟の実務と学説』(日本評論社、2023)。



