コロンビアの空の下で、科学と社会を語り合う(1)

WCSJ2023 メデジンレポート(みわよしこ)| 2023.05.18
2023年3月26日から30日にかけて、南米コロンビア・メデジン市において開催された、第12回科学ジャーナリスト世界会議(WCSJ2023)。3月28日~3月31日まで現地で参加したみわよしこ氏のレポートを、5回に分けて掲載する。
メデジン市の青空

天気が不安定なメデジンだが、青空が広がる日もある。

2023年3月27日から31日にかけて、南米コロンビア・メデジン市において、第12回科学ジャーナリスト世界会議メデジン大会(WCSJ2023)が開催された。筆者は、理事を務める日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)より参加費用の一部助成を受けて現地に赴き、2日目の3月28日より最終日の3月31日まで参加した。

本記事では、会期終了後を含めて9日間のメデジン市滞在の様子を紹介する。

科学ジャーナリスト世界会議とは?

科学ジャーナリスト世界会議は、世界科学ジャーナリスト連盟(WFSJ)が開催する科学ジャーナリズム・科学コミュニケーションの大会である。1992年に第1回大会が東京で開催されて以来、2023年のメデジン大会が12回目となる。もっとも、連盟と各国組織と大会の関係は単純ではなく、「世界連盟であるWFSJが設置された後に第1回大会が開催され、その後に各国に加盟組織が設立された」といった整然とした前後関係にあるわけではない。WFSJと日本のJASTJにおいては、大会を契機として団体が発足している(詳細)。

ともあれ大会は、2002年以後は概ね2年おきに開催されており、大会会期中に次回の大会開催地を決定・アナウンスするのが慣例だ。次回大会の誘致を望む国や地域は、その数年前から準備を重ね、大会会期中のプレゼンで熱闘する。

コロンビア・メデジン市は、2019年スイス・ローザンヌで開催された大会において、次回2021年の開催地として選ばれた。決め手となったのは、自然豊かな都市環境、この30年間で格段に良好になった治安、そして先進国と比較して低廉な開催費用であった。しかし新型コロナ感染症の影響で延期され、当初予定の2年後となる本年、開催されることとなった。

10年ぶりの南米、そして初めてのコロンビア

南米を訪れるのは2回目、2013年にアルゼンチン・ブエノスアイレス市で開催された世界精神保健連盟大会に、精神保健福祉のユーザーとして日本の団体から派遣されて以来のこととなる(参考:こころの科学174号)。日本を出発する前、コロンビアについて容易に想像できたのは、「アルゼンチンと同様、英語話者は極めて少ないであろう」ということのみであった。

コロンビアは南米大陸の北西部に位置し、太平洋に面している。海沿いの地域から山地まで、国土そのものが多様性にあふれている。赤道を南北にまたぐ日本の約3倍の面積の国土に、日本の人口の概ね半分にあたる約5100万人(2021年)が居住しており、人種や文化の面でも多様性が豊かである。主要産業は農業と鉱業であり、日本に年間550億円のコーヒーや石炭等を輸出する一方、約1350億円の自動車や鉄鋼を輸入している「お得意さま」である。1人あたりGDPは約6200ドルに留まる発展途上国であるが、年あたりの経済成長率は10%を超えている。また、高齢化率は8.8%と低く、若年人口が多い。10%を超える失業率は課題であるものの、将来にわたる経済成長が期待されている(いずれも2021年、世界銀行およびIMFによる)。

筆者にとっての最大の問題は、情報が見つかりにくいことであった。特に筆者は電動車椅子を利用する障害者であるため、バリアフリー情報が極めて重要である。日本語情報の存在は最初から期待していないが、英語ですら見つからない。自動翻訳を利用してスペイン語情報を探しても、役立ちそうな最新情報は見当たらない。現地メデジン市の障害者団体を探してみたものの、メールアドレスが不達になっていたり、WebページやSNSが開店休業状態になっていたりする。そもそも、コロンビアの障害者団体は本拠を首都ボゴダ市に置いていることが多く、メデジン市の状況の詳細は把握していないようすである。これは、当然といえば当然である。東京に本拠を置く障害者団体が、海外からの「大阪府A市のバリアフリー化状況は?」と問い合わせを受けても困惑するだけだ。ともあれ、2013年のブエノスアイレス市では、少なくとも市内中心部での移動や公共交通利用において、「車椅子だから無理」という場面は非常に少なかった。「2023年のコロンビアの大都市なら、状況がそれ以上に悪いことはないだろう」とタカを括ってしまうことにした筆者は、到着後、手痛いしっぺ返しを食うことになった。

メデジンまでの道のり

待ち時間を含めて26時間の乗り継ぎフライトの末、筆者がメデジンに到着してホテルにチェックインしたのは、3月26日の午前3時過ぎであった。初日は若干のワークショップが企画されているのみであり、実質的な初日は2日目だ。思い切って、初日は休養・体力回復・現地SIMカード調達・道路事情の把握・現地スーパーマーケット探検などに充てることとした。

筆者にとって、フライトは毎度、わが“分身”と無事に再会するまでのスリルとサスペンスを伴うものである。電動車椅子やバッテリーの取り扱いは、エアラインによって異なる上、欧米のエアラインでは現場の裁量が大きい。また、「テロが発生した直後」といった理由で、実際の運用が厳格化する場合もある。過去の経験や慣れは、安心材料にならない。

今回の往路は、成田~メキシコシティ(ANA)、メキシコシティ~メデジン(エアロメヒコ)の乗り継ぎであった。いずれの路線においても空港の人員不足による影響が深刻であり、2回とも、「手荷物として預けたはずのバッテリーが到着地で出て来ない」という事態に遭遇した。とはいえ、積載されているのであれば、必ず到着しているはずである。徹底して探していただくしかなく、結果として無事に発見された。しかし、メデジン国際空港への到着が1時間近く遅延したのに加え、到着からバッテリー発見までに1時間程度の時間を必要とした。このため、順調なら午前1時過ぎにはホテルにチェックイン出来ている予定であったところ、チェックインは午前3時過ぎとなった。筆者にとっては、電動車椅子とバッテリーが無事に行動を共にしているため「上出来」のフライトではあったのだが、さすがに心身とも消耗した。

豊かな緑、温暖かつ湿潤な気候

ホテル客室の窓から見たメデジン市街

ホテル客室の窓から見たメデジン市街。数多くの緑地や公園が配置されている。世界科学ジャーナリスト連盟の尽力により、高級ホテルに1泊12000円程度で宿泊できた。

空港からホテルへとタクシーで向かう30分間の道のりで強い印象を受けたのは、夜景の美しさである。

メデジン市の中心地は、周囲を2500メートル級の山々に囲まれた標高1500メートル程度の盆地にある。山上の空港から市街地に向かうということは、夜の山々に囲まれた道路を、市街地を見下ろしながら走行するということである。山々には頂上近くまで、斜面にへばりつくように低所得層の住居が立ち並んでおり、深夜でも住居や街路灯の光が漏れている。盆地には市街地の光がある。タクシーの窓から夜景が見えるたびに、思わず、息を呑んでしまう。

盆地まで下り、市街地に入ると、タクシーのライトが照らし出す街並みと豊かな緑、そして車内に流れ込む草の匂いに圧倒される。道路の中央分離帯や街路樹として植えられたヤシやソテツ、ときどき見える緑地。そして緑の合間に見えるレンガ造りの美しい建物の数々。

メデジン市は赤道直下(北緯6度)に位置しているものの、標高が高いため気温は年間を通じて17~28℃程度、気候は湿潤で乾季はなく、「常春の都」と呼ばれる。気候区分では熱帯雨林気候となるが、体感的には温帯湿潤気候と亜熱帯気候の中間といったところである。通り雨が多いため傘は手放せないが、極めて過ごしやすい。そうはいっても、やはり赤道直下の日差しは強烈である。充分な紫外線対策を行っていなかった手の肌は、紫外線による相当のダメージを受けた。

整備されているものの不十分な都市インフラ

メデジン市の上水道の水は、飲用可能である。途上国の都市において、このことが持つ意義は説明するまでもないであろう。水道水が飲用可能であるということは、低所得層を含め、居住者の健康に関する基盤が提供されているということである。首都ボゴタ市に関するJICAの資料【PDF】によれば、コロンビアにおいては1970年代以来、国法に基づく水資源の管理と住民の飲用水へのアクセス確保が行われている。住民の大多数は水道料金を支払っていないが、給水が停止されることはない。また、上水道が整備されていない地域への給水は、国家責任において行われているという。日本において数年に一度は必ず報道される「水道料金未払いによって給水を停止された低所得世帯の住民が、遺体となって発見される」というニュースを思い浮かべると、嘆息するほかない。もっとも、下水道の整備は充分ではないようである。強い通り雨のたびに、車道の隅に汚水が溢れる。道路を横断するたび、足が汚水の中に浸されてしまう。ホテルに戻ると早々に靴や靴下を手洗いしたが、2回3回洗っても排泄物の臭いが取りきれないこともあった。

道路は、中心地の車道の多くが一方通行、または中央分離帯のある設計である。時間帯によっては渋滞が激しく、制限速度が事実上存在しないかのような運転ぶりの自動車が多いにもかかわらず、横断にあたって危険を感じた場面はない。自動車が来る方向と路面にだけ注意を向けていれば済むため、安全は確保しやすいと感じた。むしろ泣き所は、歩道のレンガ舗装であった。レンガの剥がれや目地の損傷が補修されていなかったりする箇所が多いため、歩道走行時こそ路面状況への警戒が必要であった。また、中心街を少し離れると、車道と歩道の間にスロープが設けられていないため車道を走らざるを得ない場面も多かった。これは、2000年代の日本の地方都市に多く見られた状況である。

しかしながら、貧困や格差の課題を抱えた地域にしばしば見られる「路面に散乱したガラス瓶の破片」には、実質9日間の滞在中で3回程度しか遭遇しなかった。この頻度は、米国のボストン市並みである。

実感しにくかった利便性

メデジン市は首都ボゴタ市に次ぐコロンビア第2の都市であり、約380平方キロメートルの面積に約250万人が居住している。横浜市を面積・人口とも若干縮小したイメージだ。もっとも、ボゴタ市とメデジン市の距離は約400キロメートルに達するため、位置関係としては東京に対する大阪に近い。

人が集まる地域には、露店や庶民的な飲食店がひしめく。インターネット地図サービスで検索すると、市街地では概ね500メートル以内の範囲にスーパーマーケットやドラッグストアが存在するようである。繁華街には大規模書店や大規模ショッピングモールも点在し、夜はカジノが存在感を誇示する。地図で見る限り、何ら不自由なく過ごせる大都市であると感じられる。

世界科学ジャーナリスト連盟大会の会場近く、でこぼこの歩道。

世界科学ジャーナリスト連盟大会の会場近く。歩道が比較的整備されている地域ではあるが、車椅子にとってのバリアは多い。

問題は、移動とアクセスである。前述した歩道の路面の問題に加え、急坂が多い。市内を南北に貫く公共交通システム「メトロ」(地下鉄ではなく高架鉄道が主体)自体は、エレベータや電動リフトが整備されており、車椅子でも利用可能になっている。しかし、駅の電動リフトに到達するまでのアクセシビリティに関する情報が皆無に近い。周囲を探索した挙げ句、乗車を断念した駅が2つあった。また、車椅子でメトロを横断できる経路も不明のことが少なくなかった。

車道は整備されているので、極めて廉価なタクシーやインターネット配車サービス(5km程度の移動で、日本円300~500円程度)を利用すれば済むことではある。しかし、軽量(25キログラム)ながら折りたたみは出来ない日本の特注車椅子を何とか車内に押し込んでもらう(あるいはトランクに緊縛して半開きのまま走ってもらう)こと、それを不自由なスペイン語と身振り手振り筆談でコミュニケートしつつ行うことには、毎回、非常にストレスフルであった。

筆者の電動車椅子をタクシーに積み込んでもらった様子。

筆者の電動車椅子をタクシーに積み込んでもらった様子。ドライバーと筆者は身を縮めて運転および乗車することに。

急斜面に立つホテルの場合、客室から道路に出るのが容易でない場合もある。ホテル外にある建物のエレベータを2つ利用しなくてはならず、それらの建物の警備員に毎回お願いする必要があったりもする。帰途、もしも運悪く警備員の姿がなく、その間に尿意を覚えたら? 多数の小さな「万が一」を考慮しつつの外出は、「心おきなく楽しめる」ものにはなりようがない。むろん、タクシー等を利用すれば問題ないのではあるが、車椅子の積み下ろしにかかわるストレスがある。ともすれば萎えそうになる外出や移動の意欲を奮い立たせ続けることは、容易ではなかった。しかし、人々は概して親切である。周囲の人々に助力を依頼したとき、車椅子の扱いに不安を覚えることもなかった。文化と教育システムが日本と大きく異なる可能性を感じた。

また、ICTインフラに関しては、極めて利便性が高いと感じた。現地SIM(6コロンビア・ペソ)と通信容量(6ギガバイト・10コロンビアペソ)をあわせて、日本円で500円程度。しかも無料wifiの利用できる場面が多いため、1ギガバイト未満の使用で済んだのである。

「微妙」としか言いようのない治安

メデジン市が今回の大会開催地として選択されるにあたってアピールポイントとなった治安については、正直なところ、良好とは感じなかった。

1980年代まで地域を支配していた麻薬経済と麻薬組織「メデジン・カルテル」の影は、ほとんど感じられなくなっている。しかしホテルには、人身売買や違法薬物取引や銃火器の持ち込みへの警告が掲示されていたりする。滞在中、警察官らしき人物を伴ったホテル従業員が全室をチェックし、宿泊客ではない人物が客室にいないことを確認するのにも遭遇した。

オートバイに乗った男性2人連れが、女性2人連れの歩行者に巧妙に近づいて声をかけ、手にした電子機器(おそらく電話)を引ったくる場面も目撃した。電子機器を引ったくられた歩行者は、特に落胆するわけでもなく、「ついてないなあ」程度の感じであった。

平日の夕方から夜、または休日、人通りの多い地域では物乞いするホームレス状態の人々の姿、それも女性と子どもの姿が目立つ。多くの場合、比較的高齢の女性・若年女性と子どもたち・子どもたちのみ のいずれかである。貧困の影響が高齢女性・女性ひとり親・子どもに現れやすいことは、世界のあらゆる社会で広く見られる現象であり、日本も例外ではない。しかし日本においては、ホームレスといえば概ね男性単身者であり、貧困状態の女性は可視化されにくいことが課題である。コロンビアにおいては、貧困状態にある女性と子どもが路上に押し出されやすい。可視化されてはいるものの、社会的な対応が全く不足していることは、路上生活をする女性と子どもの人数を見れば明らかである。その圧倒的な現実に圧倒され、言葉も出なくなる毎日であった。

世界科学ジャーナリスト連盟大会の会場近く。汚れた壁、何かが燃えたあと

世界科学ジャーナリスト連盟大会の会場近く。注意深く見ると、暴力の痕跡があちこちにある。

野菜と惣菜の影が薄いスーパーマーケット

出張先で健康を維持するためには、食生活が重要である。筆者はもともと料理を愛好しているため、出張にはいつも、最低限の調理器具を持参している。現地の食材や惣菜は、出張の醍醐味の一つである。

メデジンのスーパーマーケットで驚いたのは、野菜の影が薄いことである。果物売り場は極めて充実しており、新鮮で香り高い熱帯の果物の数々が並ぶ。ところが野菜売り場の影は薄く、果物売り場よりも小規模であったりする。最も存在感を示しているのは、数多くの品種のジャガイモ類、そしてタマネギを始めとするネギ類である。品質は極めて良好そうだが、取り扱い単位は最低でも1キログラム。旅行者としては、手が出せない。その他の野菜の選択肢は少なく、しばしば傷みかけている。サラダ用のカット野菜セットを購入したところ、割高な上、2割程度は傷んでいたこともあった。レタス等の生野菜は、庶民の日常の食材という感じではない。

この傾向は、ホテルでも同様である。朝食ビュッフェでは、多種多様なパン・白米のライス・パスタ・肉とネギ類とジャガイモのスープ・肉料理・卵料理、そして多種多様かつ美味な果物が提供される。単体の生野菜や野菜料理は存在しなかったり、申し訳程度にリーフレタスが存在するのみであったりする。宿泊したホテルの1つでは、レストランの夜のメニューの彩りに生のプチトマトが若干使われており、朝食ビュッフェには油で揚げたプチトマトが味と彩りとボリュームのために使用されていた。揚げることによって脱水されたプチトマトの皮を口にすると、控えめな辛味がじわりとほとばしり、トマトがトウガラシと同じナス科に属することを実感する。なんとも見事な使い回しであるとともに、生食を前提としたサラダ用野菜は、そこまでする必要のある高級食材ということでもある。

ホテルの朝食ビュッフェにて。サラダ。

ホテルの朝食ビュッフェにて。サラダ(中央奥)は小皿に盛られた状態で提供され、プチトマトの素揚げがトッピングされていた(手前左側の皿に載っているのはプチトマトではなくブドウ)。生野菜は貴重である。

ホテルの朝食ビュッフェにて。果物。

ホテルの朝食ビュッフェにて。極めて美味な果物が、豊富に提供されていた。右側手前は大粒のサクランボ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スーパーマーケットでは、日本でいう「惣菜コーナー」も見当たらない。高級スーパーには、イートインスペースのあるデリコーナーが存在する場面もあるものの、「高価なデリを、おしゃれに都市的に楽しむ」という雰囲気である。冷凍惣菜は多種多様であり庶民的な価格帯だが、パッケージを見る限り、想定されているのは4人程度以上の家族であるようだ。

穀物のコーナーにはコメや乾燥トウモロコシが並び、豆コーナーには多種多様な乾燥豆が並ぶ。鮮魚は高価だが肉は相対的に安価。毎日の健康を支える家庭料理文化の存在が察せられつつも、家庭内での家事とジェンダーの関係は気になるところだ。今回は、それらの真相や実態に迫ることはできず、残念であった。

魅力的、ぜひ再訪したい都市

メデジン市は、数多くの課題が存在するものの、文字通り「発展途上」の街である。いまだ「途上」にある現状を見るだけでも、周到に考慮を尽くした都市計画や高レベルのシビルエンジニアリングが存在し、強引な破壊や排除を可能な限り避け、慎重かつ確実な進化を図っている様子がうかがえる。

なにより、コロンビアは若年人口が多く(2021年の高齢化率は8.8%)、継続的かつ長期にわたる経済成長が期待されている。メデジン市においても、教育やインクルージョンやICT産業推進を含めた中長期計画【PDF】が立案され、実行の途上にある。今回、萌芽であったり途上であったりした要素の数々は、数年後に成長したり完成したりしていることであろう。ぜひ再訪して、もっと詳細を理解したいと感じられる都市である。

世界科学ジャーナリスト連盟大会の会場近くの壁に描かれたグラフィティ(落書き)。

世界科学ジャーナリスト連盟大会の会場近く。多くの場所で、グラフィティ(落書き)は公認あるいは黙認されている。“ガス抜き”需要の存在と対応の様子が伺える。

次回は、科学ジャーナリスト世界会議(WCSJ2023)についてレポートする。


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みわよしこ
フリーランスライター。博士(学術)。大学院修士課程(物理学専攻)修了後、電機メーカで半導体デバイスの研究・開発に従事した。在職中より、科学と技術に関する執筆活動を開始。2007年に中途障害者となった経験、および2011年の東日本大震災を契機として、社会保障・社会福祉に関する執筆活動も開始。現在は、執筆・研究・国際人権アドボケイトの3つを柱として活動。主な著書は『生活保護リアル』(日本評論社、2013年)。共著に『いちばんやさしいアルゴリズムの本』(技術評論社、2013年)、『おしゃべりなコンピュータ 音声合成技術の現在と未来』(丸善出版、2015年)など。