(第38回)不正防止への心理学の活用可能性(沼田知之)

弁護士が推す! 実務に役立つ研究論文| 2021.10.26
企業法務、ファイナンス、事業再生、知的財産、危機管理、税務、通商、労働、IT……。さまざまな分野の最前線で活躍する気鋭の弁護士たちが贈る、法律実務家のための研究論文紹介。西村あさひ法律事務所の7名の弁護士が交代で担当します。

(毎月中旬更新予定)

若林宏輔「規範逸脱行動の心理学 コロナ禍の司法と心理学(4)」

季刊刑事弁護107号(現代人文社、2021年)158頁より

企業不祥事を予防するため、多くの企業においては、不祥事の未然防止や早期発見・是正を目的として組織体制や社内規程の整備などが行われている。しかし、如何に詳細なルールが設けられていても、それが実効的に機能していなければ、不祥事が発生し、かつ、長期間にわたり是正されず継続してしまうといった事態が起こり得る。評者は、かねてから、実効的な不祥事予防策を立案・運用するためには、事業リスクを踏まえた対策となっているか、不祥事の発生要因・発生条件を考慮しているか、事業プロセスに照らして運用に無理がないかといった点をチェックし、これらのポイントを、立案時だけでなく運用開始後も、継続的に検証・改善していくことが必要となると指摘してきた1)

これらのポイントのうち、不祥事の発生要因・発生条件を踏まえた仕組み作りについては、企業を構成する役職員の心理的側面に着目することが有用である。例えば、役職員が故意に引き起こす不正行為については、いわゆる「不正のトライアングル」 2)が有名である。このモデルによれば、①動機(プレッシャー・インセンティブ)、②機会、③正当化の三つの要素が揃ったときに不正行為が行われるリスクが高くなるとされる。そこで、特定の不正リスクへの対策を検討する際も、リスクシナリオを想定したうえで、この三つの要素を除去する施策を講じることが考えられる。また、不正行為の発生機序については、より精緻化された様々なモデルが提唱されており3)、企業内部で組織ぐるみの不正行為が行われる背景について社会心理学の立場から実証研究も行われている4)。このような心理学からの知見は、いずれも、実効的な不正防止体制の構築に当たって参考になる。

本稿では、法令や就業規則のような法的強制力を持たないが、人々の行動に影響を与える「社会規範(social norm)」に着目し、社会規範の逸脱行動がどのような場合に生じるかについて、心理学の初学者にも理解できるよう平易に紹介がなされている。不祥事の未然防止に当たっては、法令や就業規則といったハードローだけでなく、社会規範や倫理といったソフトローをも活用することが有益であることから、本稿やそこで紹介されている過去の研究の成果は、不祥事予防策を立案する企業実務家にとっても参考となるものと考えられる。

社会規範(social norm)とは、「社会集団の成員によって理解され、法的な拘束力なしに社会的な行動を方向づけたり制限したりするもの」と定義されており、Cialdiniらの「規範の焦点化理論」によれば、命令的規範(多くの人が適切・不適切と知覚することに基づく規範)と、記述的規範(多くの人が取っている実際の行動を知覚することに基づく規範)の2つに分かれるものとされる。社会規範は、ハードローで規制される行動と比較してより広く人間の行動に影響を与える。したがって、企業の構成員である役職員が望ましい社会規範を知覚し、これが遵守されるのであれば、不祥事防止の観点からも有益な結果がもたらされると考えられる。

もっとも、本稿が紹介するCialdiniらの実験5)によれば、事はそう単純ではない。この実験では、各被験者が自身の車のワイパーに挟んであるチラシをゴミとしてポイ捨てするかどうかが調べられたが、各被験者は事前に、サクラの人物が①ゴミを捨てる、②ゴミを拾う、③ただ通り過ぎるという3つのうちいずれかの行動を見せられていた。直感的には、②の行動を見た被験者は「ゴミを捨ててはいけない」との社会規範を知覚し、ポイ捨ての確率が③より低くなる反面、①の行動を見た被験者は③よりポイ捨てをするようになるのではないかとも思われる。しかし、実験の結果、②の行動をみた被験者については確かにポイ捨て率が低くなったが、①については必ずしもポイ捨ての確率が上昇したわけではなかった。すなわち、サクラがゴミを捨てた場合であっても、周囲にゴミがない環境である場合にはポイ捨て率は減少したのである。これは、社会規範の逸脱行動が生じるか否かは、規範の理解だけではなく、周囲の人を含む環境の知覚によって状況的に変化することを意味しているという。

また、別の実験6)によれば、無断駐輪が常態化していた場所に数種類の駐輪禁止を伝えるメッセージを掲げたところ、1台も自転車がない状態では、ほとんどのメッセージ条件で1台も駐輪がされなかった(命令的規範が遵守された)のに対し、予め自転車を1~2台駐輪しておいた場合には、全てのメッセージ条件で駐輪が観察された。これは、少数の逸脱者の存在が知覚されると、その記述的規範(命令的規範の存在にもかかわらず実際には違反者が存在すること)に基づいて駐輪禁止違反が増加することを示しているという。

このような研究からは、社会規範の遵守を促しているようでありながら、実際には一部の人々が望ましくない行動をしていることを同時に示してしまうことになる場合、却って社会規範の逸脱を招くおそれがあることが示唆される。例えば、不正防止のための社内手続について「80%の人が事前届出をきちんと行っています!」といった広報活動を行って社内に遵守をアピールしようとした場合、同時に20%の人が手続を遵守していないことを伝えていることになる。不正防止の取組みについて協力を促す際には、このような知見も踏まえた上で、逸脱者ではなく遵守者に焦点が当たるよう工夫することが必要であると考えられる。

本稿は、掲載誌における連載「法律実務家のための心理学入門」の第16回として掲載されたものである。同連載においては、直接的には刑事司法手続を念頭において、心理学的観点からの研究の紹介がなされているが、本稿の他にも、「虚偽自白の心理学」、「司法取引と心理学」など、法務・コンプライアンス担当者にとっても参考となる論稿が多く含まれているので、興味のある読者の皆さまにはご一読をお勧めしたい。

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脚注   [ + ]

1. 詳細について、拙稿「法務担当者が知っておくべき不祥事予防のメニュー」Business Law Journal 2021年1月号38頁(レクシスネクシス・ジャパン)。
2. 米国の犯罪学者Donald R. Cresseyが受刑者への聴取り調査等を通じて摘示した要素を、W.Steve Albrecht がモデル化した理論で、「クレッシーの三角形」と呼ばれることもある。
3. 一例として「犯罪意思決定モデル」(大渕憲一『犯罪心理学』(培風館、2006年))、「情報関連内部不正行為意思決定モデル」(北野晴人「日本的経営における内部不正行為抑止の研究」(情報セキュリティ大学院大学博士論文、2015年))。
4. 岡本浩一=今野裕之『組織健全化のための社会心理学』(新曜社、2006年)、岡本浩一「組織風土の属人思考と職業的使命感』(日本労働研究雑誌565号4頁、2007年)等。
5. Reno, R. R., Cialdini, R. B., & Kallgren, C. A. (1993). The transsituational influence of social norms. Journal of Personality and Social Psychology, 64(1), 104–112.
6. 北折充隆=吉田俊和「違反抑止メッセージが社会規範からの逸脱行動に及ぼす影響 大学構内の駐輪違反に関するフィールド実験:大学構内の駐輪違反に関するフィールド実験」(実験社会心理学研究40巻1号28頁、2007年)。

沼田知之(ぬまた・ともゆき)
東京大学法学部、同法科大学院修了後、2008年より西村あさひ法律事務所。主な業務分野は、危機管理、独禁法。海外公務員贈賄、国際カルテル、製造業の品質問題等への対応のほか、贈収賄防止、競争法遵守、AIを活用したモニタリング等、コンプライアンスの仕組み作りに関する助言を行っている。主な著書・論稿として『危機管理法大全』(共著、商事法務、2016年)、「金融商品取引法の課徴金制度における偽陽性と上位規範の活用による解決」(旬刊商事法務1992号(2013年3月5日号))等。