(第29回)最高裁におけるグローバルな人権対話の可能性(江島晶子)

私の心に残る裁判例| 2020.11.02
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」違憲訴訟最高裁合憲決定

性同一性障害の性別の取扱いの特例に関する法律3条1項4号と憲法13条、14条1項

最高裁判所平成31年1月23日第二小法廷決定
【判例時報2421号4頁掲載】

本決定は、「心に残る裁判例」というには新しすぎるかもしれないが、あえて取り上げるのは、これに連なる他の心に残る裁判例にもスポットライトを当て、最高裁判所に出現しかけているグローバルな「人権対話」の可能性を強調したいからである。

本決定では、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」 (以下、特例法)が、法的な性別の取扱いの変更の審判が認められる要件として生殖腺除去手術を要求していることの違憲性が争われ、合憲という判断が下された。本決定について、筆者はとりわけ以下の三つの点に注目する。

第一に、本決定の補足意見(鬼丸かおるおよび三浦守両裁判官)が、特例法の違憲性の疑いを提起する際に、ヨーロッパ人権裁判所の2017年判決(A. P., Garçon and Nicot v. France)に言及したことである。同裁判所は、ヨーロッパ人権条約(1953年発効)に基づき設置された地域的人権裁判所で、最広義のヨーロッパ(ベラルーシを除く47カ国)をカバーし、質量ともに充実した人権判例を有する。だが、日本は同条約の締約国ではないので、日本が法的に拘束されない条約の判例に言及する意義は何か。それは、本件に即していえば、性自認をめぐる問題は日本だけの問題ではなく、世界のどこにおいても存在する問題だからである。個人の尊重や多様性について真剣に向き合う潮流は、手術後の性別に法的承認を与えるだけでなく、性別変更に「身体への強度の侵襲」(補足意見)を伴う手術を要求することは人権侵害だというところまできている。これを明示したのがヨーロッパ人権裁判所2017年判決である。グローバルに通用しうる人権法を梃子として、裁判官が国境を越えて対話する可能性を探求してきた筆者としては、最高裁にもその可能性があることを見出した次第である。

そして、本決定は単発の例外ではない。もともと最高裁は、違憲判断に踏み込む際には「諸外国の立法状況」を梃子とする伝統を有するが、21世紀に入ってからは、そこに「国際人権法」が加わった。その出発点は、2008年国籍法違憲判決(自由権規約および子どもの権利条約に言及)で、続いて、2013年婚外子相続分差別違憲決定は、自由権規約委員会および子どもの権利委員会による法改正の勧告に言及した。しかし、2015年の民法733条違憲判決法廷意見は、諸外国の立法状況への言及にとどまり、同日に出た民法750条合憲判決法廷意見は、諸外国の立法状況にも国際人権法にも言及しなかった。よって、対話の窓口が再び閉ざされたかのように見えたところでの2019年決定なのである。

第二に、憲法はそのままでは個々の人々の具体的人権を実効的に保障する法(人権法)とはならない。確かに、憲法は人権(厳密にいえば憲法上の権利)を保障するが、すべての人権を保障するわけではない(憲法13条を根拠規定として「新しい人権」が創出されると解されているが、判例が認めた新しい人権は限定的である)。少なくとも、2003年の「特例法」制定時には、手術要件は人権侵害だという声は表面化しなかった。だが、同時期に、イギリスのように手術を要件としない制度を作った国もある。ミクロレベルで当事者が声をあげなければ問題は埋没したままであるが、ミクロレベルの問題にとどまり続ける限り、解決は進まない。同じ人間の問題として外国法・国際人権法に参考材料が豊富にある以上、それをどうやって取り込むかが憲法学にとってのチャレンジである(違憲審査基準の精緻化 だけでは多様な人権の問題に気付けない)。

第三に、最高裁でさえ、ここまで対話の窓口を広げたとすれば、憲法学はこれにどう答えるべきだろうか。多くの憲法学者は、2013年決定の違憲の結論の導き出し方を強く批判した。だが、その批判は、日本が批准した国際人権条約を国内的効力ある規範として考慮したものといえるか疑問である。むしろ最高裁の意欲的な試みを挫いていないだろうか。現在、硬直的な判例批判(二重の基準を使っていない等)から抜け出し、学説と実務の対話の契機が生まれようとしているだけに、「憲法+国際人権法=人権法」として射程範囲を広げた上、判例の動態的分析が求められる。

本決定後は、特例法に対する疑問が、当事者からだけでなく、最高裁判所からも投げかけられたことになる。そして、最高裁の審議の背後に「グローバルな対話」があることを示した本決定は、他の問題にも波及しうる。たとえば、2015年の民法750条合憲判決であるが、「諸外国の立法状況」と「国際人権法」という視点に基づけば、すでに、2013年決定の場合と同様に、意見・反対意見によって違憲の疑いが提起されている。この構造は、1995年婚外子相続分差別合憲決定と酷似する。当時、反対意見は比較法と国際人権法によって違憲の結論を補強していた。そして、18年後に反対意見が法廷意見となった。再び同じ時間を要するのか、それとも国会が先んじて応答するのか注目されよう。


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江島晶子(えじま・あきこ 明治大学法学部教授)
著書に、『ヨーロッパ人権裁判所の判例Ⅰ』(信山社、2008年)、『同Ⅱ』(信山社、2019年)、「グローバル人権法の可能性―2019年1月23日最高裁決定補足意見を契機として」山元一ほか編『憲法の普遍性と歴史性』(日本評論社、2019年)、Akiko Ejima, ‘Use of Foreign and Comparative Law by the Supreme Court of Japan’, in G.F. Ferrari (ed), Judicial Cosmopolitanism: Use of Foreign law in Contemporary Constitutional System (Brill/Nijhoff, 2019).