(第27回)最高裁もまた人が裁くものである(加波眞一)

私の心に残る裁判例| 2020.09.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

上告理由の証明責任を誤った判決

法律に従って判決裁判所を構成したということはできないとされた事例

最高裁判所平成11年2月25日判決
【判例時報1670号21頁掲載】

神ならぬ人が常に誤りなく人を裁くのは不可能に近い。人が裁く以上、誤判が生じることは避けがたいとすれば、それを前提に、誤判に対する救済方法としての再審判のあり方が問われることになる。その観点から私は民事訴訟手続の再審判研究を行ってきたが、その点で、本判決は心に残るものの一つである。

絶対的上告理由(民訴法312条2項)という、(原審判決を破棄すべき是認できない)手続上の瑕疵(=誤ち)の一つに、「法律に従って判決裁判所を構成しなかったこと」という事由がある(同条同項1号)。これが原判決に「存在する」と上告審で認定されると、その原判決は違法な判決と判断され、破棄される。

この事由の具体例として、直接審理を担当した裁判官のみが判決を作成することになっているところ(直接主義・民訴法249条)、その要件を欠いて判決した場合が挙げられている。すなわち、「直接審理を担当していない裁判官(=審理不担当裁判官)による判決作成」という事実こそがこの事由に該当する事実であり、原判決の(破棄に値する)違法性を基礎づける事実となる(最判昭32・10・4民集11巻10号1703頁等)。本判決もそのことを当該上告理由の内容として認め、原判決を破棄したというものである。

しかし、本判決は、その事由を判断するにあたって、判決作成が審理を担当した「裁判官によりされたことが明らかであるとはいえないから」当該上告理由が認められる、と判決した。問題のない判断のようであるが、これは違法である。この上告理由に該当する(「審理不担当」裁判官による判決作成という)事実の「存在」を認定して上告理由ありと判断したのではなく、その事実の「不存在」(=「審理担当」裁判官による判決作成)が認定できないから、というだけで上告理由ありと判断したことになるからである。

この判決の論理に立つと、上告する当事者側が、原判決の上告理由となる瑕疵の「存在」を証明する必要はなく、逆に、上告された側の原判決勝訴者が勝訴判決を維持するために、上告理由となる瑕疵が「存在しない」ことを証明しなければならないことになる。なぜ、原審勝訴者はそのような、「存在しない」という困難な、いわゆる「悪魔の証明」の負担を負わなくてはならないのか。なぜ、上告審は、当該具体的瑕疵の存在を認定しないで原判決を違法と判断して破棄できるのか。これは、上告理由の取扱いを誤った、誤判というべき判決であろう。

もちろん、適法でなくとも、事案の解決としては妥当な、いわゆる救済判決である可能性はある。しかし、後年、この原審判決を下した元高裁裁判長から、当該事件の詳細かつ痛烈な批判が出されており(渋川満「裁判所に顕著な経験則」白鴎法学12巻1号133頁)、それを見る限り、その可能性は見いだせない。

最高裁は、誤判に対する救済という点で、最後の砦となるはずのものであるが、ここでもやはり判断ミスが生じる。最高裁裁判官も人の子であるということであろう。ちなみに、この判決のミスを批判する判例解説で、筆者は、事実関係の記述においてミスを犯している。シャレにならない話である。その後も、注意はしているのに、そのようなミスからは逃れられずにいる。最高裁も、同様で……、ということはないと信じたい。

本判決から、誤判対策としての再審判研究の必要性を改めて痛感させられて以降、今も、その研究を飯の種にしている。何せ、ゴハンなだけに、飯の種にするにはふさわしい……。


◇この記事に関するご意見・ご感想をぜひ、web-nippyo-contact■nippyo.co.jp(■を@に変更してください)までお寄せください。


「私の心に残る裁判例」をすべて見る


加波眞一(かなみ・しんいち 立命館大学法務研究科教授)
1952年生まれ。北九州市立大学法学部講師、同教授等を経て現職。
著書に、『再審原理の研究』(信山社、1997年)、『新民事訴訟法講義 第3版』(共著、有斐閣、2018年)、『注釈民事訴訟法〔有斐閣コンメンタール第5巻〕』(有斐閣、2015年)、『新基本法コンメンタール 人事訴訟法・家事事件手続法』(日本評論社、2013年)など。