(第19回・最終回)死刑の過去、現在、未来

渋谷重蔵は冤罪か?―19世紀、アメリカで電気椅子にかけられた日本人(村井敏邦)| 2020.03.23
日本開国から24年、明治の華やかな文明開化の裏側で、電気椅子の露と消えた男がいた。それはどんな事件だったのか。「ジュージロ」の法廷での主張は。当時の日本政府の対応は。ニューヨーク州公文書館に残る裁判資料を読み解きながら、かの地で電気椅子で処刑された日本人「渋谷重蔵」の事件と裁判がいま明らかになる。

(毎月下旬更新予定)

アメリカにおける死刑執行の状況

(1)死刑の過去:電気椅子処刑の顛末

1888年に制定され、ケムラーや渋谷重次郎に適用されたニューヨーク電気椅子死刑執行法は、その後も適用され続けた。ケムラーや重次郎の弁護人たちは、電気椅子処刑がアメリカ合衆国憲法およびニューヨーク州憲法に規定する「残虐で異常な刑罰」に当たり憲法違反であると主張したが、州最高裁、連邦最高裁ともにその主張に対して真正面から答えることはなかった。

重次郎たちの執行から30年後の1922年に斉藤泰蔵が日本人の電気椅子処刑第2号となったことは、すでに述べた(第2回参照)。電気椅子処刑は、2002年まで当初は頻繁に後には断続的に行われた。

この方法は、各地で司法的チャレンジが行われ、2002年にはジョージア州の最高裁判所、2008年にはネブラスカ州最高裁判所が、「残虐で異常な刑罰」にあたるとして、違憲判断をした。

1924年2月8日には、アラバマ州でジョン・ギーが殺人罪でガスによって処刑された。これがガス処刑の第1号である。その後、電気椅子と並んでガスが処刑手段として用いられることになった。しかし、1982年12月7日、テキサス州で殺人罪で死刑を宣告されたチャーリー・ブルックスに薬物注射が用いられて以降は、この方法が処刑の主流になっていった。

2002年以降は、各州ともに、薬物注射を死刑執行の方法として用いていた。ところが、EUは、死刑に用いられる薬物の輸入を禁止する措置をした。以後、薬物注射の方法による死刑執行を継続するためには、新たな薬物供出国を見つけなければならなくなった。それが困難となって、アメリカでは死刑を廃止する州が増加してきた。

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村井敏邦(むらい・としくに 弁護士・一橋大学名誉教授)
1941年大阪府生まれ。一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授などを歴任。『疑わしきは…―ベルショー教授夫人殺人事件』(日本評論社、1995年、共訳)、『民衆から見た罪と罰―民間学としての刑事法学の試み』(花伝社、2005年)ほか、著書多数。