(第11回)法三章

悪しき隣人―ようこそ法格言の世界へ(柴田光蔵)| 2019.07.05
「よき法律家は悪しき隣人」。この言葉が何を意味しているのか、知っていますか?
歴史ある法格言には、法学の真髄を伝えるものが数多くあります。法格言を知ることから、法学の雰囲気に触れてみませんか?
本記事は、「法学セミナー」1984年5月号別冊付録として世に出された、柴田光蔵著『法格言ミニ辞典 法学入門への一つの試み』をWeb日本評論で復活させたものです。
なお、掲載にあたっては、適宜編集を加えています。

(不定期更新)

史記に出てくる言葉。漢の高祖が、項羽よりさきに秦の軍を破って秦を平定して咸陽に入ったとき、新たに支配下におさめた人々を集めて秦の苛酷な法を批判し、殺人、傷害、窃盗の三つだけを罰することを約束したという故事に由来する。

この言葉は、たんに、法律がきわめて簡略なことを指すが、同時に、そのような状況を望ましいとする見方もここからくみとれる。西洋にも「腐敗の極に達した国家はきわめて多くの法律を持つ( Corruptissima rēspūblica plūrimae lēgēs )」というのがある。

ところで、現在の日本の法律の数は1900余り(そのうち実効性を失ったものは300から400にもなるとか)、条例、規則などを加えるとわが国の法規全体の数は何と1万近くになるらしい。これらがすべてちゃんと作動し守られていれば国民もそれなりに納得するだろうが、法規範の格が下がれば下がるほど、運用とか称する手口によりそれが骨抜きにされてしまうから、法規の多さに国民の信頼がないのである。漢の時代ですら、後には、三章ではとても足りず、秦の法律を利用して九章律という9篇の刑法典が作られているから、当時すでに法三章も、たんなる夢物語であったかもしれない。

今日では、もちろん、法三章ではとても世の中がおさまらないことは説明するまでもないが、それにしても、「法三章」と言うと、われわれ日本人には、アナーキー状態への嫌悪感よりも、むしろ郷愁めいたものが心の中をよぎりがちなのは一体どうしてであろうか? 「畑うちや法三章の札(フダ)の下(モト)」という蕪村の句は善政を楽しんでいる泰平の民の様子を描きだしていると読めるのであるが。このようになるのは、われわれの法への疎遠さ、法を敬して遠ざける態度、とりわけ刑法への恐怖感などが複雑にいりまじってのことであろう。

つぎに、もう少し、「法三章」的発想について契約の場合を例にとって考えてみよう。私人同士が約束をして何事かを定めるとそれも当事者間では立派な法になるのだが、平均的日本人の契約はごく簡単で、欧米(と言って一般化するのが危険であることは承知のうえで)でのように分厚い契約条項帳のようなものはめったに用いられない。そんなことをする人は、相手に警戒され、不信感さえ与えかねず、たちまち「悪しき隣人」のレッテルをはられてしまうのである。約束ごと=一種の法規は、いくら詳細にしても、すべてのケースを未来永劫にわたってコントロールする力などありはしないのだから、それならいっそ規定の数を切りつめ、しかも中味をゆるやかに設定しておき、現実の運用の場で事態に対処していく方がよいと考えるむきが日本人には意外に多いのではないだろうか? あの有名な誠意協議条項=「将来、本契約から生ずる権利義務について当事者間に紛争が生じたときには、誠意をもって協議するものとする」は、ごく日本的な取決めなのであるが、およそ契約の際には、従来からのしきたりに従うとともに、何か決めておくとすればこれ1条で足りるほどである。「法一章」と呼ぶべきか。なお、日本的契約「法」のありかたについては、拙著『法のタテマエとホンネ』を参照していただきたい。

他方で、刑法の問題として法三章スタイルを考えれば、これがとんでもない話になりかねないことはすぐわかるはずである。もともと悪事を働く人間は、道徳とか習俗とかの社会のしがらみをふりきって行動に出る場合が多いから、これらの法外の社会規範は、とても悪事の抑止力とはなりえず、どうしても、悪事に走る心を起こさせないために、なんらかのかたちで、威嚇的存在としての刑法が必要となってくる。その極端な結末が廃止論も多い死刑の存在である。権力者なら、別に法律などなくてもそのときどきに勝手に制裁を加えることができるが、政務多忙のためそのようなことにいつもかかわりあっているわけにはいかず、それに、処罰が厳しすぎるとか甘すぎるとかとかく批判の的となるので、気のきいた支配者なら、ある程度は社会のしきたりやタブーなどもとりいれながら、刑法的な規範をつくりあげ、善悪・正不正の基準を示して、処罰の省エネをはかる。

そのようなわけで、法三章というのは、簡単明瞭で、それなりに一つの通過地点としてはよい知恵であろう。しかし、悪い奴はさらに考えて、さきの三つの戒め以外なら何をやってもかまわないのだとばかり悪事の幅をひろげるので、これに対応して為政者も法規定をだんだんと精密にしていかなければならない。いわばイタチゴッコである。そして、たどりついたところが、近代の刑法典で、これはおそるべき精密さと偉容を誇る(そうは言っても、日本の刑法とヨーロッパの刑法とを比べてみると、後者においてはるかにこと細かく規定が設けられている点が注目される。日本や東洋の「法三章」愛好の伝統はここにも流れているのだろうか)。ここまでくれば、そこにあらかじめ掲げられていない悪事は罰することができないという扱いにしてもまず不都合は生じない。ユトリができるのである。それに、裁かれる側の論理としては、支配者が、自身の都合だけで、罰を加える範囲や程度を拡張したりしては困るので、罪の内容と刑罰を法律によって定めてもらうのはむしろありがたいことである。自由主義陣営に属する国々の近代刑法はだいたいこのようになっている。しかし、社会主義国家では、刑法はまた違った色合いをおびていて、罪となるべき行為の枠組み(構成要件)は比較的ゆるやかに設定されているし、刑罰の幅もずいぶんと大きく、「一罰百戒」とばかり、刑罰が社会への見せしめ的要素を持って強くうちだされるので、時と場合によって、おそろしい災難がふりかかってくるようである。最近の例をあげると、中国上海市の司法当局は、1983年1月29日、公開裁判を行なって、ポルノ写真を撮影・販売していたグループのうち主犯格の男を死刑にし、他は4年から10年の懲役に処したのことである。上海にポルノが氾濫して社会問題となっているのはどうやら事実のようだが、たかが(?)ポルノぐらいで堕落分子として死刑を科すというのは、どんなものか。もちろん、こういう処罰には法的根拠が必要なのであるが、一説によると、このたぐいの粛清めいた処断は、刑法の規定にしたがってとり行なわれているのではなく、もっと別の政治的ルートによるとのことである。それはさておいて、かりになんらかの法規にしたがって公開処刑までも敢行されるとした場合、多分、雑多な行為が「反社会的行為」として糺弾されているのであろう。その際――たんなる推測にすぎないけれども――、もし「反社会的・反国家的行為」とやらが何でも盛りこめる魔法の壺であったとしたら、おそろしいかぎりである。ちなみに、中国刑法には長い歴史があって、中国人は欧米人以上に精緻な法規定を練りあげた実績を誇っており、なかでも7世紀の唐律は19世紀のヨーロッパ刑法典に比べても遜色のないものとさえ評せられる。こういう中国は一体どこへ行くのだろうか? 日本法の近代化とは違う近代化のコースをたどるのであろうか? 歴史に取り組む者の一人としては大いに興味をそそられる。

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柴田光蔵 1937年京都府生まれ。1959年京都大法学部卒業。1961年京都大学助手を経て同大学助教授。1962~64年イタリアで在外研究。1973年京都大学教授。2000年定年退官。京都大学名誉教授。京都大学法学博士。専攻はローマ法・比較法文化論・日本社会論。最近の著書に、『タテマエの法・ホンネの法(第4版)』(日本評論社、2009年)、『タテマエ・ホンネ論で法を読む』(現代人文社、2017年)などがある。