『国家が人を殺すとき――死刑を廃止すべき理由』(著:ヘルムート・オルトナー / 訳:須藤正美/特別寄稿:村井敏邦

一冊散策| 2019.04.11
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

死刑―それは非人道的であり、時代錯誤であり、何よりも効果がない

ドイツのジャーナリスト、ヘルムート・オルトナーの手による本書は、死刑制度の歴史を丹念に解説し、死刑がいかに人間の尊厳を傷つける非人間的なものであり、犯罪抑止効果はないものであるかを証明する。

そして、時々の国家権力の政治的効果として利用されてきた「死刑」の本質的役割を指摘し、とりわけ民主主義国家、法治国家にあっては廃止すべきであると主張する。

オルトナー氏は法律専門家ではないが、しかし、「死刑」問題は専門家の専売特許はなく、市民一人ひとりが考えるべき問題であるという視点で、わかりやすく解説していることも本書の特長といえる。

オルトナー氏の国、ドイツではヒトラー政権時代にナチスの恣意的法律によって数え切れないほど多くの死刑執行を行った過去がある。ドイツはその深い反省に立って敗戦後、1949年に発効したボン基本法(現在のドイツ基本法)第102条は「死刑は、これを廃止した」と規定し、死刑廃止を実施した(旧東ドイツも1987年に死刑廃止)。

また欧州連合(EU)は独自の法的取り決めとして、2002年に調印、2009年発効のリスボン条約によって、条約と同等の効力を持つこととなったEU基本権憲章には「何人も死刑に処されてはならない」との規定があり、死刑廃止はEUの加盟条件となっている。もちろん、EU加盟28カ国はすべて死刑を廃止していることは言うまでもない。

一方、日本は依然として存置国であり、「死刑に関する世論調査」(2014年、内閣府)では「死刑もやむを得ない」が80.3%と相変わらず高い数値となっている(詳細は、村井敏邦「日本における死刑の現状と本書の意義」『国家が人を殺すとき』2頁以降参照)。

オルトナー氏はそうした日本の状況を踏まえて、死刑を廃止すべき理由を以下のように語る(3月2日に行われた日本弁護士会主催「死刑――いま、いのちにどう向きあうか」にて)。

「死刑を廃止すべき理由のその根拠は3つあります。第1に死刑は非人道的で相手に屈辱を与えるものであり、世界人権宣言にも反しているということです。第2に死刑の犯罪抑止効果は証明されていないという点です。最期に可謬的な存在である人間により判断される以上、必然的に誤審が含まれてしまい、死刑を執行した後にそれが証明されても救済されないということです。」

改めて、民主主義国家、法治国家を標榜する日本が死刑制度を廃止するのか、続けるのかいま一度、一人ひとりの市民が冷静に考える時期にきているのではないだろうか。

(編集部)

目次

特別寄稿 『国家が人を殺すとき』日本語版へ
日本における死刑の状況と本書の意義 村井敏邦
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プロローグ
国民の名の下に―最新の状況


1 国家が人を殺すとき―長らく待たされたトロイ・デイビス
2 アーカンソー州の薬物カクテル注射――または、なぜ米国ではその薬物が不足するのか
第1部 儀式――太古の罰
第1章 殺害のカタログ―権力と名誉と死/第2章 神の手による殺害―報復と和解/第3章 最後の食事―和解の申し入れ

第2部 処刑器具―殺害技術の進歩
第1章 すべての権能を機械にゆだねて―ギロチン/第2章 弾丸による死―銃殺/第3章 身体に流される電流―電気椅子/第4章 「アクアリウム」での死―ガス室/第5章 血管からもたらされる死―薬物注射

第3部 執行人―法の手となり足となり
第1章 処刑人という職― 追放されし者/第2章 カルニフェクス(死刑執行人)―関連資料/第3章 「私はよい処刑人でした」―死刑執行人が語る/第4章 ギロチンの隣に立つ男―ヨハン・ライヒハルト

第4部 マーケッター――殺害の値段
第1章 悪に対する米国の闘い

第5部 告知するもの―公的な演出
第1章 恐怖の劇場―民衆文化と死刑/第2章 最期の言葉―処刑された人々が遺した言葉

エピローグ
死刑についての考察―ある見解表明

展望
希望のとき?―死刑制度をめぐる世界の現状

あとがき
死刑制度に抗して トーマス・フィッシャー

訳者あとがき 須藤正美

補遺
処刑方法に関する資料――絞首刑から薬物注射まで
1976年以降に死刑制度を廃止した国々

書誌情報など

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