(第3回)最適な民事執行とは?(西川佳代)

私の心に残る裁判例| 2018.12.04
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

◎荷馬車挽き事件

確定判決に基づく強制執行が権利濫用にあたるとされた事例

(最高裁判所昭和37年5月24日第一小法廷判決)

【判例時報301号4頁掲載】

強制執行は執行文の付された債務名義の正本に基づいて実施されるのであり、民事執行法22条で債務名義の筆頭に挙げられているのが確定判決である。

この確定判決による強制執行が「誠実信義の原則に違反し、権利濫用の嫌なしとしない」とされたのがここで取り上げた「荷馬車挽き事件」である。事案の概要は以下の通りである。

荷馬車挽きを業とするAが無免許運転のトラックに轢かれ仕事ができなくなったとして損害賠償請求をし、それが認容され判決は確定した。その後、トラック運転手は事故を苦にして自殺したため両親が債務を相続したところ、Aは確定判決に基づき両親の住居や農地に強制競売を申し立てた。両親側はこれに対し、判決は被害者が一生荷馬車をひけなくなったという認定にもとづいて認容されたが実際には回復し、電話(当時高価であった)を架設して荷馬車挽営業を自ら堂々と営んでいるから口頭弁論終結後の事情の変更により執行に適せざるに至ったと主張して請求異議の訴えを提起した。

最高裁はこの両者の事情から「如何に確定判決に基づく権利の行使であっても、誠実信義の原則に背反し、権利濫用の嫌なしとしない。然るに原判決は叙上の点については、何ら思いを巡らした形跡がなく、ただ漠然と判決の既判力理論と民訴545条2項(現民執法35条2項)の解釈にのみ偏して本件を解決せんとしたのは到底審理不尽理由不備の誹りを免れない」としてこれを認めたのである。

民事執行法の授業においてこの判決を扱うと、確定判決において認められたのに執行できない場合があるなんてと学生は一瞬驚きを見せる。また、大岡裁き的な要素もあるためか、共感をしめす学生も多い。本件において負傷が快癒したことは、判決時の予測が誤っていたということであり、この点をもって請求異議の訴えを認めるとするならば、前訴判決の既判力を制限したことに等しく授業でも説明に苦心するところである。

本件の調査官であった倉田卓次氏は「債務名義に基づく強制執行を権利濫用とすることはほとんど例がなく、避けたかったのだが、気の毒な老夫婦を救うためには他に手がなかった」として権利濫用論をまとめ報告されたとのことである。判決当時は民事執行法立法前で判決を中心として構築されていた強制執行法の時代であり、確定判決は「一切の執行名義の女王」と言われるほどであったことを考えると、現在よりも抵抗は大きかったのではないかと考えられる。もちろん現在であれば、現行民事訴訟法117条の事情変更の訴えにより、本件のような事件も定期金賠償であった場合には、見直しができる。なお、定期金賠償は本件をきっかけに、倉田氏が主張されてきたところでもあった。

他方、既判力そのものの問題ではなく、権利の行使態様の問題であると見ることもできる。例えばドイツには「苛酷執行」の規定があり、「強制執行の処分が、債権者を保護する必要を十分に尊重しても、なお全く特殊な事情のため善良な風俗に合致しない苛酷なものであるときは、執行裁判所は債務者の申立てにより、処分の全部もしくは一部について取消し、禁止または一時停止することができる」としている(ZPO§765a)。仮にこの制度があったとしたら、「気の毒な老夫婦」は請求異議の訴えという大掛かりな手続で執行の不許を求めずとも、執行過程での調整が可能であったであろう。

民事執行法にもこの苛酷執行に関する規定はない。苛酷執行の規定は単に苛烈酷薄な執行を行わないというだけではなく、執行債権者と執行債務者のそれぞれの事情のもとでの「最適な執行」を目指した調整へとつながると思われるのだが、「債権者の権利の実現のための執行制度」という把握の下では調整の観点を入れることは難しい。現在進行中の民事執行法改正の議論の中にもそれは出ていない。

共同研究中の諫早湾干拓紛争についても(法学セミナー766号特集「諫早湾干拓紛争の諸問題」参照→試し読み)、開門賛成派、開門反対派それぞれの間接強制過程において、どこかに執行過程での調整の視点があれば現在のような硬直状況には至っていなかったのではないかとも思うのである。

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西川佳代(にしかわ・かよ 横浜国立大学大学院教授)
1967年生まれ。國學院大学法学部専任講師、助教授、教授を経て現職。
著書に、『民事執行法・民事保全法』(共著、弘文堂、2014年)、『ブリッジブック民事訴訟法[第2版]』(共著、信山社、2011年)など。